そういうわけで、まだ歩き足りないという男女数人の有志を、とっておきの雪の森の中へ案内することにした。
歩き始めたら、、先ほど1804メートルの三角点へ登る際に残した急登するトレールのかなり上部に、人の姿が見えた。どうやらわれわれが出発してから大分後になって、リーダーのARKさんが他の二人と三角点を目指して深雪に手こずりながらも、登っている最中のようだった。結局三人は登行を中止し、ARKさんだけがわれわれに合流した。足元を見ればナント、女傑はツボ足だった。
霧のような雨が降っていたかもしれない。空は灰色の雪雲に被われていたが、その圧迫感はなかった。霧が落葉松の梢を隠しつつ、さらにゆっくりと降りてくると、これから行こうとしている森はその奥行が次第に消えて、単色の背景がその深さを隠してしまった。
急ぐことはなかったし、目的地を考える必要もなかった。落葉松やモミの森に積もった雪の上を、足首ほどまで潜らせながらゆっくりと歩いていく。普段なら雪は厄介な歩行の障害だが、それさえ心地よく感ずるのだから、この森はいい。
小黒川の源流となる森の中を流れる沢は、今はすっかり水流を落としてしまっていた。この源流があってこそ、他では見られない極北にも似た森の相が生まれ、あたりの雰囲気を一段と引き立ててくれているというのに、今はその大役をすっかり雪に任せてしまったつもりでいるのだろうか。
クマ笹の上に積もった不安定な雪の上を登っていけば、大きなモミの木の下は鹿がねぐらにでもしたらしく、除雪した跡が大きな盥のように見える。そのすぐ傍にあるクリンソウの群生地は、森を訪れた者たちにそれを教えず、今は深い雪の下でひっそりと眠っている。初夏ともなれば、そのクリンソウの一群ために、ほどよい木陰をつくる小梨の枝には早くも、固い赤い芽が強い意志を見せるように吹き出ていた。
・・・森の中にいたのは、それほど長い時間ではなかったかもしれない。しかし、やがて霧が流れ、再び森を無音が支配すると、われわれの退散するときが来た。
小屋に帰ると、前夜マリネしておいた鹿肉の調理が待っていた。しかしスウシェフ役の女性に大方を任せた。彼女が次から次と焼いてくれる豪快な鹿肉のステーキに、みんなが大満足だったことは言うまでもない。捕獲者は食べないが、鹿肉はこのやり方が一番美味いことだけは知っている。
山の日々はたちまちのうちに去り、気がつけばまたいつものように、過ぎた日々を懐かしく思い返している自分がいる。80歳を越した岳人、Sさんの美しい山の歌がまだ耳に残っている。「みろく山の会」、そしてOZWさん、ありがとうございました。あなたも、あなたも、そしてあなたも、またお出掛けください、今度は新緑のころです。
3月になったら早々にも、また法華道を登るつもりです。
時代遅れの山小屋「農協ハウス」の営業に関しましては、2月24日のブログ他をご覧ください。「海のおうち山のおうち」のchiyさんありがとう。ブログのタイトルに、ああいう魔法をかけることを知らず、すみません。