かずこの想い

日本共産党区議会議員ぬかが和子の日々の出来事や想いを綴るページ

愛と平和を歌うコンサート

2011年04月30日 | 文化
4月16日(土)、ピースフラワー合唱団の「愛と平和を歌うコンサート」が行われました。
私は忙しい時期でも「少しでも聴きたい!」と前半だけ参加させていただきました。

計画停電は終了したものの、節電・自粛ムードの中、ギャラクシティで開催にこぎつけることは大変なご苦労があったと思います。
事前には、避難所の「東京武道館」を訪問し、無料招待券をお届けしてきたそうです。

心が震えるコンサート、素晴らしかったです。

特に急きょプログラムを変更して行われた冒頭の「震災復興の願いを込めて」の特集は涙が止まりませんでした。
足立で生まれた詩と曲を披露されました。

その様子です
横川団長の許可をいただいたので、その一部の詩をご紹介しますね。

生きていた梅の木      詩 榎本哲夫
津波が去った がれきの中で
梅の木は 生きていた
荒波にのまれても
この梅の木は
娘が生まれた日
記念に植えたもの
すくすくと育てと
祈りながら

津波が去った 風の中
梅の木は 立っていた
しっかりと新芽をつけて
梅の木は立っていた
この梅の木は
娘とともに大きく大きく
育ってきた
けれど 娘はいない
この梅の木は 私の希望
私が育ててゆく
やがて花咲かせ 実を結ぶ
その日を 夢見ながら


よみがえれふるさと    詩 中谷令子
風は光り 海は輝く
緑なす山々 木々はざわめき
鳥たち歌う わたしのふるさと

畑を耕し 海に出て 船を操り
村や町に 子供らの声響き
穏やかに 日々はすぎ行く

その時 地は裂け 海は怒り
町は消え 人は流され
愛しい人を 奪われ
ふるさとは 跡もなく
ただ続く 悪夢の日々

だが人は 立ち上がる
絶望と挫折を乗り越え
わずかでも 希望の光を見つけ
今 再び生きようと 立ち上がる

人の強さ 人のすばらしさ
絆深め 地から寄せ合い
ふるさとを 創り変え
また新しい日が昇る時を
共に迎えよう


南風になって   詩 榎本哲夫
家をうしない
寒さにふるえてる 人がいる
もしも 私が 風になれたなら
南風になって
ぬくもりを ぬくもりを
はこびたい

家族をうしない
笑顔を忘れてる 人がいる
もしも 私が 風になれたなら
南風になって
ほほえみで ほほえみで
つつみたい

すべてをうしない
生きがいをなくした 人がいる
もしも 私が 風になれたなら
南風になって
生きる勇気を 生きる勇気を
送りたい

もしも 私が 風になれたなら
南風になって
希望の春を 希望の春を
届けたい





今日から区内施設が通常どおりに利用できるようになりました

2011年04月29日 | 防災・安全
足立では、震災後、区内のすべての施設を閉鎖しました。

「図書館も住区センターも閉鎖は困る」と声が殺到し
日本共産党区議団は、私、ぬかが和子先頭に調査を行い、繰り返し改善を求めてきました。

実は…震災以降の緊急の区への申し入れは7回行ってきました。

調べてみると、図書館まですべて閉館しているのは足立区だけ。

障がい者の集まりや、様々な集まりも開くことができず、私は、審議会でも「経済活動も区民活動も一刻も早く日常生活に戻す、区民が元気に活動できることが、被災地を元気にすることにつながる」と改善を求めてきました。

改善を求めて、少しずつ緩和されてきました。

それでも「電力を消費する夜間はダメ」となっていましたが、
やっと本日(29日)から、すべての施設が」通常通りに使えるようになりました。ただしテニスコートの夜間利用は休止、野球場の照明は破損しているので、使えないそうです。
6月までは通常利用できます。7月以降は、エアコン使用の関係があるので、変更があります。

