今朝の気温はいつもとそれほど変わらないが、空に薄雲がかかっているせいか穏やかで、少し暖か味を感ずる。春の予兆などと言えば嗤われるが、そういう季節の到来をつい考えたくなる。さっきまでまた、柿の木に椋鳥が来ていたが、いつの間にか姿を消してしまった。
週末は上に行かねばならないから、山奥氏のご機嫌伺いも兼ねて山の様子でも見に、今日あたりまた芝平の谷を訪ねてみようかと考えている。確かまだそこら辺に焼酎もあるはずだから、持っていってやればあの人も喜ぶだろう。
「酒は美味すぎていけない」と書いたのは行乞の俳人山頭火だが、この人は、焼酎を評価しなかった。別に真似る気はないが、滅多にしか焼酎は飲まない。普段ビールと日本種をメインにしているのは、強い酒ほど限界までいってしまう恐れがあるからだ。
焼酎が嫌いというわけでは、もちろんない。ただ、酒を飲むのに経済性だとか、健康のためだとかを吹聴するような輩とか、ただ酔っぱらいたくて飲んでるような焼酎愛飲家には、反感乃至抵抗感はある。アルコールはもとより健康なぞによいわけがないし、古来酒で人生を誤り、身上を潰した人の話は枚挙すればきりもない。それでも飲むのが、酒というものではないのだろうか。
それにもう一つ、どうも焼酎愛好家は酒癖がよくない、という偏見がある。多くの場合は、焼酎を嗜む人の性格に帰すことだろうが、どうもこの酒は他の酒に比べ、人を粗暴にさせるような気がする。何を飲んでも、粗暴街道まっしぐら、という困った御仁もいるけれど。
芝平まで行ったはよいが、山奥氏の隠れ家近くで車がスタックして、氏にえらい迷惑をかけてしまった。上り道で一度ストップしたら最後、雪がサラサラしていてタイヤが噛まない上、無理して脱出しようとしたら、ズルズル後輪がよからぬ方へと尻を振るばかり。雪道には自信があったが今年になってこれで二度目、単なる思い上がりに過ぎなかったのかも知れない。
焼酎愛飲家の山奥氏は、飲んでも粗暴にはならない。トロンとして、ただ饒舌にはなる。乙類の焼酎の味に飽きて、最近は甲類ばかり飲んでいるなどと口を滑らせて、慌てて「いや、酒なら僕は何でも好きだ」だと。
明後日、一応法華道から登るつもりだが、ラッセルまではしたくない。そうなったらさっさと下り、富士見側から行く。HALが前足を痛めたようで、それも少々気になる。