入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

       芝平、悠遠の郷(さと)

2015年01月06日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 雨が降っている。今年に入って初めて何も予定のない日で、今日は趣向を変えて、少し「芝平」という集落について触れてみたい。このブログに時々登場する北原のお師匠の生まれ育った地で、また牧場の仕事が始まればこの村は、毎日のように山室川の谷に沿って仕事場へ向かうその途上にある。自然の豊かな人里離れた集落だが、惜しくもいまではかつての住民は集団離村して、廃村になっている。何人かいる住人は、「山奥いつもいる」氏のように、その後他所から移り住んだ人々である。

 しかし廃村になったとは言え、芝平の歴史は古い。1333年鎌倉幕府が滅んだとき、その残党が北条高時の次男・時行を奉じ、入笠の山中に再起を期したときには、すでにこの集落はあったという。いやすでにそれ以前に、芝平は諏訪大社(上社)のお狩場として、また1204年には諏訪大社の祭神である建御名方を勧請し、その分社を建てたと伝えられている。
 北原のお師匠が精魂を込めて復活させた古道「法華道」は、15世紀半ば日蓮宗が入笠を経て伊那谷に入ってきたとき、その布教にまず使われた道だ。時代の流れの中で、その後法華道は幾つかに分かれたようだが、いずれの道も山室川の谷に下りている。牧場の南方にある高座岩は、1472年に日蓮宗中興の祖・日朝上人が初めてこの地に錫杖を突いたときの、時代の名残である。



 いま手元に「芝平誌」という本がある。1977年(昭和52年)芝平が集団離村を決めたときに、歴史あるこの村のことを後世に伝え残すために編纂された貴重な一冊である。歴史はもとより、風俗習慣、特産品であった石灰の盛衰も、近隣との争い、あるいは入笠牧場のことも記されている。

 この本の興味深い内容をここでこれ以上紹介することは措く。限られた中では難しく、控えたい。ただし、この本の編纂を決意した人々のご先祖について、敢えてもう一度だけ勝手な妄想を記すことを許してもらいたい。
 法華道には古道らしく、幾つもの場所に名前が残る。その中で芝平発生の地ではないかといわれている所が「門祉屋敷」である。芝平峠を超えた諏訪側には武田の金山があり、芝平には石灰が産出されたから、「金山衆」など鉱山に携わる人々にその祖を求めることも可能だろう。しかしもう少し空想を逞しくするなら、こうした人々以外にも、入笠に潜んだ北条氏の残党のことを考えてみたい。「中先代の乱」の前だか後だかは別にして、戦乱に生きることを諦めて、土着した人々も含まれれていたのではないだろうか。「芝平荊口女の夜這い、男ごしょうらく寝てまちろ」という宗良親王や北条時行の時代の俗謡からは、山深き平和な里で刀を捨て、平凡に生きることを選んだかつての武士たちを、想像してみたくなるのだが・・・。

 山小屋「農協ハウス」の冬季営業に関しましては、昨年の11月17日のブログなどをご覧ください。
 「耐えれない!」と言ったのは、あなたです。もちろん、耐えれます、ご安心を。
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