日々のこと。

オカメインコのココとククとキキとの暮しを徒然なるままに。
(ククは闘病の末2012.6.5に旅立ち、キキが来ました。)

ここときき。

2019-03-11 18:38:44 | 日記
先週金曜のココの通院日、待合室で一緒になったおばあさんとの話。

「まあ、ココちゃんとキキちゃんっていうのね。」

と、おばあさん。

おばあさんは文鳥を連れてきていました。

「うちの孫のもね、こことききなの。」

「へえ~、うちと同じですね!」

「喜ぶという漢字が二つで”きき”、にんべんに子(仔)を二つで”ここ”なの。」

「うちもキキは喜ぶの喜、という意味も込めてつけたんですよ。」

「今の子はそういうのもあるみたいでねえ。」

「そうなんですか~。」

なんて話していたのですが、どうもおばあさんが何度も同じような話をするので、ハタと気づきました。

「もしかしてお孫さんの名前がそうなんですか!?人間の名前が??」

「そうなのよ~、孫の名前がこことききなのよ」

って、びっくり。

てっきりお孫さんが飼っている文鳥の話かと思ってしまっていました。

なんだかそのお孫さんに申し訳ないような、微妙な気持ちかも、いや、でも、なんだか嬉しいかも・・。

きっとうちのココの方がずっとずっと年上なんだろうなあ。




今日は3月11日、8年前のこと、今でも鮮明に頭の中に焼き付いています。

あの時はきーちゃんはいなくてククがいて、グラグラ揺れだしてココとククが大騒ぎしながら籠に貼りついて、その脇をデロンギのヒーターがゴロゴロ動いて、ドアがバタンバタンと何度も開いたり閉じたりして、別の部屋では物がドサドサ落ちる音がして、私はとにかく二羽を守らねばと、しゃがみ込んで二羽のケージを両手を広げて必死で抱えていました。

デロンギのヒーターが激突しそうだし、揺れは10分以上続いていたし、テレビでは「大津波警報が・・」と、初めて聞く言葉が流れていて、何が何だか、現実とは思えない光景でした。

何が起きているか把握しきれていないまま、あの夜、りょーちゃんは無事でしたが帰宅はできず会社泊。

一人で二羽と余震の続く夜を過ごしました。

二羽が無事でよかった。

自分が生きている間にあんなことが起きるなんて思ってもいませんでした。

でも、あれ以降、自然の大災害が頻繁に起きています。

自分の飼っている鳥を守るのは自分しかいないのだからと、気持ちを新たにまたがんばっていこうと思います。

それにしても、パニックもちのきーちゃんがもしあの頃いたらさらに大変なことになっていたんだろうなあ。

傍に寝るとかえってパニック起こされそうなのでそれもできないし、その辺なかなか難しいです。





















































































































































にほんブログ村 鳥ブログ オカメインコへにほんブログ村