超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

幸福と感動は悪と暴力である証明

2009-04-18 06:47:54 | Weblog
幸福や感動を求めると、
不幸や不快を異物排除せねばならない。

そのために快と不快の差別を強化し、
不快の排除を徹底せねばならない。

即ち、不快に悪と暴力を行使する。
これがいじめであり、いじめ殺しだ。

*。
幸福の追求は、
弱いものへ不幸を押し付けることだ。

即ち、強者を生きさせるために、弱者を死に排泄する。

これが幸福と感動追求の力学だ。

*。
ここに幸福一杯の人は、畜生・鬼畜・餓鬼となり、
悪魔地獄に居住することになった。

即ち、幸福と感動は、悪魔のお菓子だった。

そして悪魔屋敷で、強盗殺人に耽り、
その獲物が幸福と感動である訳だ。

*。
即ち、幸福と感動は、悪と暴力であった。
これにて証明終わり。

法の対偶は強盗殺人である

2009-04-18 06:26:50 | Weblog
国に誤りなしとするためには、
国に誤りあるとする人々を、異物排除せねばならない。

異物排除には、悪と暴力が使われる。
即ち、悪と暴力が強化され、
それは国を守るためだから、
悪と暴力とは認識されず、
悪と暴力は国家正義として正当化される。

*。
これは法の構造でもある。

法を守るために悪と暴力は、
強化され、
悪と暴力とは認識されず、
悪と暴力を正当化する。

かくして法は、悪と暴力と等価同型になる。
即ち、法は強盗殺人である。

*。
悪と暴力で守る国家秩序は、悪と暴力である。

即ち、国家は悪と暴力であり、国家は強盗殺人である。

   *。
これが現代に逃れようのない現実となった。

ヨーロッパは愛と正義の負帰還があり、
地獄の底には堕ちていない。

究極の感動産業は戦争である

2009-04-18 05:54:14 | Weblog
戦争は究極の大量破壊兵器である。

大量破壊兵器禁止とテロ防止は、
それを異物排除するために、
大量破壊兵器とテロが必要になる。

即ち、大量破壊兵器とテロ禁止は、
大量破壊兵器とテロを強化し、
それを隠蔽し、
それを正当化する。

大量破壊兵器とテロ禁止は、
大量破壊兵器とテロによって行われる。

*。
西欧思想はヘゲモニー追求である。

大量破壊兵器とテロを一国だけにすることである。

その結果、アメリカ一国に集約した。

その結果アメリカはアメリカに破壊された。

ただ一国の持つ大量破壊兵器とテロは、
自殺兵器だった。

*。
大量破壊兵器とテロの禁止のための、
大量破壊兵器とテロは、
自分の中に自分を敵とする自分を自分で作ることである。

自分の中の敵を殺した時、
それは自分の一部を殺すことだから、
結局自殺となる。

ヘゲモニーは自分の中に自分を敵とする自分を作ることだ。

即ち、自分が自分自身を自分とする自分を作ることだ。

敵は外にあるが、それは自分の中にある敵と同じだ。

これがガンの仕組みだ。
外のあるものが自分の中にある。

敵を食うことは、自分の尻尾を食うことだ。

これが現世の存在構造で、
理論理性にこれが見えない!

    *。
構造理性では、感動は殺人である。

感動を作れば、それは殺人を幸福とすることだ。

現実がそれを実証している。
だが理論理性にそれが見えない。

*。
理論理性は、全体なき部分だ。
即ち、今これここ現象だ。

即ち、戦争が自己破壊現象であること知ることができない。

即ち、理論理性は自分を見ることが出来ない。
戦争は結局自分との戦争でしかない。
即ち遠まわしに自殺だ。

いじめ今年もこの死の本能にある。

即ち、理論理性や感情に、感動は殺人であることを知ることができない。
ただ感動だけを見る。

    *。
現実に不満が集積すると、
これは戦争でガス抜きされ、
その爆発は不満を一掃する。

即ち、戦争は感動となる。

お上日本の三段階理論

2009-04-18 05:04:04 | Weblog
お上は非国民を、神の立場に立って、断罪リンチする。
即ち、国に誤りなし→国を守る→国のために死ね。

神の立場に立つことがお上の立ち位置で、
これが国に誤りなしである。

非国民を断罪することが国を守ることであり、

非国民をリンチすることが、国のために殺すことである。

*。
山形刑務所で看守が受刑者に言った。
お前は悪い顔をしている→生きている価値がない→頭をゴツン。
励ましにためにいったんだそうだ。

財布がない→お前が盗んだ→金を出せ。

*。
これがお上日本の三段階理論である。

日本人は三度殺される。
現象で殺され、実体で殺され、本質で殺される。

国家の言いなりになれ。
言いなりにならないものは非国民だ。

これが日本人のダブルバインドだ。
国家の言いなりでも殺され、
逆らっても殺される。

お上の中にマスコミ・言論界・学界も入るし、国民も入る場合がある。

お上に殺され、
マスコミ・言論界・学界に殺され、
国民に殺される。

    *。
中国人は日本文学にこういった。

日本文学はドロドロしていてすっきりしていない。

→日本文学はネバネバしていて、大変苦しい。

→日本文学は、ベタベタしていて実に耐えられない。

これは日本の三段階理論に対応する。

*。
国に誤りなし、何とドロドロしていてすっきりしないことだ。

国を守る、何とネバネバしていて、苦しいことだ。

国のために死ね、なんとベタベタしていて、耐えられないことだ。

*。
かくして、
一番楽になる方法は、国の言いなりになることだ。

警察に無実で捕まえられてもこうだ。

生活保護を申請してもこうだ。

*。
職場でも、学校でも、家庭でも、友達関係でもこうだ。

お上日本はいじめ殺しの社会であり、
殺されない方法は、国家の言いなりになることだ。

即ち、自分で自分を殺す。

これを無私無心という。

こんな日本を誰が作ったか。
仏教儒教ではないか。

*。
そして悟りの感動に逃げ込む。

即ち、現世を悪党に丸投げする。

即ち、殺してくれて有難う。

即ち、誰も恨まず、憎まず、怒らない。

この自分を怒らないことが心の修行であり、
これが究極の感動だ。

*。
殺人と幸福をショートさせることが、修行ではないか。

これが日本人の感情と言葉のMoebius構造だ。

殺人と幸福のウロボロス構造に絞め殺させる、
これが日本人の生き方であろうか。