とりあえず、ご報告です。


参考に、4月8日に行った緊急申し入れ全文を掲載しますね。


2011年4月8日
足立区長 近藤やよい様
日本共産党足立区議団
施設利用など震災に関する緊急申し入れ
震災後、非常事態の連続の中、日夜努力されている区職員のみなさんに敬意を表します。現時点において対策の強化や改善を求めて以下申し入れます。
1、 計画停電によって休止した施設利用・イベントの再開について
鹿島火力発電所が運転を再開し、3月26日には100%稼働送電(47.5kw)を達成したとの報道がありました。これは茨城県のすべての家庭の電力需要を賄える規模に相当としています。
一方、東京電力は4月〜6月末まで、計画停電を実施しない旨の報道がされています。
また、今夏に予想される東京電力管内の電力不足について、評判の悪い計画停電を回避する策の一つとして、電気事業法27条に基づく電力使用制限令を発動すれば、 一般家庭への電力供給は賄え、計画停電は実施しない可能性もでてきました。
区は4月1日より閉鎖していた区施設を、区民要望に沿って、再開しましたが、開設日時がまちまちであったり、現在の電力供給不足となる時間帯と合致していないなど、矛盾があり、区民から利用日時の拡大を望むたくさんの声が寄せられています。
区は、区施設全体で消費電力節減率を30%を維持するとしていますが、日中(午前など)を一律閉館している自治体はほとんど例がなく、節電は電力供給不足時間帯などを考慮する必要があり、一律機械的に施設の閉鎖をする今のやり方を見直すべきです。
節電は必要ですが、過剰な自粛は別問題であり、施設を利用できず生きがいや健康づくりができないなど支障が出ることによりかえって二次的な被害を招きかねません。
地域と区民が元気に過ごせることが、地域経済の停滞を打破し、結果として被災地を元気にすることにつながります。基本的には、民間企業が行っているように電力を落としながら区施設全体を開放するべきです。
当面、以下のことを早急に対応され、夏場のエアコン使用時の検討は別途行われるよう求めるものです。
① 郷土資料館をはじめとする展示施設について―「閉館」ではなく、他区にならい、照明を落とすなどしながら開館すること
② 全ての貸館について―電力使用を控えるなど工夫をしながら、日中はすべて通常通り行うこと。
③ 住区センターについて―老人館・児童館・地域集会所は、地域の元気と生きがいの源であり、ただちに午前中から開館をすること
④ 地域学習センターについて―「土日の午後のみ開設」ではなく、休館日を除き平日・午前も開館すること。
⑤ 温水プールについて―温水プールは、水中歩行など区民の介護予防・健康づくりに欠かせない施設です。すべてのプールは「計画停電終了まで中止」となっており、終了した現在、ただちに利用を再開すること。
⑥ 図書館について―午前中から開館を行うこと
⑦ 野球場等グランドについて―「競技者のみ入場可」ではなく、応援者なども入場できるようにすること。
⑧ 文化ホールについて―「計画停電終了まで原則利用休止」としていましたが、計画停電終了の見通しとなった中、照明等節電に配慮しながら「原則利用可」とすること。また、リニューアル工事の延期に伴い、その間の貸館を行うこと。
⑨ 総合スポーツセンター・各地域体育館・レクホールについて―「団体利用はすべて休止」となっていますが、直ちに利用を再開すること。また、節電に配慮しながら午前中及び平日も利用できるようにすること。
⑩ 管外施設について―鋸南自然の家・日光林間学園は子どもたちの貴重な体験の場であり、可能な限り利用を再開すること。
⑪ 子育てサロンについて―育児にストレスを感じる母親のよりどころであり、ただちに通常通りに戻すこと。
⑫ 全ての施設の夜間利用は「中止」となっていますが、夜間についても、電力需要を考慮しながら「再開」の方向で検討すること。
⑬ イベントについても、「被災地支援」や「震災復興」「震災対策」の普及啓発の場と位置付けるなどして、上記の趣旨を踏まえて、節電等に配慮しながら、基本的に実施の方向で検討すること。
2、 放射能の測定と情報開示について
足立区は3月27日まで、区内の放射線量の簡易測定をしていましたが、「測定器の不具合が生じた」として30日に「当分の間測定を中止します」と公表したまま、現在に至っており、その間は「東京都(新宿)の測定結果を参考に」としています。新宿区よりもはるかに汚染地域に近い足立区民の放射能汚染の不安は大きく、「壊れた」ですまされる問題ではありません。あらゆる手段を尽くして、早急に区内での測定を再開・公表することを強く求めるものです。
3、 住宅リフォーム助成の実施等について
外壁剥離・瓦屋根の落下など民間住宅の被害は、区の把握件数よりはるかに多い状況です。修繕に利用でき区内業者の支援にもつながる住宅リフォーム助成をただちにスタートさせて区民を応援してください。
また、震災の不安をなくすため、耐震診断・補強助成、家具転倒防止助成の予算を大幅に増やして大きくPRしてください。
さらに、区はこの時期に太陽光発電設置補助額を3割削減しました。電力不足対策に有効な自然エネルギーを利用した太陽光発電設置補助額は、1kwあたり10万円に戻すこと。
そのためにも、早急に補正予算対応をしてください。
以上

