入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「秋」(23)

2024年09月01日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 入笠山の登山口を少し伊那側に歩けば、道路を挟んで駐車場の反対側、雑草の茂る草原の中にこの碑は埋もれるようにしてあった。ひと昔前ならこの先のコナシの林の中にはキャンプ場があり、今は使えないがトイレもあって、近くのこの「開道記念碑」にも足を向ける人が結構いたらしい。しかし今は、そういう人を見かけることはまずない。
 
 碑の表には「雨風に/めげず/拓きし/十余粁」とあり、裏側には高遠町が「産業開発の一拠点とする構想を実現に移さんと」自衛隊の協力を得て「開道」にこぎつけたとある。「自衛隊第一建設群」以下の隊の名前、隊長(二等陸尉)の名が記され、隊員は「六十名」とだけある。この碑の建立者、当時の高遠町々長馬場某の名前があり、一九六三年七月と記されている。

 今もそうだが、当時はもっと自衛隊の置かれた立場は複雑であった。国民の信頼や支持を得るためにはこういう地方自治体の要望も受け入れ、林道の建設作業でも協力しなければならなかったのだろう。
 その後高遠町は伊那市と合併し、入笠を「産業開発の一拠点」とする目論見は、まさしくこの碑の現在の姿が物語っているように、そうはならなかった。
「大阿原」、「御所平峠」、「仏平峠」の名称が、観光目的で恣意的に変えられても異議を唱える人は出なかった。

 先日、駐車場の草を刈っていたら、「こっちも刈ってくれ」とあの碑が言ったような気がした。以前から気にはしていたが、考えてみれば、この林道の恩恵を最も受けている者の一人として、彼らのしてくれたことに敬意と感謝を込めてそれくらいはやらなければ申し訳ないと思った。草刈りを終えた後、ついでに腰を下ろせる丸太も置いた。
 それでも、この古いパンフレットのような入笠はもう戻ってこないだろう。



 まるで野分のような風が吹いている。台風はどうなったか、入笠には大きな被害はなかったようで、昨日上ってくる時には林道の崩落も見なかった。この10号台風で季節はまた一歩も二歩も進んだようだ。里ではそろそろ稲刈りが始まるだろう。
 牛たちは全頭が無事。今月の終わりには山を下りる。 
 
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 本日はこの辺で。


 

 
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