里へ帰ってみると、もっと進んでいると思った開田の田植えはそれほどでもなかった。それよりも、冬の間に続けていた夜の散歩道がそこに見えていて、過ぎた時間を思い出させてくれ懐かしかった。
醒めかけた酔いの中を冬の星座を眺め、それらが日毎に天球を少しづつ移動していくのを確認し、留まることのない時間、季節を意識した。今になってみれば、あれも自分の人生の一部だったのだと、終わった旅を思い返すように冬ごもりの5か月を思った。
予想通り、陋屋の庭は雑草がほしいままになっていて、モミジの古木が茂り、いつも家の前で待っていたHALの代わりに、ミヤコワスレの花がその役を買ってくれた。オオウチワはすっかり成長し、先月庭木屋に容赦なく切られてしまった黒竹の憤懣を示しているかのように、幾本もの細いタケノコが所かまわず草叢の中に生えていた。
驚いたことに、あれほど気にしていたカタクリは跡形もなく、折よくウドを持って訪ねてくれた友人のMに話すと、あの花はそういう性質なのだと教えてくれた。深く首を折るような謙虚な姿で紫色の可憐な花を咲かせ、やがてその時季が終われば葉も一緒に何もなかったかのように姿を消してしまう。そして翌年の春を、次の世代に譲るのだという。彼はこの野草のそんな潔さが好きのようだった。
この友人MとTDS君と三人で、カタクリ峠と勝手に名付けた西山へ行った時にはまだ林道には雪が残っていた。あれから約1ヶ月が過ぎ、今ごろは誰にも知られずに花も葉もあの山野で短い命を終え、その姿も消してしまっているのだろうか。偶然に見付け、それからこの花と、この峠の雰囲気と、清流が流れる谷へ下る山道の風景が気に入って、毎春訪れるようになって何年にもなる。
秘かに幾株かを持ち帰り、その生育を楽しみにしてきたものの地質が合わなかったのか、片葉が生え出すだけで精一杯のようだった。ようやく昨春、今春と一株だけ花を咲かせたが、その後間もなく山の暮らしが始まり、この野草のその後のことは知らないでいた。Mに、そんな花の一生を教えて貰えて良かったし、そのお蔭でこの花への愛着がさらに強まった。
里へ帰ったのはFMZ君宅で開かれた「五兵衛餅の会」に参加するためだったが、盛況でいい会だった。
かんとさん、有難う。「沢」でも「澤」でも構いません。2番目は既読ですが、対象にされていることを教えて貰えず、内容も大いに不満です。1番目は初めて読みました。
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本日はこの辺で。