入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「春」(9)

2021年03月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 寒空に、柿の木がまるで枯れてしまったように見えている。秋には葉を茂らせ、大ぶりの赤い実をたくさん付けたはずなのに、跡形もない。伐り倒してしまおうかと思わないでもないが、その後の多量の枝の処理を考えると、つい二の足を踏んでしまう。
 それに、柿の木は生命力が強い。もう1本別な場所のこれも渋柿だが、伐った箇所が中途半端だったのかもう何年にもなるが毎年葉を付け、お愛想に何個かの型の良い実が生る。それくらいだから、伐ったとしてもどうなるか分からない。もう何年も眺めるだけの老木は、すっかり椋鳥に任せてしまった格好で、きょうはまだ姿を見せていないがどこかからその鳥の声がしている。
 
 昨日、灯油を200リッターを注文して、その日のうちに入れてもらった。恐らくこれで、今年の冬が来るまで給油しないで済むと思う。灯油を運んできてくれた人も同じことを言っていた。
 この人たちは南の島に別宅を持っていて、夏場は仕事が減るからいつもならそこへ行って"魚くん"になるのだそうだ。年齢的にはあまり違わないと思うが、ダイビングが趣味のようで冬の間に一生懸命に働き、夏は楽をするのだと言っていた。昨日その話をしたら、covid-19のせいで行けない、というか、自粛しているらしいのだ。
 
 今はそういう世の中になってしまった。そのくらいだから、これで五輪などと聞いても他所の国の話のようにしか思えない。それにしても、いくら海外からの観客を断っても選手1万人、加えて関係者がその5倍の5万人も来日するというのは驚くべき人数ではないか。
 海外の国々の五輪情報はあまり伝わってこないが、この地球に生きている70ウン億の人々の大半にとっては、それどころではないという気がする。こんな状況の中で開催されたとしても、果たしてそれが盛んに言われている「平和の祭典」になるのだろうか。
 前回の1964年の東京五輪、ようやく日本の経済が復興してきたばかりだったから、日本中がそれに沸き喜び、夢中になったことを鮮明に覚えている。田舎のひねくれ者で、誘われたが東京まで出掛けていくことはしなかったが、しかしそれでも熱狂は伝わってきた。今にして、同時代を体験できたことは幸福だったと思っている。
 あの時代のあの五輪のように、国中に、炸裂したような大きな興奮と喜びの波紋を、果たして再び広げることができるのだろうか。当時新聞記者だった本田靖春が、開催式の様子を現場にいて一気に書き下ろした達文を、改めて読めば分かる、今に伝わるはずだ。
 本日はこの辺で。
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