権現堂川(行幸湖)に浮かぶ浮島。
浮島から目を反対側に向けると林が見える。
ここが栗橋城の跡だというので林の反対側へ回ってみる。
林の東側を南北に走る道へ回り込むと、法宣寺というお寺がある。
山門越しに本堂の裏に林が見えるが、この林も栗橋城跡の一部であるとのこと。
法宣寺山門の前を南へ少し行くと、屋根に守られた庚申塔が左側にある。
その少し先の右側(軽トラックの辺り)に栗橋城跡の案内板がある。
案内板は見つかったが、ここから先はどう見ても民家である。
文面からすると、権現堂川が開削される前からあった城だという。
案内板の脇の道を進むが、あくまでも今は民家の所有地なので注意が必要。(一声かければ快く見せていただける)
竹薮の中に空堀があるのだが、竹が密集しているので分かりづらい。
こちらの空堀のほうが分かりやすい。
数百年も前の堀の跡がよく保存されていたものだと思う。
栗橋城跡から権現堂川に戻る。
この川を開削する際に、栗橋城跡は分断されたという。
川の西側は久喜市(旧栗橋町)となり、東側が茨城県五霞町となったのはその後のこととか。
少し道草をしたが、さらに左岸を下って行く。
(写真と文 by pokkunさん)