真実一路くんのひとり言

だれがやっても同じやとあきらめず、一歩ずつ
長いものには巻かれず、真実を大切にして。

65回目長崎原爆の日に

2010-08-09 | 平和
「核抑止力」は必要という、6日の菅首相の記者会見での発言にはほんとうに情けなく思う。ああ、これが被爆国の首相かと…。

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「核なき世界」実現訴え=「禁止条約」支持表明へ―65回目長崎原爆の日 時事通信8月9日4時29分配信

長崎は9日、65回目の原爆の日を迎えた。爆心地に近い平和公園(長崎市松山町)で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、被爆者や遺族、菅直人首相らが参列し、原爆死没者の冥福を祈る。田上富久長崎市長は平和宣言で、潘基文国連事務総長が提案する「核兵器禁止条約」への支持を表明し、「核なき世界」の実現を国際社会に訴える。
 式典には、核保有国の英仏、事実上の保有国とされるイスラエルの代表や、国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長が初めて列席する。参加国は過去最高の32カ国となる見通し。

※記事中の太字は真実一路くん

潘基文国連事務総長、
広島でのあいさつ全文

 私たちは今、この神聖な場所に身を置き、自らの目で見て、感じ、吸収し、そして深く考えます。


 私は初の国連事務総長として、この平和記念式典に参加できたことを光栄に思います。そして今、深い感動に包まれています。


 広島と長崎に原爆が投下された当時、私はまだ1歳でした。私がここで何が起きたのかを十分に把握したのは、しばらく後になってからのことでした。


 私は少年時代を朝鮮戦争のさなかに過ごしました。


 炎上する故郷の村を後にして、泥道を山中へと逃れたことが、私にとって最初の記憶の一つとして残っています。


 多くの命が失われ、家族が引き裂かれ……、後には大きな悲しみが残されました。


 それ以来、私は一生を平和のために捧げてきました。


 私が今日、ここにいるのもそのためです。


 私は世界平和のため、広島に参りました。(この一文は日本語)


 私たちは65年前に命を失った人々、そして、その一生を永遠に変えられてしまったさらに多くの人々に対して哀悼と敬意の念を表するため、一堂に会しているのです。


 命は短くとも、記憶は長く残ります。


 皆さんの多くにとって、あの日はまるで、空を焼き尽くした閃光のように鮮明に、また、その後に降り注いだ黒い雨のように暗く、記憶に残り続けていると思います。


 私は皆さんに、希望のメッセージを送りたいと思います。


 より平和な世界を手にすることは可能です。


 皆さんの力は、それを実現する助けとなります。


 被爆者の皆さん、あなた方の勇気で、私たちは奮い立つことができました。


 次の世代を担う皆さん、あなた方はよりよい明日の実現に努めています。


 皆さんは力を合わせ、広島を平和の「震源地」としてきました。


 私たちはともに、グラウンド・ゼロ(爆心地)から「グローバル・ゼロ」(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けています。


 それ以外に、世界をより安全にするための分別ある道はありません。なぜなら、核兵器が存在する限り、私たちは核の影に怯えながら暮らすことになるからです。


 そして、私が核軍縮と核不拡散を最優先課題に掲げ、5項目提案を出した理由もそこにあります。


 私たちの力を合わせる時がやって来たのです。


 私たちには至るところに新しい友や同志がいます。


 最も強大な国々もリーダーシップを発揮し始めました。国連安全保障理事会でも、新たな取り組みが生まれています。また、市民社会にも新たな活力が見られます。


 ロシアと米国は新しい戦略兵器削減条約に合意しました。


 私たちはワシントンでの核セキュリティーサミットで重要な進展を遂げることができました。その成果を踏まえ、2012年には次回のサミットが韓国で開催される予定です。


 私たちはこの勢いを保たなければなりません。


 私は9月にニューヨークで軍縮会議を招集する予定です。


 そのためには、核軍縮に向けた交渉を推し進めなければなりません。


 それは、包括的核実験の禁止に向けた交渉です。


 また、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)に向けた交渉でもあります。


 また、被爆者の証言を世界の主要言語に翻訳するなど、学校での軍縮教育も必要です。


 地位や名声に値するのは核兵器を持つ者ではなく、これを拒む者であるという基本的な真実を、私たちは教えなければならないのです。


 皆さん、


 65年前、この地には地獄の炎が降り注ぎました。


 今日、ここ平和記念公園には、一つのともしびが灯っています。


 それは平和の灯、すなわち、核兵器が一つ残らずなくなるまで消えることのない炎です。


 私たちはともに、自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、その日を実現できるよう努めようではありませんか。


 そしてともに、広島の炎を消しましょう。


 その炎を希望の光へと変えようではありませんか。


 核兵器のない世界という私たちの夢を実現しましょう。私たちの子どもたちや、その後のすべての人々が自由で、安全で、平和に暮らせるために。 2010年8月6日09時43分  読売新聞)

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