自然の風景は美しい。つくづくとそのことを感じ、思うときがある。それと比較したら、どれほど壮大な近代都市であっても、どれほど最先端技術の構造物であっても、どれほど広大な権力者の庭園であっても、敵わないと言っていい。一寸した川の流れ、鳥の振舞いや囀り、深い森や林、透明度の高い湖沼や渓谷・・・、冬の夜空を飾る星々などなど、見る者をどれほど快くしてくれることか。
考えてみたら当前のことだと言ってよい。現生人類がアフリカに誕生して20万年この方ずっとこの自然に守られ、ときに闘い、ときに裏切られもして、まさにその一部のようになって生きてきたのだから。
それに比べたら、人工物などたかが知れてる。いくら古いと言っても、ピラミッドも万里の長城もわずかウン千年の歴史でしかない。草原をさすらい、野に伏し、星に導かれ、ずっと共にきた遠い人類の、そのまた祖先の時代も加えれば、700万年にも及ぶ。ウン千年はそれを思えば、昨日のことだ。
洞穴の住人が火を発明し、以来われわれの祖先はそれを見つめ、守ってきた。自然も火も、人間の目の奥の奥にまで浸透し、いつしかそれらに接すれば、懐かしいとか美しいと思うようになった。と同時に、自然に対して怖ろしさも併せ持つようになったがゆえに、神が必要にもなったのだろう。
ともすれば自然を讃える反面、人類が生み出してきた膨大な知の結晶を蔑ろにしたり、その行く末を不安視したりする。しかし文明の恩恵は、自然に劣らずあまりにも大きい。一度手にした火を、二度と手放すことがなかった洞穴の住人のように、これからも人類は文明を進歩・発展させていくだろう。
ただときどき美しい自然を眺めながら、それを変え、汚し、破壊してきたわれわれの行く末についても、思わざるを得ない。果たしてこの星はどうなっていくのだろうか。もちろん、「太陽の死滅する」50億年も先のことを言っているのではない。
遠からず人類は、他の惑星に進出する時代が来ると言う。しかし、われわれの子孫がその宇宙で、この星よりも美しく、住みやすい星に出会えるとは思えない。故郷より素晴らしい土地など、どこにあるというのだろうか。もしあったとしても、人類の歴史と同じくらいの時間を、そこでも生きてみなければなるまい。そうすれば、砂漠や岩石だけの、およそ色彩を欠いた味気のない星が、美しい故郷に見えるようになるかも知れない。ただそのころまでにはわれわれ人類にも、その役割にも、終止符が打たれてしまっているだろう。と、今夜はそんな妄想。
「キクはきっと生きてると思いますよ」と電話で言ったら、北原のお師匠、「そのときは、肉を買って持っていってやろうと、いつも考えているんだ」と、優しいことを。相変わらず気遣ってくれていて、本当に有難いことです。