救援物資を届け被災者のお話を伺ってきました⑤

2011年04月24日 | 防災・安全
続いては、足立の共産党後援会が大変お世話になり、「新春のつどい(旅行会)」で必ず立ち寄りお世話になっている小名浜漁港とその並びにあるいわき市の海産物産センター「ら・ら・ミュウ」です。

沈みかけている船や津波で陸に上がってしまいそのままの船が沢山ありました。
     


市場の建物は無事でしたが、人は一人もいませんでした。

「ら・ら・ミュウ」の変わり果てた姿です。
  
こちらも建物は無事だったようですが、人の気配がなく廃墟のようでした。

広大な駐車場はこんな感じ。
   

昨日、「ら・ら・ミュウ」のHPを見たら、「復興に向けて片づけが始まった」と新たにブログが開設されていました。
内容はこちらです
「復興に向けてがんばります!」と力強い決意が込められていました。
再度駆けつけて激励したいと感じています。


帰り道。原発30㎞圏外の小名浜の街は、人気があり、片づけが進み、道路脇はその廃棄物等が整然と並んで、道幅が狭くなっているくらいでした。
写真は車内から撮影。

原発地域とそうでない地域の差を実感。
同行していただいた長谷部県議予定候補の「実は私が最初に原発の危険性(津波により冷却装置がダメになる)を指摘し、改善を求めたのは7年前なんですよ」との言葉が印象的でした。「想定外」なんて言わせない!強く感じて帰ってきました。  

救援物資を届け被災者のお話を伺ってきました④

2011年04月23日 | 防災・安全
避難している方のお話を伺い、早速といわき市選出の元県会議員(現予定候補)の長谷部さんと現地調査に。

 
こちらは原発圏内からはずれているため、片づけは着々と進んでいました。それでも道路はアスファルトがめくれたまま手つかずの状態でした。

 

 
「こちらが川ですよ」と長谷部さんが歩いて誘導。

行ってみるとこんな状態でした。
    
橋とともに水道が復旧しかかった痕跡もあり、それが寸断。


先ほどのこの家

実はこの川に半分以上押し流されて、斜めにせり出していました。



こんな中でも猫が。
まさに「猫は生きている」(早乙女勝元さんの東京大空襲の著書名)だと。
なんだか生きる力を逆にいただいたような感じでした。

次回は、足立区の共産党後援会と関係の深い「小名浜漁港」の様子です。


「津波・放射能・液状化」の想定のない防災計画の見直しを、区長に緊急申し入れ

2011年04月22日 | 防災・安全
ご存知でしたか?足立区の防災計画。
全部合わせれば5㎝を超えるような冊子で、震災対策編や水防計画編などがあります。この設定に基づいて様々な震災対策が講じられています。
ところが、そこには富士山の噴火による降灰の設定はあっても、「津波」「放射能被害」の文字は一言もなく、実際に足立区で起こった液状化についても、まったく対策がないんです。

震災から一か月がたった現時点で、区民のみなさんから寄せられた心配の声をもとに緊急の申し入れを行いました。
これで7回目の区長あてへの緊急申し入れです。



以下、私が起案させていただいた 申し入れ文章全文です。

2011年4月22日
足立区長 近藤やよい様
日本共産党足立区議団

防災計画の見直しなどの緊急申し入れ
震災後、非常事態の連続の中、日夜努力されてきた区職員のみなさんに敬意を表します。震災から一か月がたちました。日本共産党区議団の各議員にも区民から多数不安の声が寄せられています。また、被災地に行き足立区に生かすべきことがたくさんありました。現時点において以下申し入れます。

