goo blog サービス終了のお知らせ 

入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

   ’18年「春」 (11)

2018年03月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 世間には夢を見ない人がいるらしい。この夢は睡眠時に見る夢のことで、自分の将来への希望、願い、はたまた非現実的な夢想や、儚い一片の出来事とは違う。そういう夢を見ない人とは、睡眠時間が短くて済み、眠りに集中できる人が多いようだがどうだろう。
 嗜眠という言葉は、夢うつつの状態を言うらしく、惰眠を喜ぶという意味ではないらしいが、起きていれば嗜眠、寝ていても惰眠の日々だから、夢はよく見る。普段は殆ど身体を動かさないというのに貪るように眠り、絞り出すように眠気を使い尽くす。今も日向を選び微睡(まどろ)んでいる愛犬HALと同じだ。
 昨夜の夢では、冬の山小屋にいた。今は使用しなくなった入笠牧場のバンガローに似ていたが、あれよりも若干大きく、実際の使用に耐えていた。そこで、たった二日ばかりを一人で暮らす中、孤独にさいなまれ、その苦痛に耐えられず荷物や壁に当たり散らしているという夢だった。目が覚めてから、おかしな夢を見たものだと呆れた。
 今まで、単独でも結構山に行ってる。冬の季節、牧場の小屋に幾夜かを過ごすこともある。しかしそういう時に、耐えられないほどの孤独感を味ったというほどの経験はない。もちろん賑やかだとは思わないが、さして苦痛だと感じたことなどないにもかかわらず、あんな夢を見た。
 夢は映画のように、誰かが作ったものを見るわけではない。自分の頭の中で生まれた自分の作品というしかない。しかし、監督したわけでも、演出したわけでもないから、考えられないようなことが夢の中で勝手に起きる。他人は見られないから済んでいるが、もしそうした夢が映像にでも再現されたらエライことになる。同感する人はいるだろう。
 ともかく、冬の山の孤独感を「歯に沁みるようだ」と評した人がいたが、胸に沁みる経験はしても、歯に沁みるような経験はない。それでいて、あの耐えがたい切迫する孤独感を夢で実感したいうのは、不思議なことだ。まるで、人の意識の深い所には別の人格が深海魚のように隠れていて、しかもその深海魚奴(め)は、恐ろしいばかりの自由放埓が赦されているようだ。
 
 光の明度が上がる、3月の入笠牧場が待っています。"Rancher Bar"は、管理人の酒類の在庫、いよいよ僅小につき、当面は各自持ち込みにてお楽しみください。
 営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする