かずこの想い

日本共産党区議会議員ぬかが和子の日々の出来事や想いを綴るページ

学校給食の放射能検査15区で実施

2012年08月07日 | 教育・子ども
危険な内部被ばくから足立の子どもを守ろう!

未実施はわずか8区
 区内の若いパパママさんから子どもの放射能の内部被ばくを危惧する強い声が上がり、議会にも毎回多くの若い傍聴者がかけつけています。
 そんな中、私たちは、議会事務局を通じて、学校給食の放射能検査の実施状況について、各区に調査依頼を行ったところ、左表ののような結果が明らかになりました。



 江東区では、調理前も67校中16校を抽出して検査、調理後は全校の検査を行っています。
これに対し、足立区では昨年109校中わずか15校を抽出し、調理後の調査を一回行っただけで、継続的な調査を拒否しています。学校給食は、日によって使う食材も異なり、たった1回の調査で終わるモノではありません。今年度全く調査をしていない区はわずが8区です。

なぜ内部被ばくが危険なの?
 小さな埃や粉塵等に付着した放射性物質そのものを食べ物とともに体内に取り込んだり、呼吸とともに肺から吸い込み、体内に入った放射性物質から放射線を受けるのが内部被曝です。
 外部被曝と異なり、内部被曝では体内に取り込まれた放射性物質により、それが体外に排出されるまでの間、至近距離から局所的に強い放射線を長い期間継続的に浴び続けるため、低線量でも危険性が高く、繰り返し放射線を受け続けた臓器に癌が発生しやすいとされています。
 実際にチェルノブイリ事故によりベラルーシは子どもと青壮年の甲状腺がんが激増しました。


子どもは細胞分裂が活発なため、その影響を大きく受けます。足立の子どもの命と安全を守るため調査結果を基に改善を迫りがんばります!

復興支援ボランティアに行ってきました②

2012年08月05日 | Weblog
同じ開成団地で、無料バザーも行いました


大変な人で、大盛況でした。


当初は団地入口で「青空バザー」の予定でしたが、団地の方々のご好意で
急きょ団地の集会所で行うことができました。
被災者の方々が、みんな笑顔になっているのが、ホントに嬉しかったです。


おじさんと会話しているのが私です。
トレードマークの青い「支援ボランティア」のビブス。このビブスを着ていると、みなさんが安心して下さいます。
善意の心が通い合うのです。


団地の集会所には、激励や暖かい言葉が沢山貼ってありました


バザーの片づけを終わり、外に出てみますと

手作りの流しソーメン用に竹が。
居住者の手作りで、後日小さなイベントを居住者同士でやるためだそうです。
「○○さんは何でも自分で作れるんだよね」などの会話。

しっかりコミュニティができあがっていました。

これから復興住宅建設、移住が、いま大きな課題だそうです。
「せっかく仲良くなれたのに、また離れ離れになって一人になりたくない」
「一緒にみんなで移りたい」などの声も切実でした。

私たちはたまたま縁があって石巻地方に行くことが多いのですが、
福島の避難者は、もっと深刻。

「消費税増税で大型公共事業」とか、「原発再稼働」とか、順番が違う!
もっともっと頑張りたい!と逆にパワーを得てような感じです。

被災地復興支援ボランティアに行ってきました

2012年08月04日 | Weblog
8月になったので、テンプレート変更してみました。余りに暑い日々なので、テンプレートだけでも涼しげに


またまたまた、区議団有志が中心となり、被災地に行ってきました!
炎天下の東北・石巻地方に


朝5時に区役所前に集合

トラック1台、ワゴン車2台で、14名で行ってきました。


東北道は、観光バスの事故と、お盆を前に至る所で震災本復旧の工事をやっていまして渋滞に次ぐ渋滞。
そのため今までで一番時間がかかりました。


救援センターに到着し、直ちにお預かりした「支援物資」の運びだしです。がんばっている「そぶえ元希」さんをパチリ。

「向こうに物が無いの?」とよく聞かれます。
売っているものはあるんです。でも、家を流され心が傷つき、再建の見通しも立たない中、義捐金も一時的なもので、経済的には大変です。


荷物の運び込みを終えて、救援センター倉庫内で打ち合わせ。真ん中が私です。


センター内には原発事故からの距離表示の地図がありました


今回私たちがお伺いしたのは、開成公園にある仮設開成団地。


早速、一軒一軒訪ねてご要望や悩みを聞く活動を開始。
「待っていました」とばかりに、息せき切って話し出す被災者の方々。許可を得て記念撮影しました。
回を重ねるごとに、悩みや困難が深く沈殿していることを痛感しました。

もともと地方なので広い土地や家に住んでいた方が、狭い仮設住宅に押し込められていて、そのストレスは大変だと。
一部屋四畳半の二間にひしめき合って生活。介護が必要でもベッドも入れられず、介護度が悪化した方もいらっしゃいました。

また、屋根がトタンで低いため、暑いこと暑いこと。

ある母子世帯では「小さい息子が、津波の後で遺体を見すぎて、ショックで記憶喪失になった」
別のところでも多かったのが「身内を失ったショックやPTSDで「うつ」になっている人が多い」ということ。
今、医療費助成の延長措置の廃止が問題になっていますが、大変なことだと痛感。

他のお母さんと会話。「消費税増税は痛い」
ぬかが「増税で生まれた財源で、大型公共事業再開するっていってるんですよ」
お母さん「何かそんなこと言っていたわね」
ぬかが「そんなことより、被災地の方々が安心できるまで、仮設住宅の最後の一人まで復興住宅など本当に生活ができるようになって、その後ですよね。他の公共事業は」

「私たちは最後の最後まで忘れないで支援がんばりますから」とお互いに目を潤ませながら固く約束をして別れました。