24日、「東京公害患者と家族の会 足立支部」「東京にあおぞらときれいな空気をめざす足立連絡会」が編集した「東京・足立の患者と住民が取り組む環境・公害・道路対策」という冊子の出版記念パーティーが行われ、参加しました。
この冊子は、足立の公害患者の会が中心となって、東京大気汚染裁判での和解条項にある「きれいな空気を」の実行を求めるとりくみ、科学者の視点、様々な記録や思いを綴ったものです。
読み応えのある冊子になっております。
出版記念会では、多くの方々が発言しました。
弁護士の黒岩哲彦先生
黒岩弁護士からは、冊子にも掲載されている東京大気汚染訴訟の提起の意義と、2007年6月の画期的な東京高裁和解勧告文について語られました。冊子から引用、ご紹介しますね。
原告、支援の取組みが東京高等裁判所の裁判官の心をとらえたことは明らかです。東京高裁第8民事部の原田敏章裁判長(2010年度に同民事部代表常任委員という、東京高裁のナンバー2の立場につかれています)は、和解勧告で次のように述べています。
和解勧告の革新は「本件訴訟の提起を、ひとり原告らの個人的な利益のためのみになされたものと矮小化すべきでなく、その社会的な意味を軽視すべきではない」としたことです。
私は、高裁の法定で、原田裁判長の和解勧告を聞いて、原告の労苦を思い浮かべて涙がにじみ出てきました…。
このように和解勧告の意義を紹介した後に、現代史の中でも、多くの方々が、自分の利益のためでなく、社会的意義から立ち上がり、社会を、歴史を動かしてきたことを感動的に語られました。
その黒岩弁護士からも「東京弁護士会から人権賞受賞」と紹介された東京原告団長の西さん。
受賞理由の一部をご紹介しますね。
「2006年には、自らがぜん息の重責発作によって入院し、九死に一生を得て復活してからは、不自由となった身体をおして運動の中心を担った。まさしく命を削って先頭に立つその姿は、原告団だけでなく、公害に苦しむ人々の希望の光として多くの人々に感銘を与えた。今日ではディーゼル排ガスが大気汚染公害の大きな原因となっていることはほぼ常識となっているが、西氏は、この事実が殆ど認識されていなかった時期からこの問題の重要性を訴えるとともに、対策の必要性を訴えてきた。和解交渉においては、大きな柱であった微小粒子状物質(PM2.5)の環境基準を制定させることを実現し、東京における大気汚染のオア以前に大きく寄与した」
黒岩弁護士からは、「西さんの受賞理由は全ての患者原告にあてはまります」との言葉もありました。
区議団からは、浅子けい子議員と私、ぬかが和子が参加、ご挨拶を行いました。
ご挨拶をしているところ。
公害患者の会は、私の議会の先輩、故今井重利さんがぜん息で苦しみ、議員引退後に会長になり、まさに命を削って力を注いできた会です。私にとって議会でのお父さんのような暖かいお世話になった方です。それ以来私もいろいろと関わりを持ってきました。きれいな空気のために、街路樹もふやすこと、高木中木低木を組み合わせること、国道や都道をもつ国や都は直接の被告であり、熱心に取り組んでいますが、足立区のもつ区道ももっと緑を豊かにできるはず、そんな思いからご挨拶をしました。
酸性雨研究会(科学者)の権上かおるさん。住民の大気汚染測定運動から待機の実態を分析、明らかにされてきました。
西新井本町に住む第二次原告の初山さん。在宅酸素を手放せず、まさに命を削りながら頑張ってこられました。「きれいな空気を、星空の見えるところで生きていきたい」の思いから、以前の公健法のような制度、新たな救済制度をもとめる活動の先頭に立たれています。
心が洗われるような、暖かい会でした。
この冊子は、足立の公害患者の会が中心となって、東京大気汚染裁判での和解条項にある「きれいな空気を」の実行を求めるとりくみ、科学者の視点、様々な記録や思いを綴ったものです。
読み応えのある冊子になっております。
出版記念会では、多くの方々が発言しました。
弁護士の黒岩哲彦先生
黒岩弁護士からは、冊子にも掲載されている東京大気汚染訴訟の提起の意義と、2007年6月の画期的な東京高裁和解勧告文について語られました。冊子から引用、ご紹介しますね。
原告、支援の取組みが東京高等裁判所の裁判官の心をとらえたことは明らかです。東京高裁第8民事部の原田敏章裁判長(2010年度に同民事部代表常任委員という、東京高裁のナンバー2の立場につかれています)は、和解勧告で次のように述べています。
和解勧告の革新は「本件訴訟の提起を、ひとり原告らの個人的な利益のためのみになされたものと矮小化すべきでなく、その社会的な意味を軽視すべきではない」としたことです。
私は、高裁の法定で、原田裁判長の和解勧告を聞いて、原告の労苦を思い浮かべて涙がにじみ出てきました…。
このように和解勧告の意義を紹介した後に、現代史の中でも、多くの方々が、自分の利益のためでなく、社会的意義から立ち上がり、社会を、歴史を動かしてきたことを感動的に語られました。
その黒岩弁護士からも「東京弁護士会から人権賞受賞」と紹介された東京原告団長の西さん。
受賞理由の一部をご紹介しますね。
「2006年には、自らがぜん息の重責発作によって入院し、九死に一生を得て復活してからは、不自由となった身体をおして運動の中心を担った。まさしく命を削って先頭に立つその姿は、原告団だけでなく、公害に苦しむ人々の希望の光として多くの人々に感銘を与えた。今日ではディーゼル排ガスが大気汚染公害の大きな原因となっていることはほぼ常識となっているが、西氏は、この事実が殆ど認識されていなかった時期からこの問題の重要性を訴えるとともに、対策の必要性を訴えてきた。和解交渉においては、大きな柱であった微小粒子状物質(PM2.5)の環境基準を制定させることを実現し、東京における大気汚染のオア以前に大きく寄与した」
黒岩弁護士からは、「西さんの受賞理由は全ての患者原告にあてはまります」との言葉もありました。
区議団からは、浅子けい子議員と私、ぬかが和子が参加、ご挨拶を行いました。
ご挨拶をしているところ。
公害患者の会は、私の議会の先輩、故今井重利さんがぜん息で苦しみ、議員引退後に会長になり、まさに命を削って力を注いできた会です。私にとって議会でのお父さんのような暖かいお世話になった方です。それ以来私もいろいろと関わりを持ってきました。きれいな空気のために、街路樹もふやすこと、高木中木低木を組み合わせること、国道や都道をもつ国や都は直接の被告であり、熱心に取り組んでいますが、足立区のもつ区道ももっと緑を豊かにできるはず、そんな思いからご挨拶をしました。
酸性雨研究会(科学者)の権上かおるさん。住民の大気汚染測定運動から待機の実態を分析、明らかにされてきました。
西新井本町に住む第二次原告の初山さん。在宅酸素を手放せず、まさに命を削りながら頑張ってこられました。「きれいな空気を、星空の見えるところで生きていきたい」の思いから、以前の公健法のような制度、新たな救済制度をもとめる活動の先頭に立たれています。
心が洗われるような、暖かい会でした。