かずこの想い

日本共産党区議会議員ぬかが和子の日々の出来事や想いを綴るページ

あと10分で新しい年です

2011年12月31日 | くらし
あと10分で新年です。
いろいろな体験をした一年でした。

紅白では、数年ぶりに紅組が勝利!
一曲一曲の歌が心に沁みました。井上真央さんの涙が印象的でした。


今年一年、大変お世話になりました。そして、よいお年をお迎えくださいませ。

今年もあと2日

2011年12月30日 | ひとりごと
今年もあと2日になりました。
まだ掃除が終わりません!議会では多忙な幹事長でも、家では重い要介護の父も抱える主婦です。
今日は朝4時くらいから、掃除というより、片づけ。

あふれかえる衣類を整理し、着ないものは処分。スッキリしました。
まだ、片づけの段階で、「掃除」に入れません。
年に一度、スッキリしたいので頑張っています。

知人の店に頼んでおいたお餅を受け取りにも行き、着々と準備中です。

今年は大変な年でした。
衝撃だった東日本大震災。あの日以来私は、救援・支援・震災対策に駆けずり回ってきました。震災後は「防災服」が私の制服になりました。自分の選挙直前であっても「住民の苦難を救うことに勝る活動はない」「これこそが共産党議員としての活動・がんばり時」と。
「苦しみや願いによりそい希望を運びたい」一心でした。

年末にも緊急の相談が連続して入ってきます。
具体的な手立ては年越し後になっても、とりあえずお宅に駆けつけ顔を見て話し、見通し・解決策を示すと、みなさん一様にほっとした顔に。
忙しい中でも、訪ねてよかった。役に立てて良かった。と思えることの連続です。

積み残しの課題も、政策立案の課題も山積していますが、何とか決着をつけて新しい年を迎えたいと、分刻みで奔走中です。

明日位は、落ち着いて井上真央さんと嵐が司会の「震災から明日へ」がテーマの紅白を見てから、西新井大師に行けますように。


仕事納め式

2011年12月29日 | 議会
昨日は仕事納め式でした。
呉越同舟議員が勢ぞろいしての仕事納め式でした。

期別年齢順に前から並ぶのですが、ついに今期から最前列に。「年齢は若いのに~」いちばん前列とは光栄とはいえ、なんだか「長老」みたいで、複雑な気持ちでした。

フレンドリーマラソンで走ったこと、「少し痩せました?」など、いろいろ話しかけられました。

議会の役割はチェック機能を果たすこと、だから耳の痛い意見や行政への異議も来年もしっかり届けていきたい。多くの方々の声をしっかりと届けていきたい。
それと同時に、議会の役割を果たすために、一致することはみんなで力を合わせて前へ進めていきたい。
この両側面を大切にしていきたいと思います。


嬉しい出来事

2011年12月28日 | 日本共産党・後援会
今日は今年最後の駅頭での朝のご挨拶を、西新井駅東口で行いました。

そこで嬉しい出来事が…

私が立ってマイクを握ってしゃべっているとき、その隣に立ってじっと聞いて下さっている人がいました。
若い男性。身なりの整ったいわゆる「イケメン」。

何かしら?何か言いたいのかしら?と思ったら、しばらくしていなくなりました。
その後階段から降りて戻ってきて、何かと思ったら

「これ」と札入れから一万円を抜き出し、スッと私に手渡してくれるのです。
「えっ?カンパとして頂いていいの?」と聞くと
「うん」というのです。

お礼を言う間もなく、立ち去ってしまいました。
でも顔は忘れません。

駅でも本当に多くの方々に激励をいただきました。
特に今年は、震災対策にも駆け回ったので、そのことへの激励も多く、励まされました。
本当にありがとうございました。


10㎞走破の後日談と私を待っている人

2011年12月25日 | ひとりごと
日曜日は、寒風吹く中地域を歩きました。
どこへ行っても「寒い中ご苦労様」との暖かい声。
そして出会う人出会う人、「元気でしたか~!」と声をかけ、いろいろと話をすると顔がぱあっと明るくなって。「ああ寒い中行った甲斐があった」と。私を待っている人が・・と歌の文句のようなことを実感しました。私と出会うことで、少しでも明るい気持ちになってくれれば…こんな幸せなことはありません。

ところで、走っている最中、特に後半はきつくて、「もう多分走らない」などとも思っていても、2日たつと、「今度はインターバルのトレーニングもやって」などと身体がうずうずしてきました。これが魅力に取りつかれるってことでしょうか。
おまけに「よく頑張ったね。これからも寒い中でも走れるように」と夫が防寒のウエアをマラソンの翌日に買ってプレゼントしてくれました。

そうしたら、続けないわけにはいかないですよね。
日常の忙しさの中ですが、少しでも走りたいと決意しています。

フレンドリーマラソン!

2011年12月23日 | 文化
今までろくに走ったことのない私が、運動とはいっても政治や選挙…別の運動ばかりしていた私が、
周りから「そんな10㎞も走るなんてやめた方がいい」、前日まで「ホントに走るの?」と言われていた私が、
足立フレンドリーマラソンで10㎞を完走しました!!

走ろうと思ったのは、一年前のフレンドリーマラソン。余りにも楽しそうで…
この大会は、昨年足立区陸上競技協会が周年行事として開催。とても評判がよく、ランネットで日本のマラソン100選に選ばれたそうです。
いろいろな意味でふれんどりーです。運営もすばらしく、エントリーや記録証なども並ばずスムースで、トイレの行列を減らす思いやりまであって。
実行委員長の開会式のあいさつでは、銭湯を一軒一軒回って、昼から開けてもらうよう頼まれたそうです。主催者の心配りが素晴らしい大会につながっているのですね。そうして走った後は、お風呂に入り、北千住で忘年会という方も多かったようです。そんな意味でもふれんどりーで。

参加者は6000人を超え、北は北海道、南は福岡からも。そして被災3県からもランナーが。
議員としての立場でいえば、全国からランナーがつどい、スカイツリーを見ながら雄大な荒川沿いを走り、足立の千住の街を歩き、飲食も銭湯も楽しまれることは素晴らしいと。
区としてももっともっと支援をと思います。

ひょんなことから夏にエントリー。

もう一つのきっかけは、体力づくり。40代後半は「分かれ目」と感じて。元気で健康的に生きたいと思って。

でも中学時代は長距離が比較的得意だったとはいえ、人生で10㎞なんて走ったことがなく、それを40代でやるわけで。走り慣れている人にとってはわずか10㎞でも、私にとっては大変なチャレンジでした。一大事でした。

最初は5分走ることができませんでした。
でも少しづつ走れるようになり、そうしたら身体が軽くなって、天上の高い役所の階段も駐車場のあるB2から控室のある6Fまで上がるのも気持ちよくなりました。
自分の身体が変わった気がします。

実は…練習でも6㎞くらいしか走っていなくて、感じとしては「3㎞をこえると、あとは同じ。息も乱れないし走れる。6キロも10キロも変わらない」と思っていたのですが、まったく違いました。6キロすぎてからがきつかった。

でも「来賓紹介」でも議長からも主催者からも「ぬかが和子議員は10㌔を走ります」と紹介していただいているのに、家族も知り合いのランナーも応援・協力してくれているのに、挫折するわけにはいかない、と、足を前に進めました。

走ること、靴を買うこと、疲労回復、すべてにアドバイスと協力をいただき、当日は慣れない私に面倒まで見てくださった田口さんご夫妻。
頑張って走っている私を見て、ウエアをプレゼントしてくれ、当日もスタートまで付き添ってくれた夫
ねん挫した私の足を、サッカーでの経験を生かし、テーピングをしてくれて、車で送り迎えもしてくれた息子。
他にも数えくれないくらいの激励を頂きました。
本当にありがとうございました。

そして私のある意味人生を変えたこの大会との出会いに感謝します。
大会の主催者や実行委員の皆様に心から感謝申し上げます。



実は私

2011年12月22日 | ひとりごと
実は私…

明日、市民マラソン大会に出るんです!
足立区の体育協会・陸連が開催する「フレンドリーマラソン」です。

きっかけは昨年の第1回フレンドリーマラソン。
各会派の幹事長が来賓として呼ばれまして、そこで目にした楽しそうに走るランナーたちに心惹かれ、「来年は…」と口走ったところ、知人のランナーから「エントリー始まっているよ」と夏に言われ、エントリーしてしまったのです。

ですから、今年は、来賓でもあり、ランナーでもあります。

「ランナー」とはいっても、にわかランナー。普段の多忙な生活の中で走る時間はなかなかつくれず、朝に強くても、自分の仕事を早朝毎朝4時ごろに起きてやっており、家のこともありで。ただ、幹事長という職務がら、出張や一泊などで出かける機会も多く、そういう日の朝は、家の家事も父の介護からも解放されているので、出張先でコツコツと走っていました。

でもちゃんとした大会に出るのは、生まれて初めてのこと。加えて伊豆大島の後援会旅行の時に、軽い捻挫をしてしまい、少し足も痛みます。
いまもドキドキしています。

明日は、ちゃんと走れるかどうか…。目標はただひたすら「完走」です。距離は10キロコース。今まで6キロくらいしか走っていないけど、何とかなるかなと。
2時間を超えると、自動車で拾われてしまうそうですから、何とか拾われないで走りたいと思います。

どうなるか。明日のブログを楽しみにしていてくださいね。

明日は区議会最終本会議

2011年12月21日 | 議会
旅行会の報告ばかりしているうちに、なんと、いよいよ明日が今年最後の区議会の最終本会議となりました。

日本共産党は5人の議員が討論を行います。

早いですねえ。もう年末です。
今日は思わず「そんなに早く年末が来ないで!やるべきことがまだたくさんありすぎて」と知人の前で叫んでしまいました。

私にとっての年末は、どうやらまだまだ先のようです。

伊豆大島旅行会⑥いよいよ最終回

2011年12月20日 | ワークショップ

続いて川島町長を訪ねて、町役場へ。
「明日から議会」という時。議会準備でお忙しいな中でしたが、快く迎え入れてくださいました。

ここが町長室。めったに入ることができないところに入り、町長と懇談をしました。
 
右手前が川島町長です。
 
町長の明るい気さくなお人柄に、みんなほれ込みました。


続いて、ダイビングスポットでもある野田浜に。
この鐘は、海で命を落とした方への慰霊の鐘です。その輪の中に富士山が。

海もきれい、富士山も見事でした。「こんなにきれいな日はめったにない」と案内の宿の若主人。
 

 
みんな思い思いに海と絶景を楽しみました。

これですべての日程を消化し、宿に戻ってお弁当を食べ、岡田港へ。

ここでも嬉しいお土産が。

牛乳せんべいという大島のクッキーのようなお菓子を「船の中でみなさんで食べてください」と、時得議員が港に駆けつけてくださいました。
港の売店で、思い思いに最後の買い物を楽しみました。

桟橋にはどんどん船が近づいてきました。
 
かめりあ丸です。

御蔵島・式根島・新島などを回り、伊豆七島最後の乗船が大島でした。

就航後の景色がまた素晴らしかったんです。夕日と富士山に包まれて5時間の船旅です。


太陽と伊豆大島を背に船はすすみます


船底の船室ではミニ宴会。
するとデッキにいた方から「日が沈むのが見えますよ。綺麗だよ」と教えてくれて、みんなでデッキへ

富士山と一緒に船旅です
 
息をのむくらい美しかったです
 
同じ富士山を撮っても、角度によって背景・街並みが少しだけ違っているのがわかるでしょうか
 



日没後、
月明かりがこれまた見事でした


横浜港に寄港。クリスマスシーズンでライトアップした夜景までよく見えました。


この2日間、すべてにおいて楽しく美味しく美しく…「これで2万円は安い!」と参加者は大満足。
私も2日間何回も「これて良かった。参加して良かった」と目を潤ませながらつぶやいていました。
実行委員の皆様、ボランティアでお手伝いくださった皆様、本当にありがとうございました。







伊豆大島旅行会⑤椿の花と動物園

2011年12月19日 | ワークショップ
朝見館では、いろいろな方から心温まるお土産をいただきました。

これは「何ですか?」と聞くと「ハヤトウリだよ。持って行っていいよ。今たくさん取れるから」と。糠漬けやみそ汁に入れても美味しいとのこと。
我が家では、糠漬けはやっていないので、さっそく浅漬けにして頂きました。


こんなにいろいろいただきました。明日葉、島の塩、そしてハヤトウリです。

朝見館の全景
  
朝は9時前に出発。そこには訳がありました。

直売所でも「明日葉」は開店と同時に売り切れてしまうとのことで、開店に間に合うように出発。

値段が安くて主婦は大興奮!みかんなんて一袋120円!
私は、こんなものを買いました。
地元産のレモン、島唐辛子、辛い調味料、明日葉も追加購入し、クサヤ(これは前日購入)も。

空港近くの直売所の向こう側にはまたまた美しい富士山が
 

みんなで富士山を前に撮影!でも富士山は人の頭に隠れてしまいました。


続いて向かったのは「大島公園」という動物園・椿園・椿資料館。
どの施設も、なんと入場無料でした!でも手入れの行き届いた施設でした。

資料館をざっと見た後に動物園へ

これはカピバラ。和名が「オニテンジクネズミ」というように、地球上で一番大きい鼠です。
「ネズミもこんなに大きいとかわいいわね」など。

 
 
フラミンゴ。さざんかもよく咲いていました。


この動物園の特色は、ほとんどの動物に直接餌をあげることができるところです。みんな事前に餌を購入してましたよ。その餌のおかげで写真のようなこともできました。

 
レッサーパンダは何だかだらけていて、「なまけもの」みたいでした。


椿園と椿資料館で新たな発見。椿ってホントにいろいろな種類があるんですね。
「12月は椿はまだ早いよ」と言われていましたがなんのその。「ちらほら咲き始めた」と言われていましたが、結構咲いていましたよ。
各種類ごとに写真を撮りました。
 

 

 

 
こんな早い時期でも、いろいろな種類の椿が咲いていました。

お花を前にポーズ


 
写真ではわかりにくいかもしれませんが、さざんかは満開で、山の斜面一杯の山茶花の花が見事でした。

出口のところで、「あんこさん」と一緒に記念撮影。

あんこさん。わかりますか?「娘さん」という意味だそうです。
お恥ずかしい話ですが、この時初めて「あんこ椿は恋の花」の意味が解りました。

さて、いよいよ川島町長を訪ねて町役場へと向かいます。

伊豆大島旅行会④夜も更けて

2011年12月18日 | 日本共産党・後援会
夜は楽しい交流会です。ビールで乾杯し、「御神火」の名のつく焼酎や差し入れのクサヤ、美味しい島料理を堪能しました。
 

そして、日本共産党大島町議団長の時得さんが駆けつけてくださいました。
 
川島町長誕生秘話や大島の話、いろいろ聞かせていただきました。
印象的だったのは、共産党員町長でありながら、この間すべての議案、補正予算、人事案件も可決しているということです。私たち(日本共産党足立区議団)も、以前吉田万三区長の時にどれだけ苦労したことか…。

実は、時得議員は、私には「共産党の人」という以前から御縁のあった方でした。
奥様が大島高校の家庭科の先生で、私の母とは同じ家庭科教育研究者として、いろいろなご縁がありました。ご主人は小学校の先生で、私にとっては「時得先生」なのです。
その時得先生の妹さんの友人(足立在住)から心温まる話を聞きました。

いつも、自分の家のお米でいっぱいおにぎりをつくって、満足に食べられない学校の子どもたちに食べさせていて、妹さん曰く「もう、うちの米びつは空っぽ」と嘆いていたそうです。なんて素敵なんでしょう。自分のことよりも何よりもまず子供のことをと…。

その先生が、いつの間にか退職後に共産党の議員になっていて、ビックリしました、大変慕われているのもわかります。


右にいるのは、この朝見館のご次男、小池議員です。

小池議員からも一言

一日案内をして下さったお父様は、8期も共産党の議員を務めた方で、川島町長の当選の時、悲願の町長選挙勝利に自分の息子の選挙も同時にあったことも忘れたかのように、あちこちに電話を駆け回り、2時間くらいしてやっと「お前も当選したんだな」とまるで忘れられていたかのようだった
とのエピソードも紹介してくださいました。

この日は私は「市議会議員・区議会議員」ならぬ「しかい(司会)議員」に徹していました。

ちょうどこの日は、皆既月食。
夜遅くまでみんなで起きていて、ときどき外に出て『見えた!』など歓声が上がっていました。

ぶれてしまいましたが。

えっ!生きがい奨励金を廃止??

2011年12月17日 | 高齢者
クリスマスが近いのでテンプレート変更しました。

今日は生きがい奨励金の話です。明日からまた、大島旅行記にお付き合いくださいね。

ぬかが 20あげた事業事務事業が、行政の方で問題意識を持っている事務事業。その中に生きがい奨励金支給事務がある。庁内評価では財政課が見直しの検討の問題提起をしている。庁内評価では「生きがいづくり策として金銭給付の区はない」「見直しが必要」と提起をした上で、区民評価をかけている。一般のローカル紙にも近藤やよい区長が「今後の予測、生きがい奨励金支給は個別の事業に振り分ける」とある。廃止することを考えているのか。この評価からどう結論づけているのか。

区長 20年前と現在と人口の構成が全く異なっている中でかつて20年前に始めた事業がそうした前提となる条件を加味しないままいまだに残っているものがある。これからさらに高齢化が進んでいく中でやはり前提となる条件が異なってきている以上は同じ高齢者にお金をかけるについても優先的なお金の使い方を考えなければならない。1つ例示として出して、区民の方に問題提起をさせていただいて一緒に考えていただきたい。そういう一例として申し上げました。
(12月7日総務委員会質疑より)

7日の総務委員会の質疑で区が生きがい奨励金の見直しを検討していることが明らかになりました。「事務事業見直しの庁内評価、区民評価結果について」の報告の中では、その他にも20の事務事業について見直しについて言及しています。

生きがい奨励金はかつて廃止した「敬老祝い金」が名前を変えて復活したもの。
敬老金を足立だけが廃止し、他自治体では敬老の日に支給され「足立のお年寄りだけがもらえず市長がポケットマネーで支給(伊豆山の特養ホーム)」などに批判が集中しました。その後21年前に「生きがい奨励金」として名前を変えて復活。以前は70才以上の高齢者に最高7000円を現金で支給。現在は商品券で4000円分支給しています。

 区は今議会で学校開放事業の有料化、生業資金・鹿沼野外レクリエーションセンターの廃止など次々と区民サービスきりすて、介護保険料の大幅値上げも打ち出しています。さらに追い打ちをかけるように大改悪のもくろみです。
 区民の暮らしは大変、区は史上最大のため込み金1082億円。政治の姿勢が間違っているのではないでしょうか。

区が見直し対象としている事務事業
●生きがい奨励金支給事務
●身の回り応援隊事業(高齢者の介護保険外の支援策)
●高齢者緊急ショートスティ事業
●高齢者寝具乾燥消毒事業
●徘徊高齢者位置検索システム費用助成事業
●地域精神保健活動事業(自殺対策)
●保育所入所事務(保育料滞納対策)
●小学校施設の設備管理事業
●中学校施設の設備管理事業
●特色ある教育支援事業
●環境保全普及啓発事業
●区政モニター事業
●区政資料室運営事業(図書館システムの運用・貸出)
●住民基本台帳事務
●指定管理者管理運営事務
●郷土資料館管理運営事業・展示等運営事業
●地場産業普及促進事業
●サインの整備事業
●道路の不正使用等に対する指導事業

今後、何をどのように見直していくのか、「見直し」と称した区民サービス削減にならないか、厳しくチェックしていく必要があると思います。
それが区民の皆様から付託を受けた議員としての大きな役割の一つ。がんばります




アップルパイ

2011年12月16日 | ひとりごと
先日、またまた料理上手の栗原のNさんから、今度は「区議団みんなでどうぞ」と控室に手作りアップルパイをいただきました。

今度は二つあったので大きく四等分し計8切れのパイを「早い者勝ちね!」ということに。
そこで、ちょっと私が席を外した時のできごと。

「一番肉厚のところを、ぬかがさんがいない間に真っ先に食べたら怒られるよ」(はたの議員)とか言っていたそうです。実ははたの議員がそういうのには、背景があるんですが、ご本人の名誉のために、ここでは控えさせていただきます。

私は、そんなに食い意地はっていませんよ!誤解しないでね!

それにしても、たっぷりとリンゴの果肉が入った手作りアップルパイ。本当に美味しかったです。ごちそうさまでした。

紅葉?黄葉!!

2011年12月15日 | 街の情報
旅行記は少しだけお休みして、別の話題を。
議会中は、毎日朝区役所に詰め、帰りも遅く、なかなか街をゆっくり歩くこともできません。
議会では、学校開放の有料化・鹿沼野外レクリエーションセンターの廃止・生業資金の廃止を、日本共産党議員以外の議員が委員会で強行。
保育園の増設の陳情は、パパママ達が傍聴に駆けつけ見守る中、継続審査に。今回は、委員会への傍聴者が大変多いことが特徴です。

10日ほど前、尾竹橋通りのイチョウが朝日に当たりとてもきれいだったので、ちょうど渋滞中でもあり、自家用車の中からパチリ!

私の通勤順に掲載しますね

紳士服店前




尾竹橋通りのイチョウは、年々大きく育っています


栗原立体交差北側 ただ今渋滞中


環七に近づいてきました

いかがでしたか?遠くに行かなくても、中々のものですね。少し心の潤いをいただきました。

伊豆大島旅行会③裏砂漠とバームクーヘン

2011年12月14日 | 日本共産党・後援会
裏砂漠って知っています?まるで日本ではないような空間が広がっています。
初日の昼食後に案内してくれたのは、その「裏砂漠」でした。

三原山の東側には日本で唯一砂漠という地名がついている「裏砂漠」があります。国土地理院作製の地図において日本で唯一「砂漠」と表記されている場所。
ここはその名前の通り、過去何度となく繰り返された噴火で噴出した石で出来た砂漠です。 一面火山噴出物のスコリアで覆われた黒い大地で、ここはどこ?地球?と感じてしまう壮大な場所です。スコリアとは、この裏砂漠に立つと、日本とは思えないというより、地球とは思えない、どこか違う惑星に降り立ったような錯覚に陥ります。 またここは、映画・ドラマ・プロモ・CM等で数多くのロケが行なわれている場所でもあります。大島に来て裏砂漠に足を踏み入れないなんて勿体無いとしか言いようがありません。 不思議な砂漠をたっぷり楽しみました。

「砂漠」と名のつくのに、どこまでも車で走って沈まないんです。車で行けるんです。道なき道を。
なぜ沈まないか。それは、砂のように見えるのは「スコリア」だからです。火山性噴出物の一種で、火山弾や火山礫とも異なり、火山灰でもありません。軽石よりも目が粗いのです。


手に取ってみるとこんな感じ


 
思い思いに歩いてみました。
 


全員で三原山を背に記念撮影。逆光でした。



次に同じ場所で180度向きを変えて撮影。当然順光です。

本当に道なき道です。
案内をしてくれた「朝海館」の若主人も「こんなところまでは親父(朝海館のご主人・元町議)がいなければこれません」とのこと。
そこを思う存分ドライブ。というかクルージングという感じ。

ご主人の車にひたすらついていきました。見失ったら、裏砂漠から出るのは大変だそうです。パワースポットとも言われています。


以前にお客さんがレンタカーで裏砂漠から出られなくなり、SOSがかかり、迎えに行くことはできたが、日も落ちると真っ暗で何も目印がなく、地元の若主人ですら抜け出すのに5時間かかったそうです。

 
日本じゃないみたいですよね

 
ひたすらついていきます。

  

 



一時間くらいドライブしたでしょうか?非日常の異空間に迷い込んだような感じで、素晴らしかったです。



続いては都はるみの歌で有名になった「波浮の港」を展望台から。歌碑がありました。


こんな絶景でした。
この波浮港、もとは海とはつながっていない火口湖だったそうです!
元禄16年(1703年)の小田原地震の大津波で海とつながり、さらに江戸時代末期の1800年、崖を切り崩し、港口を拡げて現在の形の港として完成したそうです。さすが火山と共に生きる島!

今日は風が強く、ウインドサーフィンが気持ちよさそうでした。

続いては「筆島」

島といっても、筆のような岩が出ているだけ。でも筆岩ではなく筆島なんです。その姿が筆の穂先に似ていることから筆島と呼ばれています。ここは200万年程前は火山活動の活発だった場所で、この筆島は火山の火道で固まった溶岩だと考えられています。つまり、三原山が噴火する前、この地域の最初の火山だったところだそうです!

海の水がきれいでした。

続いて行ったのは「バームクーヘン」!
わかります?最初は「ロールケーキ」などと間違えていたのですが、行ってみたら確かにバームクーヘンでした!
 
そのすばらしさに、またもや歓声が!

 
こんな大地の造形は生まれて初めて!私は地学も専攻していましたが、生まれて初めて見ました。


高さ30メートル、長さ600メートルの大きなバームクーヘンです!
このいわゆるバームクーヘン=「地層大切断面」は、伊豆大島の火山噴火史を物語る地層の大切な断面です。およそ100~150年程度に1回という大噴火によって降り積もったスコリア・火山灰主体の降下堆積物が幾重にも積み重なり見事な縞模様をつくっています。外国の火山研究者にも広く知られた自然遺産的断面で、その美しさから地元では『バームクーヘン』と呼ばれていました。起伏に富み、一見褶曲のような見かけで褶曲だと思っていたのですが、そうではなく火山体斜面の尾根と谷の繰り返し地形を覆って降り積もった堆積物が斜面勾配と直角に切られて見せた断面です。低い谷の部分には溶岩が流れ込んでいるのも見られます。

 
「ホントにバームクーヘン!」と口々に話しておりました。

このバームクーヘンは島の周回道路沿い?にあり、逆側は海。こんな美しい風景が広がっていました。


 
写真展に出せそう!遠くに利島、新島が。その奥には薄く式根島まで見えましたよ。

この後、お土産のクサヤ(パッケージされたものではなく、小池元議員おすすめの製造・販売店だったので、その値段の安さにはビックリ!だって小さいアジのクサヤなら一枚160円。一番大きくても280円なんです。
しかも、宿にお土産をいただき、夕飯時にはサービスでクサヤがたっぷりと食卓に並ぶことになりました。ごちそう様でした。

この日の最後は「御神火温泉」です。
宿のお風呂は一度に大勢は入れないので、この温泉でゆっくりと過ごしました。
風が強く寒かった一日、でも温泉で身も心も温まりました。
「御神火」とは、辞書で調べると「火山を神聖なものとし敬って、その噴火をいう語。伊豆大島の三原山などの噴煙をさしていう」とのことでした。
最初に聞いたときは「??」という感じでしたが、現地では「御神火」とは本当にくらしの中に根付いて、敬い、共に生きてきた歴史の言葉なんだと、素敵だと思いました。

宿に着いたのは、日も落ちた17:50分ごろ。もうみんなおふろにも入っているので、小休止後、すぐに宴会に突入しました。

その様子はまた明日。
何回UPすると終わるかしら…。でも本当に伊豆大島はステキで、その良さを伝えたいので、お付き合いくださいね。