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にしみの鉄道情報局付属ブログ

スシ28 301

2018-04-11 | 鉄道


京都鉄道博物館にはスシ28 301という車両が保存されています。この車両、スシ28として営業運転したことは1度もない車両だったりします。



もともとは1933年にスハ32系の食堂車2等車合造車のスロシ38形として製造されています。戦争中の1944年に食堂車が廃止になり、食堂部分を座席に変更して、調理室付三等車マハシ49形となりました。もともと食堂車なので出入り口がなく、その改造も困難で、さらに戦争中の資材不足の影響か、調理室部分の撤去まで手が回らず、この時期の食堂車転用の車両は調理室部分を残したまま、座席車になっています。
戦後食堂車が復活する時にマハシ49形は、再改造され食堂車として復活することになり、幾つかの改造車が登場していますが、1953年時点でマハシ49形として残存していた車両は食堂車と座席車の合造車のスハシ38形となりました。
その後、急行日本海に連結して運用されていましたが、1961年に廃車になり、大阪弁天町の交通科学博物館の展示車になるときに、座席車の部分も食堂化され、架空のスシ28 301になりました。スシ28形は戦前製のスシ37形(この車両も戦争中は座席車化され、戦後食堂に復元されています)のうち、冷房がない車両が1953年に区別されてできた形式で、もちろん300番台は存在しません。ただ、もともとスハシ38形の食堂部分は、スシ28形の戦後の食堂復元時と近い構造だったようで、全室食堂化でスシ28 301を名乗ったのはあながち間違っていないようです。

交通科学博物館展示後は、実際に来館者用の食堂として使用していましたが、20系のナシ20形が交通科学博物館に保存された後は、こちらに食堂としての機能を譲り、通常の展示車両に戻っています。京都鉄道博物館に移設後も、スハシ38への復元は行われず、交通科学博物館時代ほぼそのまま展示されています。

京都鉄道博物館の説明文には「当初は、食堂車と2等座席の合造車のスロシ38000形として製造されました(中略)その後、旧交通科学博物館にて展示される際に車内全室が食堂車に改造されスシ28形301号車になりました。」と書かれています。以前の交通科学博物館の説明文には、展示されるために全室が食堂車に改造された事は書かれていなかったので、多少マシになったようです。それでもさすがに架空の形式であることは、説明文には書かれていません。


妻面には銘板が5枚も貼られています。右下から昭和8年(1933年)の日本車両の製造銘板、日本国有鉄道の銘板、昭和28年(1953年)の旭川工場でのスハシ38への改造時の銘板、左下から昭和28年(1953年)の旭川工場での更新修繕(スハシ38への改造と同時に施工)の銘板、昭和36年(1961年)の高砂工場での改造の銘板の5枚になります。高砂工場の銘板は、交通科学博物館での展示を前提とした改造に対して、貼られています。戦争中のマハシ49形への改造銘板は資材不足の時期のためか貼られていません。




台車は今となっては珍しい三軸ボギー台車のTR73形を装着しています。戦前の優等列車用の客車、一等車や二等車、食堂車などは三軸ボギー台車が一般的でしたが、戦後は一部の特大の貨車(50t積の大型タンク車のタキ50000形や一部の大物車など)しか例はありません。ちなみに隣に展示されているマロネフ59形も、三軸ボギー台車を装着しています。
三軸ボギー台車の乗り心地は、バネが柔らかくできるので良いと言われていますが、当然ながら体験したことはありません。

撮影 2017年1月3日
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