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入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「秋」(41)

2024年09月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 この牧場のキャンプ場が取り持つ縁で、様々な人と知り合いになった。その中に伝田さんご夫婦がいた。
 きょうの写真は、最近氏が手がけた3冊の本で、2作「信州の一本桜(株PUBFUN パブファンセルフ)」及び「木曽駒ケ岳の高山植物(ほうずき書籍)」は、奥さんの範子さんと二人で一本桜を求めて信州の各地を訪れ、あるいは木曽駒ケ岳の高山に分け入り、数々の桜や高山植物の姿を写真に撮り、まとめた労作である。
「山と友」は東京大学運動会スキー山岳部の百周年記念誌として出版されたもので、同大学OBの寄せた多数の興味ある原稿が含まれている。氏は同大山岳部OBとしてその編集に携わった。

 伝田さん、こう呼ばせてもらう、が一本桜を求めて県内各地を訪れていたこと、またよく中アの千畳敷から宝剣や本峰である木曽(西)駒ケ岳に登っていたことは知っていた。しかし、こうして本になることまでは最近になって人づてに教えられるまで知らなかった。
 先日、1年ぶり以上になるだろうか「もう顔を忘れたかも知れんけど」などと冗談を言いつつ、ここまで先述した自著である2冊の本と、酒を1升持ってやってきてくれた。
 東大スキー山岳部の記念誌の方は、以前から出版計画を聞いていたのでそのことも尋ねたら、恥ずかしながら東大とは縁もゆかりもない者に、改めてまた持ってきてくれた本だ。

 桜については俳句では「花」の一文字で桜を指し、かつ古(いにしえ)の歌人が「桜」とか「花」と言ったのは山桜のことだと何かで読んだ。こうして山で暮らす者としては、豪奢絢爛な花よりも、極めてつつましく、清楚可憐な山桜をまさしく「花」と決め、愛でてきた。
 しかしこの本「信州の一本桜」を見ているうち、南信州や北信に疎く、かねてからそれらの地域を訪れてみたいものだと思っていただけに、柄にもなく風雅な夢を見ている。

 さんざん呟いたように、草花に関してはまるで知識がない。そんな者にも、この冊子「木曽駒ケ岳の高山植物」は著者が意図したように、千畳敷から本峰に至る道すがら次々と目に触れる草花を、順序立てて写真で見ることができるようになっている。
 もう、花の名前を記憶することは諦めているがこの本を手に、懐かしい人に会うようなつもりで、故郷の山である「西駒ケ岳」、地元ではこう呼ばれている、の草花たちに会いに行きたいと思っている。

 最後、東大山岳部の数々の活躍には驚いた。年々大学山岳部が縮小斜陽化していく傾向にありながら、すでに成し遂げた数々の実績を措いても、今もここまで先鋭化した活動を山ばかりか、スキーでもやっていたとは知らなかった。
 また将来において、有為の人材となることを約束されたような人たちが何人も、思い半ばで世を去らざるを得なかったことも知った。
 この人たちも含めて、文武両道の人たちであったことに敬服くした。

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 本日はこの辺で。

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      ’24年「秋」(40)

2024年09月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 青空を銀色の機体を光らせながら音もなくゆっくりと飛行機が1機、西から東へ飛んでいく。上空は湿度が低いのだろうか、飛行機雲を曳いていない。入笠の上空は東西を行き来する航空機の航路になっていて、20年も前になるが内モンゴルへ行った時に、機上から入笠山を眼下にしたことがあった。
 
 きょうはこれから撮影料の納金のため、高遠の東部支所まで下る。こういう手間をずっと続けているが、たまには職員が集金を兼ねて下から来た方がこちらの様子が分かっていいだろうにと思う。しかしそういうふうにはならない。
 こっちの手間もだが、来れば少しは牧場に対する愛着も湧き、やがてはそういう思いが良いふうに発酵することも期待できるが、いつまでも他人の牧場のようでは致し方ない。

 昔はもっと職員がここにやってきたと聞いている。代表的なのは肥料撒きで、古い職員はかなりの人が経験している。その他草刈り、小屋の掃除や布団干しばかりか、職員の娯楽にも多いに使われていたらしい。当然「オレたちの、ワタシたちの牧場」という気持ちを持っていたと思う。
 かつては管理人の休日には、畜産課の職員が交代で上がってきていたが、今は余程のことがない限り、入牧、中間検査、下牧の時にしかやってはこない。ただし、このことは管理人が言い出したことで、現状に不満もなければ支障もない。何か手助けが欲しい時は無理してでも快く来てくれる。
 そうではあるが、かつてのような牧場への親しみ愛着を彼らに求めても難しい気がする。さてどうだろう。(9月20日記)