1、防災計画の見直しについて
区民が安心できる防災策にするために、以下のように足立区防災計画を見直してください。
①震度7を前提にした防災計画を
区の防災計画は、震度6を前提として構築されていますが、震度7を想定した防災計画に抜本的に見直してください。

②津波の想定について
  内陸部である足立区では、防災計画において津波の想定はまったく行われておりませんでした。巨大地震が発生しても、三浦半島や房総半島に挟まれた東京湾には 高さ20m級の津波の被害はないとされているからです。東京湾は入口の広さに比べて湾内側が広がっているため津波の高さは低くなり、東京湾岸は高潮対策として東京湾平均海面から5mの高さの堤防が多くの場所で作られています。
しかし、今回の大震災では、津波が川沿いに50 kmも遡上しました。
荒川や隅田川を遡上した津波がより内陸に入り込むと、被害はさらに拡大し、「城東地区にある千代田線や日比谷線などの地下鉄に水が流れ込めば、 短時間で丸の内や大手町を通り銀座あたりまで水害が及ぶでしょう。 都の電気、ガス、通信などのインフラは地下にあるため、首都機能がストップする可能性もあります」(都市ジャーナリスト・森野美徳氏)といいます。
  東京23区内は海抜0m地域が22%あり、高低差は約44mとアップダウンのある地形ですが「目黒区~港区から内陸側は坂が多く、10kmより手前で止まると考えられる。 逆に海抜0mが続く荒川沿いはより進む可能性がある」(地震災害に詳しい攻玉社工科短期大学名誉教授の大野春雄氏)といいます。また、地震による液状化などで堤防が破損していたりすると、津波被害が生じるともいわれております。荒川、隅田川は一種の細長い入り江だから甚大な被害が出る恐れは十分あります。
足立区は内陸部ではあっても川に囲まれております。津波を想定した防災計画を策定してください。特に今回の教訓にあった「遠くではなく高いところに逃げる」ことを重視し、中高層の建築物を津波の避難場所として位置づけ、協定も結び、住民が逃げられるようにし、津波を想定した防災訓練も行ってください。

③放射能被害の想定について
  かつて日本共産党足立区議団は「関東地方にも原発があり放射能汚染の危険がゼロではない。万が一に備えて、安定ヨウ素剤の備蓄を」など、放射能汚染対策を求めたことがありました。区は「考えていない」と拒否しましたが、まさに現実の課題となりました。
放射能汚染や被害を想定した防災計画を構築してください。
④液状化対策について
防災計画に液状化対策を位置づけて見直しをしてください。
河川部を中心に液状化は起こりうるといわれておりましたが、現に荒川河川敷を中心に液状化が起こり被害が出ています。しかし、区の防災計画には液状化の想定は殆どありませんでした。そこで、防災計画を見直しするとともに、今すぐやるべき緊急対応としても以下、申し入れるものです。
●今回応急危険度判定により「居住不可能」と赤い紙を貼られた液状化被害住居が、複数生じている。「区はすぐに調べに来てくれたが、危険だからすぐ転居するように」といっただけで、住民は当てがなく困り「あまりにも冷たい対応」という声もあった。住民の気持ちに寄り添い「相談・解決をする」しくみを構築してほしい。
●一時的に避難できる場所として、空いている区営住宅や職員寮などを提供してほしい。
●今回の液状化の実態をきちんと調査し、足立区だけで対策が難しければ抜本的な改善・見直しを国や都に求め、予想される液状化の災害に対して被害を最小限に抑える対策をつくってほしい。
●以上のことを組み込んだ防災計画に改善をしてほしい。

⑤応急給水について
 区内に7か所しかない応急給水槽と給水所を増やしてください
 私たちが物資を届けた被災地(いわき市)では、水道が寸断され、復旧が遅れたために避難所から自宅に一か月以上戻れない方々が多くいらっしゃいました。水の確保は重要です。区内には6か所の応急給水槽と小右衛門給水所しかありません。特に全く給水層のない区内南西部、川に囲まれた新田、小台宮城は早急に対応してください。都内で10台しかない給水車の増とともに、東京都にも強く働きかけていただき、防災計画も見直しをしてください。

