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入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’25年「春」(15)

2025年03月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

         奥にも二株見える
 
 昨夜は雨だったようだ。そのせいでか気温は高く午前7時、外は20度近くもある。仙丈岳の雪も大分少なくなった。この分だと、上の雪もかなり解けただろう。
 たった一夜にして、諦めかけていたカタクリの葉がようやくその姿を見せるようになった。ここ数年、毎春この草花に一喜一憂し、片葉だけでも地上に姿を見せてくれれば満足してきた。
 今年はモグラにやられ全滅したとしても、これまで楽しめたのだから、思いを充分に遂げられなかった相手ではあったが感謝して、それを受け入れるつもりでいた。しかし、この様子だと全滅とはならず、また楽しみが帰ってきた。

 昨日も強い風が吹いていた。しかし、散歩に出た。1回に1万歩、週に3回ぐらいは歩きたいと思っている。少しは健康目的も兼ねているが、本来は春の短い一日をみすみす過ごしてしまってはもったいないと思うからだ。
 もしかすれば、破れ障子を張り直す方がもっと充実するかも知れないし、あるいは放ったらかしたままの家の中を片付ければ、もっと気持ちがさっぱりするかも知れない。だが、そのうちにはその気になるにしても、今はその時ではないと勝手に決めて、やらないでいる。

 歩いている時、周囲の風景と、頭の中のことが上手く合致するなどということはそうそうあることではないにしても、それでもそんな時は、つい夢中になって思いの他距離を稼いでしまう。それが呆気なく過ぎた人生と似ているような気がする。
 逆に、歩くことだけに集中していなければ、気力が萎えてしまいそうな時もある。そういう時は時間の経つのが長いし、距離も遠くなる。人生にもそういう時があったし、今もそうかも知れない。

 座るのも、歩くのとあまり変わらない。できるだけ雑念を遠ざけ、鼻呼吸に集中する。こっちは、1分の、10分の長さを、全身で感ずるためにする。
 こんなことをしても短気は治らないし、それどころかひどくなるくらいだが、そういう精神的な効果を期待するつもりはない。あるかも知れないが、自分にはまだない。
 これも、時間の経過に対することで、その潜在的な思いは少しでも時間を遅らせたいということだろう。徒労を承知の上でだが。
 
 恥ずかしながら、障子紙と糊を買ってきた。刷毛は忘れた。さてどうなるか。極太の絵筆で間に合えばいいが。
 本日はこの辺で。
 
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