 時代は変わる、牧場も変わる。入牧頭数が200頭を超え、長野県の三大公共牧場の一つと言われた時代は去った。今は放牧という牧場本来の姿を大分変えて、続いているような状態だ。
 変わらないのは、ここの自然の美しさだろう。これだけは変わらないでいて欲しいと願っている

 そういえば、塩尻の高ボッチで開催されていた草競馬がなくなったと聞いた。あそこも元はと言えば牧場であり、わが国では最も高所で開催される草競馬の高原としても名高かった。それなりの人気を誇っただけに、寂しい話である。
 主に観光用として6,7頭の牛がいたが、今はどうなっていることか。何年か前に訪れた時は、広大な土地を上手く活かせないままススキの生い茂るに任せたような風景になっていた。残念だ。

 昨日石川県から来たOさんには、テイ沢、ヒルデェラ(大阿原)、入笠山頂と入笠山の周回を勧め、それなりに満足してくれて良かった。1泊して家族の待つ石川へ先程帰っていった。

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 本日はこの辺で。明日は沈黙します。

 

 
 

 
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      ’24年「秋」(39)

2024年09月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

   近年はこうした大型テントに人気があり流行る、ただし高額
 
 今週末からの3連休、またしても悪天の予報である。そのせいだと思うが、キャンプの予約は今のところ2件だけしかない。もしも好天にでもなれば観光業者などは怒り狂い、気象庁は面目を失うことになる、かも知れない。
 そういうお前はどうなんだと訊かれたら、火を吐き、吠え狂うと言いたいところながら、「異常気象」だから仕方がないと諦める、そうするしかない。この頃はあまり当てにしないで、予報はほどほどに聞くよう心がけている。

 こんなことを言っていると、大風に小屋が吹き飛ばされたり、裏山が崩壊したりと、思いがけないことが起こるかも知れない。それに、里の陋屋とて安心してはいられない。以前に、籾蔵の屋根が飛ばされたこともあった。
 それにしても、気象に関しては過去の事実や数値が役に立たないことがこの国だけでなく世界中で起きているようだ。強靭だったガイアの、われわれ人類の横暴な振る舞いに対する抗議の声でなければいいのだが。

 話は変わるが、テントが大分大型化している。それに、キャンプ用品はハイカラで便利になり、それらや衣服、靴などの値段もじわじわと高くなっていると聞く。もし野放図にテントが大きくなっていけば、そのうち設営を拒否されたり、さらなる料金値上げの口実にされないかと、キャンプ場の管理人の身でも危ぶむ。
 キャンプを楽しむためにあまりにも費用がかかるようになれば、スキーの二の舞を踏みはしないかとも案じている。
 
 かつてスキーはそれこそ「異常」と言ってもいいくらい大流行し、大衆化した。リフトに乗るのにも30分待ちなど当たり前で、あの流行には、ようやく車が大衆の手にも届くようになったことも大きく寄与しただろう。
 半世紀以上前の当時は、中央高速がまだ完成しておらず、そのため、白馬から東京まで8時間もかかるほどの有様で、その他の道路も土、日は至る所で大渋滞が起きた。にも関わらずだ。
 スキーメーカーは気をよくして、高級化を狙った。スキーだけでなく金具から靴まで全部揃えれば、当時の給料の3倍、4倍もしたほどだ。

 同じことが今、登山、キャンプのブームに乗って起きてはいないか。covid-19騒動が沈静化し、キャンプ、登山用品の売り上げは落ちているという。
 スキーも本当に好きな人達の間では今もって人気は衰えないらしいが、果たしてキャンプの人気はどうなるだろうか。
 背を曲げずにくつろげる大型テントが流行る一方で、ミノムシさながらの単独者用テントもそれなりの人気を保持している。面白い現象だと思って両方を眺めている。

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      ’24年「秋」(38)