⑥避難場所について
●荒川河川敷一帯が避難場所に位置づけられていますが、津波・液状化を考えると現実的でなく、見直してください。

⑦避難所について
今回の大震災では、難を逃れ避難しても、要介護高齢者や病気を抱える方々の多くが、避難所を転々とさせられる中で衰弱し、命を落とされる方が後を絶ちませんでした。
要介護高齢者など災害弱者の入る第二次避難所は、区内の特養ホームをはじめとする福祉施設が指定されておりますが、収容人数が計8000人分では数も足りません。しかも、すでに満員の施設で受け入れることに対し、備蓄もこの間行ってきたとはいえ、十分といえるものではありません。
 特養ホームや福祉施設をふやし福祉の街づくりを抜本的に強めるとともに、その備蓄なども思い切って強化し、在宅の災害弱者が安心できるようにしてください。

2、住宅を補修する「住宅リフォーム助成」、太陽光発電補助の復活、URや都の建て替え用区内空き住宅の被災者への活用など、この間すでに申し入れを行ってきましたが、ぜひ対応していただきたく、再度申し入れを行うものです。

以上


申し入れの懇談の中で、いくつものことがわかりました。
国も都も「東京湾には津波はこない」と想定しているから、東京都下の計画には「津波」が載っていないということ。
実際には、今回も足立の千住新橋で高潮でもないのに、異常に潮位が上がり「ちゃっぷん」と水をかぶった区民がいたんです。それでも「それは潮位の上昇」でしかないということになっていて、東京湾に津波がくると設定をすること一つとっても単純ではないということ。
なんだか・・・

それから、確か足立区でもかつて震度7想定だったような気がしていたんですが、それは大当たりでした。
阪神淡路大震災後に、東京都があくまでも「震度6」想定だったものを、区独自に前提条件を活断層などにおいて「震度7」想定と併記していたそうですが、いつのまにか、との想定に合わせて震度6のみに変更してしまっていたんですね。

今回の申し入れは、あくまでも暫定的なもの。他にも帰宅困難者対策、応急危険度判定、防災無線など見直さなければならない課題は山積しています。ひきつづき改善を求めていきます。「いのちを守る」対策に障壁はないと信じながら。

救援物資を届け被災者のお話を伺ってきました③

2011年04月21日 | 防災・安全
前回に続いて原発30㌔圏内のいわき市久之浜の状況です。


手前に門柱があり「解体を承認します。この門柱だけは残してください」と。
もちろん居住者は不在です。門柱だけが津波から残ったんですね。少しでも残してほしいとの想いが伝わってきました。


そのもう片側(右側)の門柱は、ここに。
家が津波に流され、門柱が埋まっているのがおわかりでしょうか。
 


何もかもが曲がり、斜めになっているので、平衡感覚がわからなくなりそうでした。


地域のみなさんからお預かりした救援物資を現地に。
右が私、ぬかが和子です。左端は、いわき市選出で県会議員を1期つとめ、再選を目指している「はせべさん」です。
長谷部さんが、いっしょに避難所などを案内し回ってくださいました。


向洋台の避難所。「太平洋に向かう」と書いてるとおり、海に近い高台で、狭い中にぎっしりとふとんなどがありました。
被災者のお話では「家も全部やられた。床屋をやっていたけど、海水だから全部だめになった。水道が戻れば家に帰って片づけもできる。あと少しで帰れる、水道も通るときいていたのに、この前の余震でダメになった」とのこと。そうです。4月12日?の大規模な余震でいわき市ではがけ崩れによる死者も出ました。
それまで、水道の復旧は95%だったそうですが、余震により65%に戻ってしまったそうです。

いわき市では、3.11の地震が震度6.同じ震度6の地震が一か月で3回あったそうです。
東京にいてだって、余震で体調を崩す方が後を絶たないのに、ほんとに怖かったことでしょう。

その方から「橋が折れたままで、そこが治らないと水道もダメで、橋の向こうに行かれない」というので、さっそく長谷部県議予定候補といっしょに調査に行きました。
続きはまた後日。

