かずこの想い

日本共産党区議会議員ぬかが和子の日々の出来事や想いを綴るページ

原発の被害を目で見て考え行動―大島都議と区議団で福島へ PART4

2013年04月06日 | 原発
他の記事も書きたいけど…まだまだフクシマから伝えたいことが満載
今日は写真中心でUPします!

バスは「避難指示解除準備区域」の楢葉町へ。「避難指示解除準備区域」といっても、日中立ち入りができるだけで、夜は誰ひとり寝泊りができない「捨てられた」街です。


荒れ果てた宝鏡寺本堂前を見学。

ご住職の早川さんは、事故直後の12日朝、避難放送を聞いて14人の障害者を同行して(障害者のグループホームなども運営し障害者のために力を注いでいた)避難。
今も居住はできないため、小さなアパートで生活しているとのこと。


本堂は、鍵をかけても壊されてしまうとのことでこんな掲示が。


放射線量を測定する大島都議。

0.67μ㏜/h。東京だったら大騒ぎの数値です。


ここからは、伊東達也さんの盟友、半沢さんによるご案内です。


富岡町に向かいます。富岡町は、いままで誰一人と入ることができず、住民が防護服を着て数時間入るだけの地域でした。つい一週間ほど前、一部入れるようになり、半沢さんはその日に富岡町に入ったそうです。


豪雨の車窓で分かりにくいと思いますが、車が倒れたまま

常磐線の富岡駅に到着。時間が止まったままの街でした。復興どころか原発事故・放射能によって復旧もできません。
嵐の中ですが降りてホームへ。



傘の骨もぐちゃぐちゃになりました


 

駅前広場



かつてはこんな美しくかわいい駅でした

駅周辺も止まったままの街でした
 

 

続いてバスで同じ富岡町でもより福島第一原発に近い居住制限区域に向かいました

線量計の数値がみるみる上昇


ついには2μ㏜/hを超えました。締め切ったバスの中での数値です。


国道6号線がバリケード封鎖。ここでUターンです

昼食を食べた福仙は豊間地区にあります。
割安料金で美味しい和食が食べられます。

地区の数百世帯は、震災・津波でいなくなり
それでも踏ん張って営業。御祖母さんが「生き残ったのだから利益ではなく分かち合いをしていきたい」
の言葉通りの営業を。
社長の息子さんに再会し固い握手。参加者に挨拶を求めると「料理は得意だけどしゃべるのは得意じゃない」と固辞しておられましたが、
それでも一言だけ挨拶してくださいました。私たちに「生きることが毎日つらい。でもこうやって大勢の人が来てくれて励ましてくれると生きていてよかったと思える」と目を潤ませ言葉が詰まりながら話してくださいました。
「生きていていいのだろうか」…こんなことを言わせていいのだろうか!
地震・津波だけでなく、放射能による風評被害、地震は自然災害でも、原発がなければこんなに苦しまず、復興できていたのに 怒怒!

続いては蒲鉾の 
かねまん本舗。若社長が津波の様子や説明を。

津波の被害後、ただちに復旧させ、避難所などに蒲鉾を届ける活動をしてきました。
震災後、大企業などは解雇失業者を大量に生み出しましたが、一人も解雇せずに踏ん張ってこられました。


震災で止まったままの時計

嵐と強風で塩屋岬と山六商店店主のお話、豊間中学校などは通るだけになり

最後に向かったのは
まるかつ商店。

このお店は、以前はららみゅうに出店していましたが、再建されたららミュウの賃料負担が重いので、出店を断念し、近くの店で営業をしておられます。


若奥さんが、津波の状況を説明。
鮮魚店ですが、福島の魚を売ることはできません。


店内には津波の写真を展示。

この最後になってやっと雨がやみました。


漁港を前に


そして帰路の高速では夕焼け空が

帰りに晴れて、悔しいような、それでも一日大雨よりはよかったような…

とにかく今回も得るものが多かった福島行でした











原発の被害を目で見て考え行動―大島都議と区議団で福島へ PART3

2013年04月05日 | 原発
今日は「政府の情報隠し」「何故電力会社は原発に固執するのか」です!