2024年09月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 秋日和、まさにそうだ。東に傾きだした太陽にはもう夏の威勢はなく、秋雲の棚引く空の青さはどこまでも濃くて深い。昨夜も一雨あったのだろうか、草が濡れている。目の前にある黄ばみ始めたコナシの葉がまた散って、あの夥しい数の枝が剝き出しになってきた。
 鈴の音が聞こえる。登山者がテイ沢へ向かうのだろう。そうだ、昨日からここを訪れているUさん夫婦に、入笠山周辺の簡単な案内図を描いて渡すことになっていた。入笠山、大阿原、テイ沢、高座岩のおよその位置関係が分かればいいだろう。

 二人を登山口まで送っていく途中に見た北アルプスは峰々を一瞬山かと見紛う黒い雲が隠し、他方中央アルプスは白い雲の中に見慣れた山々が見えていた。秋色が深まり、やがては両方のアルプスの山肌が赤身を帯びるころには、白い物がさらに見ごたえのある姿に変えていくだろう。
 道路には落ち葉が大分目立つようになり、そんなことを横に乗っていたUさんの奥さんと話していると、落葉松の枝に絡むとろろ昆布のような地衣に目が留まったらしく、その正しい名前、サルオガセを知っていた。
 
 ご夫婦は70歳代で、牧場へは初めてと聞いたが山もかなり登っていた。山の仲間がいて、冬はスノーシューズで雪山を楽しみ、ご主人はいまだパラグライダーもやり、ご夫婦で飛ぶこともあるという。
 昨日のキャンプ場は他に訪問者もなく、夕暮れの牧場を案内したら「スイスに行ったことはないけれど、ここはスイスのようだ」と大いに気に入ってもらえた。この独り言を聞いて来てくれたらしく、それも有難かった。

 静かな秋の日、ヒグラシ(カナカナ虫)が突然鳴き出し、そしてすぐに止んだ。ヒグラシと言えば秋の季語だが、俳句とはすっかり遠ざかったままだ。
 名前は知らないが、秋らしい清楚な草花が目に付くようになってきた。コスモス、ススキ、キキョウ、ナデシコ・・・、花を見てもその名前を覚えるのは英単語と同様、諦めている。知らなくとも、眺めるだけでいい。
 
 いつになく快い平安、落ち着いた雰囲気が朝からずっと続いて、牛たちは昨日のように小入笠の頭まで行ったか、囲いの中には1頭も見えない。

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      ’24年「秋」(37)

2024年09月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 先日のキノコ狩り以来、あの森へは出掛けていない。きょうあたり行ってみれば、また新しく生えたヌメリカラマツタケが茶色の傘を拡げて待っているかも知れないが、それでも多分行かないだろう。特に理由があるわけではないが、一度は秋の味覚を味わえたのだから、あまり欲をかかずにそっとしておいた方がいいと思っている、野の物だから。

 落葉松の葉に昨夜降った雨露が残り、そこに朝日が射してまるで霜だか雪が輝いているように見える。草木はまた生気を得て、放牧地にも森にも鮮やかな緑の色が戻ってきた。
 権兵衛山は盛んに霧を吐いている。時に吐き過ぎてむせかえっているような滑稽な姿まで演じてみせるほどで、その背後の秋霖に洗われた真っ青な空には、幾つもの白い雲が次々と北の方へと流れていく。
 
 囲いの中には4頭ばかりのホルスが居残り、他はどこかへ出勤していったようだ。1頭だけの和牛も、2頭のジャージーもいない。
 今ふと思ったのだが、牛でも人間のように勤勉なのとそうでないのがいて、姿を消した牛たちは生真面目な勤労者タイプで、囲いに残ったのは集団行動が苦手で、かつ怠惰な牛たちかも知れない。
 何しろ、かなり遠く、それも急な斜面にも果敢に登っていく。小入笠の頭にも彼女たちの行動の跡があって、足腰を鍛えた牛たちは山を下りてから待っている出産の時に、その褒美を貰えるだろう。

 囲いのある第4牧区のいわゆる乳牛も、第1牧区の肉牛となる和牛も、塩を持っていって呼べば、大きな体を揺らせてやってくる。そのように調教した。
 ただし、第1牧区の和牛の方は、彼女たちが草を食んでいる場所まで迎えに行き、呼んでやらなければ来ない。以前なら、塩場から警笛を鳴らせば、森の中を音を立てながら列を作ってやってきたものだが、この牛たちは迎えを待ってから行くものと誤解して学習したらしい。
 
 それにしても草だけで、よく太った。特に和牛は腹の中に子がいるのに、太り過ぎかもしれない。半分は懐き、半分は警戒し、牛との関係はそんなくらいで、また別れがやってくる。

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