救援物資を届け、被災者のお話を伺ってきました②

2011年04月17日 | 防災・安全
被災地いわき市レポートの続報

まずはじめに行ったのは、原発30㌔圏内で自主的避難地域に指定されていたいわき市の北部の久ノ浜の地域。
今回の政府の「計画的避難」地域からは外れていましたが、なにしろ放射能は見えないから、心配も多く、まだまるで廃墟のように人の気配がほとんどありませんでした。


止まったままの常磐線(在来線)。
まるで3月11日から時間が止まったかのようでした。

 
津波で破壊された建物もかたづけることもできず、手つかずです




心と建物を残したまま避難を余儀なくされたので、みなさんこういった表示で「解体許可」を張ってあります。

   


コンテナも流されたまま

 
塀もシャッターもぐちゃぐちゃに


その中でも津波に耐えられた家もありました。新耐震基準を満たした建物です。
避難所から片づけに来ていた家主のお話を聞くことができました。

中の畳をあげ、泥だしを終えたところだそうです。

その建物の外側。
私が指差している高さまで水が来たそうです。

 


こちらも片づけに来ていた家主と。
家族で集団避難で埼玉県伊奈町に行っていて、ご主人だけ帰ってきたそうです。

建設業なので、一人で黙々と片づけをしているそうです。ボランティアは入ってくれるといっていたけど、結局来なかったそうです

 
その鼻の先が浜です。






浜沿いの幼稚園が見えました


近づいてみるとズタズタでした




わずかに残った建物の隣は


一階部分がぺしゃんこの家




今回のメンバーです


人影が・・・
水道局の人でした。水道を通すためには、漏水を防ぐために、家庭用の栓を止めなければならない、そのためにどこに栓があるかをさがしているところだそうです

    


幼稚園に残った桜の木。「解体を許可します。桜の木は残してください」と表示。
きっと幼稚園子どもたちとともに大切に育ててきた、共に歴史を重ねてきた桜の木だったのでしょう。

 

きりがないので続きは次回に

第3団地のチューリップが満開

2011年04月16日 | 街の情報
余震も続き不安を抱える方も多いのではないでしょうか。
そんな中でも春は着実にすすんでいます。
生命の力を感じます。
ただ今西新井第三団地(西新井3丁目にあるフレール西新井中央公園)のチューリップが、今、満開です。


ここは以前から団地の住民方々が自ら花壇づくりを営々と積み重ねてこられました


足立区の「花いっぱいコンクール」でも優勝の常連さんでもあります


大島都議と街頭からの訴えをおこなっていましたが、あまりにもきれいなので写真をとらせていただきました


「オランダ村・ハウステンボスやフラワーパークに行かなくても十分ですね」と二人で会話


バランスもよく


近づいてみると、チューリップもバラの花みたいな雰囲気もあり


写真にはうまく伝わらないかもしれませんが、光に透けて美しかったです
生きる力をいただきました。
ありがとうございました

救援物資をとどけ、被災者のお話をうかがってきました①

2011年04月15日 | 防災・安全
いわき市に救援物資を届け、被災者のお話を伺ってきました。
写真も大量にあるので、何回かに分けてお届けしますね。
今日はその第一弾です。

写真は区役所前。朝6時前に集合。出発。


車は2台で、救援物資、足立の地域の暖かいお心をいっぱい詰め込みました。
現地に行ったのは、私ぬかが和子、鈴木けんいち区議、災害ボランティアの方、運転手を買って出てくれた方、被災地のいわき市出身の方、そして免許取りたての息子も運転手兼ボランティアとして参加の計6名で、それぞれの車に3人づつ乗り込みました。


途中のパーキングエリアで、外国人のレスキューのような方を発見。


お話をしてみると、みなさんイタリア人の方で、ローマとミラノとフィレンツェの出身の方々で、救援ボランティアの方々でした。クリスチャンとして活動しているそうです。
「日本ではブッダも、神道もみんな助ける」と。これから被災地の南相馬に行き、その足で宮城に行くそうです。日本語も上手でした。一人の方は漢字も読めるそうです。
高速道路状況や道を説明してさしあげました。

