
こんなふうに、峡谷の岩を削っただけの山道
昨日、フキノトウを収穫した。ほんの4,5個ながら家の西側のなだれで、地表に出てまだ間もなく、食べごろだと言えた。そろそろ断酒を考えていたが、あの早春の象徴を味わうことなくそれをすることの罪の深さを感じて思い留まった。
枯草と乾いた土の上にも春が来る。しかし、気候的にはもっと温暖であったネパールの山岳地帯、あんな場所に蕗の薹が生えるとは思えないが、それにしても、あそこで放牧されていた牛たちは、一掴みの春の恵みを得て喜んだ者ほどにも、季節から与えられる物があの日、あの段階であったのだろうか。
個体の大きさは和牛の約半分、毛艶などまったくないボロキレのような毛を纏った牛たちが、砂と石ころだらけの河原を右往左往している。放牧中というよりか、その様子は野生というに近く、お義理のような牧柵は殆ど用をなしていない。
天を衝く雄大な峰々、それを背景に流れる大河、それは憧れ求めてきたヒマラヤの風景だったが、それとは対照的にあまりにも貧弱な牛たちの群れ、30頭ほどもいただろうか。
ありもしない草を求めて道路まで出てくる。しかし、そこに求める物があるわけではない。空腹を紛らわすかのように2,3頭が道路へ流れ出た水を舐めるようにして飲んで、しばらく途方に暮れて真っ青な空を仰いでいた。
日本の牛守であれば、まだ野に出すのは早過ぎると考えるが、半分は野生のような牛、あれがこちらのやりかたなのだろうと思って眺めた。言っては悪いが、和牛が高級車なら、あちらは軽トラ、それほどの違いがあるだろう。
宗教的理由で、ブタは食べない。トリやヒツジは食べる。ポカラの中国レストランでは牛肉も出てきたが、あの貧相な牛の姿を思い出して、手を出す気にはなれなかった。
ちょうどその日は親愛なるプラッカス君の37回目の誕生日だったから、彼も誘った。ご相伴にあずからねばと思ったのだろう、飲めないビールを少しだけ含み、苦笑いしていた。
出された料理が不味いわけではなかったが、食べる方は彼に任せて飲んだ。飲んだけれども、まだ案内してくれるという場所が残っていたから酒量も抑えた。
米は長粒米、この点については格別どうということはない。美味くはないが、最初からそう思っているからだろう。
ネパールの料理についてはあまり期待していなかったが、ここで呟きたくなるほどの不満はなかった、そのよう言い添えておきたい。
写真と呟きが一致しないように、この旅も不一致なことが続いた。少しづつ、かの国の思い出もおさまるべき所へ落ち着くだろう。
本日はこの辺で。