入笠牧場その日その時

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       ’24年「夏」(35)

2024年07月10日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 よく覚えていないが夜中、それもまだ昨日のうちに一度目が覚めた気がする。そして鳥の声で起きたら、すでに7時を過ぎていた。間違いなく10時間はたっぷり眠った。
 昨日の万歩計の数字は1万4250歩、これほど眠れたのはこの歩数のせいだ。それに、ちょっといいこともあったから昨夜、ビール500㏄を2本、東北のうまい酒を2合飲んだのも影響していただろう。目下のところ、疲労を癒す手立てはこれしかない。
 もちろん、周囲の自然や、快適な気候の恩恵も疲労回復には役立っている。特に下界で盛んに話題になっている暑さや、熱中症対策とはここでは全く縁がないから、これは大きい。ただ、疲労を消すには眠るのが一番だと思っっているし、ここではそれができるのが何よりも有難いことだと思っている。

 それにしても、「生命を守るための対策」とか、「電気代を惜しまずに冷房を使え」とか、注意喚起も気温の上昇に合わせるように過激化してきたものだと感ずる。
 また、都会で暮らすには、冷房機は誰もが当然備えているものとの前提で言っているようだが、はたしてそうだろうか。確か、生活保護を受けている人たちに冷房機など贅沢だとか言われた時代があったような気がするが、今はそんなことのないことを祈る。

 遠い昔のことだが、東京の暑さに耐えかねて、洗面器に水を汲んで、それに足を入れて窓辺に腰を掛け茫然としていたことを、都会の暑さが話題になると思い出す。4畳半に暮らしていた学生時代のことだ。信州で生まれ育った者には、あの暑さはまさしく地獄、別の世界だったが、それでも耐えるしかなかった。
 
 アルバイトに行き、あの炎天下鉄筋を担いで働いたこともあった。何メートルだったか忘れたが、数メートルはあった鉄の棒は焼けていて素手でなど持てないし、肌に触れたら火傷をした。
 昼飯が出て、日当1500円、仲間と何日我慢して働けるかと競って、最も辛抱強いと目されたMが一日もたなかった。
 一言も言葉を交わさず、指示されるままにあっちへこっちへと、夢遊病者のようにフラフラと鉄の棒をひたすら運んだ。4日働いて、折れた。

 わずかの賃金から借金を返し、残りの金で切符を買って、届いたばかりの仕送りを持ってようやく信州に帰ることができた。小淵沢を過ぎて、車窓から入ってくる風がそれまでの排気のようなよどんだ生ぬるい風と変わり、爽やかな高原の風に変わり救われた思いがした。泣けた。
 
 あれから地球はもっと暑くなった。それでもここは快適で、今朝はまだ20度にも届かない。70代ながらKさんは、炎熱地獄と都会の狂騒を避け奥さんと、今夏も1週間ほどここにやってくる。「高原にいらっしゃい!」。

 山小屋&キャンプ場の営業案内は下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。

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