世界中の方が、日本のことを心配し、かけつけてくれていることに暖かい気持ちを元気をもらいました。

ちなみにガソリンスタンドは、高速もいわき市内も行列はありませんでした。

今日はここまで。被災地の様子や活動は次回にUPしますね。







明日、被災地に直接救援物資を届けに行ってきます

2011年04月14日 | 防災・安全
明日、被災地に救援物資を届けに行きます。
今日は事務所に寄せられた山のような救援物資の仕分け、車への積み込みをしました。
手際のいい地域の女性たちなどが手伝いに来てくれたおかげであっという間に支援物資の種類ごとに仕分け、積み込みが完了しました。
地域のみなさんは、ホントにあったかいです。

明日行くのは福島県いわき市。
いわき市は、地震(この前も大きな余震でがけ崩れで犠牲者も)、津波、原発、風評被害の4重苦。
実は私たちとは深い縁が。
毎年のようにスパリゾートハワイアンズで「新春のつどい」を開催し、後援会としてバス数十台でかけつけていました。津波で被害にあった小名浜漁港は、毎回買い物をする場所。そこでは現地の共産党が、いつも美味しい甘酒を振舞ってくれていました。少しでも恩を返したい、その思いと足立の心を届けてきます。

この間次々と支援物資が事務所に。現地で必要なものは日々変わります。いわき市でも今は、これから避難所生活から「雇用促進住宅」など住宅に入っていく時期で、新しい生活に向けて家電製品や保存のきく漬物や食料などもありがたいとのことでした。

明日以降、また、現地の状況、報告を行いますが、支援は一過性のものではなく、末永く行っていきたい、できることは全部やっていきたい、これが私の想いです。

被災産地応援フェアが開催されました

2011年04月13日 | 防災・安全
本当にご無沙汰していました。
東日本大震災で被害にあわれたすべてのみなさまに心からお見舞いを申し上げます。

あの日から私の環境も一変しまして、毎日救援活動などに駆けずり回っていました。
我が家も母が帰宅困難者になり一夜を都心であかし、その後病気になりました、夫も入院しています。難病の父はいよいよ大変な時になりました。
元気なのは私と息子だけという状況になっていました。
ブログのアップなどとてもできない状況でしたが、少し落ち着いてきたので、また再開しますね。


今日は区役所庁舎前で「被災産地応援フェア」が行われ、大盛況でした。
水曜日は市場が休みの日、この日を利用して、北足立市場の関係者が約100人、ボランティアで手弁当で開催したものです。
被災地の風評被害により、基準値を下回った農産物も嫌煙され、聞いた話によると北足立市場で大量廃棄せざるを得ない状況もあったそうです。
販売価格は卸売価格で、その売り上げは全額農家と義援金にまわるとのことでした。

卸しの値段で野菜を販売するだけでなく、その安全性をアピールし、放射能測定結果(数値)も配ったり、「野菜を食べてもらおう!」ということで試食コーナーも設けようとのイベントでした。



開始時間は10時。私が会場に着いたのは10:05ごろ。もうものすごい人でにぎわっていました。


野菜もイチゴも飛ぶように売れていました。イチゴは4パックで1000円でした。


通路の奥のほうもかなりの人でにぎわっていました。


野菜の試食コーナーでは、キャベツやキュウリだけでなく、ネギも生で味噌をつけて食べられるように。

次から次へと手が伸びて、写真を撮るのも大変でしたよ。


市場が出した「応援宣言」と「市場に入荷した青果類は安全です!」のアピール。
クリックすると拡大されるので読んでみてくださいね。

買いに来た方とお話しすると、大量買いしていたあるおじさんは「安きゃいいんだよ」と。もちろん「被災地を応援したい」気持ちで買っている人が大半だと思いますが、それでもいいんだと思いました。買って食べることで風評によるアレルギーがなくなれば。

ものすごい売れ行きで、お昼には完売したのではないでしょうか。
区の関係者ともいろいろ話し「久しぶりににぎわいが出て、いいものですね」「事前の周知の期間もなかったのにこれだけ盛況でよかった」と。
私は、「これだけ買いたい人がいるのだから私は買うのを遠慮しようか」とも思いましたが、買うことで激励につなげ応援の気持ちを表したいと思い、夫にゆかりのある茨城のテントに行き、野菜を買いました。