情報隠し
政府はスピーディーに基づく放射能の拡散予測図を、事故後10日間もかくしてきました。

そのため、放射能汚染地域から汚染地域に移動した福島県民も多く、県民の被曝をひどくした罪はどんな言い訳をしても許されません!
バスの中でも「南に逃げればよかったのに、知らないから北西に逃げた…」県民のお話も。

よく昔、太平洋戦争中の情報隠しについて語られ、「天気予報さえも正確に届けられなかった」ことに驚きを感じていましたが…今の日本でこんなことが…改めて衝撃を受けました。

何故原発に固執?
伊東達也さんが準備して下さった資料より

国民のためでも電力の為でもなく
「原発が最も利益を確保できる」という電力会社・財界をはじめとした原発利益共同体が求めているから…

東電を始め電力会社は全国を10の地域に分けた地域独占企業。

原発は1機4500億円から5000億円の巨大投資。お金を貸すのは巨大銀行

原子炉をつくるのは東芝・日立製作所・三菱重工業だけ
(家電製品購入の時にも参考にしたい、改めて感じました)

原子炉建屋を始め建造物は大手ゼネコン、大手鉄鋼・セメント会社への発注

40年間にわたるメンテナンスは原子炉を作った3社を始め、大手の電設・機械メーカー。
その下に定期点検時には1万人近くの人が働く六次から七次までの壮大な下請け・派遣会社を傘下にし、労働者は劣悪な状況の下で働いている

事故が起きても儲かるしくみ
除染作業もゼネコンなど大企業が独占的に請け負っている

多額の広告費を投入によるメディア支配、大学をはじめとした教育・研究機関の支配…。世論誘導…。
これも電気料金でまかなっている!

国策とする官僚は、退職後に天下り。政党政治家への政治献金、選挙応援などによる取り込み

…こうした利益で結びついた集団は、利益を最優先する原発利益共同体となり、異論を持つ者は排除し、異論を許さない世界となっている

「人命を危機にさらさず、環境をひどくしなくても電気はつくれる」
原発からの撤退こそ、今必要なこと…
改めて確信しました


原発の被害を目で見て考え行動―大島都議と区議団で福島へ PART2

2013年04月04日 | 原発

バスの中で、支援募金を大島都議が伊東達也さんに手渡す。

昨日に続き、伊東達也さん (原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員、福島県浜通り医療生協理事長)などから伺ったお話をお届けします。

あまりにも深刻な被害の実態

伊東さんだけでなく、共通して語られたのは「マスコミでは報道協定もされていて、深刻な実態が1%位しか報道しない」ということでした。
伺ったお話の一部です

行方不明者を探すこともできなかった。死体が何カ月も置き去りにされた
浪江町では置き去りにされて、あとから発見されたご遺体が166人。遺族は330名
浪江町のある息子さんが、自分の親を探しに入ることも許されず、一カ月経ってから死体置き場で「貴方の親では?」との連絡でやっとわかった。直ちに避難、中に残った人を救いに入ることができなかったなか、この親御さんは「衰弱死」で、3月22日まで生きていたことが分かったそうです。どんなに苦しくつらかったことか
双葉町の病院の職員。「丸ごと避難」といっても、大型バスで一度に全員を避難できない。食料を置いて「また戻って迎えに来る」と約束したまま、戻ってきたときには、「立ち入り禁止・封鎖」で入れてもらえず。自分て食べ物を探して食べられた患者さんだけでなかった。何とか入ろうとしても、自衛隊員に阻止される。残った患者さんは病院でお亡くなりに。「自分が人を殺した」と罪の意識にさいなまれ、仕事も続けられなくなった

避難を余儀なくされている15万6000人の過酷な状況
生活手段を奪われ、人生を根本から狂わされた。いまだ家族そろって住める家もない、希望もない、展望もない
避難時や避難先での「震災関連死」が今年3月31日現在で1371人(直接し1599人)。
全町民が避難した浪江町では1700人の小中学生全員からアンケートを取った。この結果、半数の子どもが家族と別々に暮らしていて、県内外の実に690校に散り散りになって勉強したことが分かったそうです。
アンケートには
「自然がいっぱいでわらびがとれる町になってほしい。じいちゃんはわらびとりの名人です」
「大人になった時、浪江町はあるのでしょうか」
「ともだちと勉強やあそびがしたい」
「町長さん、東京電力に言っといてください。原発さえなければ、友だちと離れて、遠くに避難しないでよかったのに」…


避難をしないですんだ福島県民も苦しみの中に
(「元の生活をかえせ・原発事故被害いわき訴訟」の提訴への伊東さんのあいさつより)
原発事故によっていわき市民の中には、解雇された人、商売ができなくなった人、売り上げ減少になく人々が生み出されてきた
放射能は親子の対立、夫婦の対立など家族間の対立を生み出した。今でも子どもを守るために子どもを連れて他県に住む母親と、いわきで働く夫…と別れて暮らす人を生み出している
地域社会の中にも対立を生み出し、友人を失った人や心に傷を負ったままの人々も
子どもを持つ夫婦は、子どもの健康を心配し、将来結婚で差別されないかと思い悩んでいる。子どもは思い切り外で遊べず、川遊びも海水浴も、家族そろっての山登りもできません。川や海や池での釣りもできません。この2年間、家庭菜園も中止したままの人、孫も来てくれなくなったと嘆く人も沢山いる。
毎日放射線量を意識して暮らす人、北風が吹くと放射能を心配する人、ふと、元の生活に戻っていないことをたくさんの市民が感じながらの生活が続いている

などなど…
参加者からは「政府は収束宣言」というけれど、この実態のどこが収束なのか!など…口々に感想が語られていました。


次回は「政府の情報隠しの罪は大きい」「なぜ電力会社は原発に固執するのか」、学んだことをお届けしたいと思います。
その後に実態・実情の写真をお届けします。

原発の被害を目で見て考え行動―大島都議と区議団で福島へ PART1

2013年04月03日 | 原発
3日、大島都議と区議団で福島に行き、現実を目の当たりにしてきました。
もともと、私の地域の後援会で企画し昨年10月に実施。現地の方々の話に、現実に衝撃を受け、
「これは区議団や大島都議にも見てほしい」と企画し、昨年11月に実施予定でしたが、急きょ解散総選挙が決まり延期になっていたものを実施したものです。


誰が雨男か雨女か…
爆弾低気圧の中、嵐とともに移動することに。ものすごい風、被災地が近づくにつれ道路状況も悪い所もあり、縦に横にと揺られ、まるで船に乗っているかのようでした。


広野ICで、暴風雨の中、出迎えてくれたのは、伊東達也さん (原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員、福島県浜通り医療生協理事長)。
伊東さんは、日本共産党のいわき市議会議員を5期18年、福島県議会議員を3期12年務めた後、「原発の安全性を求める福島県連絡会」の副代表として04年以来、抜本的な対策を取るべきだと東京電力に求めてきたが、「聞く耳を持ってもらえなかった」と。

急きょ国会の原発問題の公聴会の参考人として行かなければならず、1時間に満たない時間。それでも豊富な資料を基に、バス中で怒涛のように言葉が溢れ、全容がわかるお話に、頭を殴られたような感じでした。
「私たちは絶対に忘れてはいけない。現地の方々の苦悩と心ひとつに」の想いを強めました。

伊東さんは、まず福島第一原発事故は「日本史上最大にして最悪の公害」と。

何故「公害」?
「公害」の定義は「事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲 にわたる(1)大気の汚染、(2)水質の汚濁、(3)土壌の汚染、(4)騒音、(5)振動、(6)地盤の 沈下及び(7)悪臭によって、人の健康又は生活環境に係る被害が生ずること」とあります。
災害ではなく公害、それは人の活動によって生み出された被害だからです。

伊東達也さん先頭に「原発の安全性を求める福島県連絡会」が東電に対し津波に対する抜本的な対策を採るように求めだしたのは七年も前の2004年からだったそうです。
2005年5月10日勝俣恒久東電社長宛て申し入れ書「チリ津波級の津波の引き潮と高潮に耐えられない東電福島原発の抜本的対策を求める申し入れ」は,社団法人土木学会が2002年2月にまとめた「原子力発電所の津波評価技術」に照らしても福島原発の場合,現状のままではチリ地震級の津波で発生する引き潮と高潮には対応しきれないものであり,即刻の対処をすべきと求めたものでした。

決して想定外ではない!その内容は、「まず,引き潮に際して。チリ地震級の津波が起こった場合,引き潮の時に第一原発の全機で炉内の崩壊熱を除去するための機器冷却用の海水設備が機能しなくなること,および,冷却材喪失事敀用施設の多くが機能しなくなることが判明したために,これを重視して早急な改善を求め続けました(その後三回にわたって)。

まさに!今回の事故を想定し、警鐘を鳴らしつづけていたのです!

次回はあまりにも深刻な被害の実態、「日本史上最大にして最悪」の見聞したお話をお伝えします。

しかし政府も東電も電気事業連合会も、「原子炉圧力抑制室などへの貯水で大丈夫」と繰り返すのみで改善対策を検討する態度は示さなかったそうです。