
写真は残雪に輝く空木岳を左にして、中央の鞍部は、現在も「木曽殿越え」または短く「殿越し(でんごし)」と呼ばれている。その昔、伊那の平氏に通ずる者を撃たんと木曽義仲、もしくはその配下の者がここを超えたという言い伝えがあるが、実際のことは分からない。多分、史実ではないだろう。
木曽路、谷はあの人が言ったように「すべて山の中である」。辛辣な言い方になるが、今でも彼の地は木曽川と国道と鉄道で大方が埋まってしまうような狭い谷で、そうしたことから考えても源氏の雄、義仲が都へ攻め入るほどの勢力を保持するに足る地であったとは思えない。
彼の腹心であった樋口次郎兼光もその妹と言われる巴御前も、その出身地は上伊那の辰野町樋口という説があり、後世の人が建てた墓もあり訪ねたことがある。義仲が実際に支配していた地域は「旗揚げ後の彼の勢力基盤は上州であり、東北信であった」というある歴史家の評価に同意したくなる。
伊那の地域が一時、木曽の勢力下にあったことは聞いている。それでもそのために、何もあんな険阻な場所を超えてまで、伊那に攻め入る必要があったとは考えにくい。もっと安全で、容易な侵入路が他にもあったのではないかとこの写真を見ながら、かつてこの鞍部を通った記憶を思い出しつつ、併せて考えた。


ようやく、待ちかねていたボケの花が咲いた。きょうも一日、春らしい陽気で、近くの里山の桜の花が目立つようになった。もうあまり予定なぞ入れずに残り少なくなった休みを過ごしたいと思いつつ、まだ果たせていないことを捨てきれずにいる。撮影の話や予約も来るようになってきた。
樋口次郎兼光の出生地は木曽の樋口谷とか、年齢推定からして難しいが、巴御前はかれの娘との説もある。
本日はこの辺で。