
法華道の草刈りは、作業が進むとそれだけ終了点が延伸し、次の時は作業の到達点まで行くのに時間、体力を消費する度合いが増える。しかし、それとて、牧場から、勝手知ったる林や森を近道していくのだからいいが、北原のお師匠の場合は芝平の諏訪神社口から古道を登りながら、少しづつその作業の距離を伸ばしていったはずだ。そうなると、そこまでに至る距離と言い、その労力と言い、弟子とは比べるべくもない。
草を刈る際にはあまり径幅を広げないようにしている。旅人が足を踏む際にその位置があまり拡散しないようにするためで、そうやって踏み固めてもらわないと、クマササの横暴な繁茂をたちまちのうちに許してしまうだろう。
今回は刈り終えた草もそのままにして、取り敢えずは林道から本来の法華道に下る場所までは草刈りに専念することにしている(どうもPCの調子がおかしい)。
あの法華道は、誰もがとは言わないが、どうも人を惹きつける。山梨のOさんなど、何度も来ている。今週末も小屋に1泊して、古道を往復する予定のご夫婦が来る。
ただし、やっていることと思うこととが矛盾するが、あの法華道はこれからも、今のままの静けさが保たれた古い山径であってほしい。 あの雰囲気だからこそ、刈り払い機の音までが静寂の中に同化して耳に障らないほどなのだ。
森閑とした古道にチェーンソーの響き、かえってあの機械音がその静けさを強調するような気さえする、勝手ながら。
雪道を辿ってきて、御所が池と分岐する所を過ぎ、2回ほど大きく林道を曲折すると、左手にも「こっちへおいで」と誘惑されそうな枝道が見える。毎度のことながら、そこで足を止め悩む。
今回、雪ではなくクマササをかき分け行ってみた結果、もしや近道になるかと期待した第2牧区の作業道とは繋がらないことが分かった。もう、これからは魔性の雪女のような、艶然とした誘いには乗らなくて済む。
それと、先日見付けて本来の古道の跡ではないかと思った道跡、あれはもうそのままにしておく。大した距離ではないし、すでにあの林道が古道と呼ぶに相応しくなっている。手は出さないで放っておくに如くは無し、と思い至った次第。
きょうも一度すべて呟きが消えた。原因は不明。そろそろ、引っ越しを考えねば。
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本日はこの辺で。





