かずこの想い

日本共産党区議会議員ぬかが和子の日々の出来事や想いを綴るページ

松も明けて議会モード100%

2013年01月10日 | 議会
松も明けたので、議会モード100%!
テンプレートもお正月モードから変えました。

今日は、新年度予算要望への区長回答でした。詳細はまた後日に。
総務部・政策経営部・資産管理部・危機管理室の報告事項を立て続けに聞き
他にも、地域の街の改善要望も行政に届け、
区の孤立ゼロプロジェクトの関連での問合せ、
私が委員長を務める生活保護・高齢者いきがい対策調査特別委員会の議事内容の確認…
合間に地域の相談やアポなし相談にも応じて…

そんな息つく間もないような時間の合間に嬉しいことも



仙台の知人が蒲鉾を送ってくれたのですが
これが、壊滅状態といわれた被災地・女川町で唯一生き残った蒲鉾メーカー「高政のかまぼこ」だったんですね。
かつてTV番組日経スペシャル「ガイアの夜明け」で
「復興への道 第⑧弾 働く希望を! ~"震災失業"を突破する働き方~」として紹介されたメーカーです。

女川は、漁業と水産加工で栄えた港町。

(2011年7月の女川町を訪問・撮影。根こそぎ倒れたビルがそのままに)

地元の人たちは工場に保存していた魚の処分に追われていました。
腐って異臭を放っていたのです。

作業をしていたのは、工場が流されて解雇された人たち。
自主的に後片付けを手伝っていました。

震災後、宮城県の失業者は5万3511人。
(厚生労働省 6月12日現在)

女川町におよそ40軒あった水産加工会社。
その中でも奇跡的に生き残った会社が
かまぼこメーカー「高政(たかまさ)」です。
津波の被害は免れたものの、地震であちこちが壊れていました。

しかし「高政」は震災から9日後、損傷が少なかったラインを再開。
いち早く名物の揚げかまぼこを作り、避難所に毎日配り続けました。
その数、12万枚。

自らも津波で家と父を亡くした高政の社長。
従業員を一人も解雇することなく、今後の事業展開を考え、女川町で被害を受けた取引先の水産加工会社たちに、工場の一角を提供。
共に手を携えて、地元の復興を支えていこうと動き出しました。
彼らは津波ですべてを流された水産加工会社の人たちです。

2つの会社が「高政」の工場の一角で仕事を再開することになったのです。
この日から29人が以前のように働けるようになりました。

場所だけではなく、仕事に必要な長靴や包丁などは全て「高政」が無償で提供しました。

大企業が簡単に震災を理由に大量解雇を行う中、
地元企業のがんばりに思わず涙です。
がんばれ!高政!
がんばれ!女川!
私たちも、完全復興まで、最後まで、できることを力をつくしていきます

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