これが母屋。2000年にこの施設が開放されたといい、現在は博物館ということらしい。中を見学します。
カストロ家には7人の兄弟姉妹がいたといいます。弟ひとりが彼と革命を共にし、彼の後継者として首相になったラウル・カストロ。彼と一緒にこの寝室で過ごしたのでしょうか。
彼は何歳までここで生活していたのか。リビングにはテレビもある。
兄弟の結婚の日にか、革命後の家族の写真があった。手前のテレビには「NATIONAL」とブランド名が。
彼はスポーツ選手としても秀でていたという。寝室のクローゼットにはユニホームが。「ウィキペディア」を開いてみたらこんなことが書いてあった。「2006年3月のワールド・ベイスボール・クラシック(WBC)の決勝戦、日本と戦うことになったキューバだが、フィデル・カストロは試合前、キューバ選手団に「試合に“勝て”とは言っていない。“ベストを尽くせ”と言っている」という名言を残した」と。結局この試合は、王貞治監督率いる日本が10対6で勝利するのでした。
大きな金庫が負傷していた。盗難にあったのかな。父親はサトウキビ農業の大地主。お金いっぱいあったんでしょうね。
階下に降りたら次の自動車があった。
母親が使っていたという1918年のフォードだと聞いたつもり。
最後に闘鶏場見学です。カストロ家ではこんな営業活動もしていたんだ。まさか家族の娯楽としてではなかったでしょう。
観覧席に上って撮影した闘鶏場。
観覧席で撮影している私をとらえてくれた方がいた。いい写真だ。なるほど天井はこうなっていたんだ。
大地主の敷地内には、農作業に携わる使用人の住居など300家族がせいかつしていたといい、農園内にはバー、電報局、病院、映画館、ホテルなどがあって、農場が一つの村であり、農園内で生活できるようになっていたそうだ。