入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

   ’18年「春」 (27)

2018年04月01日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 まったく、情けない。きょうは春の宵が、何故に艶めかしいかということを先ほどまで縷々綴っていた。そしてふと暦を見たら、ナント!、昨日だったと思っていた4月1日はきょうだった・・・。慌てて、昨日の独り言を開き、辻褄を合わせるべく訂正した。しかし、それできょうの分は、消滅してしまった。呟きの途中で、以前の独り言に手を入れると、その段階で未完、未投稿の独り言は消去されてしまう。同じ過ちを、これまでも繰り返した。
 それにしても、新年度が始まる大切な区切りを、何ということだろう。どうも頭の中の暦が、上にいたときから狂いだしていたようだった。これまでも、誤字脱字、勘違い、誤りと数多くの顰蹙を買うことばかりしてきた。いっそのこと、こんなモノは止めてしまおうかと何度思ったことか。加えて、PCは反抗期に入ったのかこっちのボケか、手懐けられるのを拒否している。だから血圧はどんどん上がる。酒量は増える。しかしこうなったら、恥を晒し、嗤われ、コケにされ、加齢のもたらす悪しき例の数々をお見せするのも、もしかしたら一興かもと、まあとりあえずだが、そんなふうに考え直した。



 夕暮れのかすかな風にも、梅の花びらがはらほろと散っている。人はもう梅の花のことなど、箪笥の奥にしまい込んだ冬物の衣類のように、忘れかけている。梅の花も桜と同じく短命なのに、梅の花ばかりが継子扱いをされているような気がしてしまう。
「春はあけぼの」とあの人は書いた。しかし、そう言って文学史に残る優雅な人と違い、明け方の山の端を眺めていられる余裕など持ち得ない。「春宵一刻値千金」と、こちらは中国の人が詠ったようだが、やはり春の宵に散りゆく梅の花に心を寄せ、熱燗の酒に連れられて胸の深いところへと落ちていく方が、適っていると思う。そうすれば、春風のそよぎの中で、ふと、妖しき気配のようなものを感じる時もあるだろう。                           
コメント
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