木下恵介監督は、阪妻の事を小さい頃から観ていて、いつか一緒に仕事がしたいと熱望していた。阪妻は、木下という監督の才能に惹かれ、遂に二人は仕事を一緒にする事になる。それが『破れ太鼓』である。木下恵介が脚本を書き、会社を通して、阪妻に渡した。しかしながら、一ヶ月待っても阪妻からの返事は来ない。痺れを切らした木下恵介は、会社に阪妻に会わしてくれる様に強く頼む。こうして、二人は直接、会うことになった。そこで阪妻が言ったのは、「この主人公の人間的な厚みがでませんかねえ」と遠慮がちに言ったという。そこで、木下恵介は脚本を持って帰り、あるシーンを書き加えて、京都に送った。阪妻は撮影所に現われた。撮影が始まった。あるシーンとは、「会社を倒産させた阪妻演じる主人公が泣きながら、カレーライスを食べ、息子の弾く、主人公を揶揄する曲を聴く」という有名なシーンである。阪妻は木下に言ったそうだ。「私が考えていたのとは違う直しでしたが、数段素晴らしいホンを頂き有り難うございました」と。才能と才能のぶつかり合い。それが極上の素晴らしいものを生むのだと僕は思う。
京都・嵐山の「二尊院」に「阪東妻三郎」の墓がある。参道を上がっていって、境内に入り、右の方に行くと大きな木があり、その下に、小さな墓石が建っている。知らないと見過ごしてしまいそうになるほど、控え目に墓は存在している。あの大スターがここに眠っているのかと思うと、僕はドキドキした。「二尊院」はいい感じのお寺である。心が和む。嵐山の喧騒からも少し離れていて、ロケにも行った事があるのだが、たたずまいがとても良い。阪妻は52歳で亡くなった。長男の田村高廣は昭和3年8月生まれ、うちの父は同年9月の生まれだから、僕から見ると阪妻は「祖父の世代」という事になる。「純情無頼 小説 阪東妻三郎」(文春文庫)を読了して、ますます「阪妻」が好きになった。本当に素晴らしい本である。お薦めお薦め。
エキストラ専門の会社が東京にも京都にも大阪にもある。これが儲かるのだ。エキストラのギャラは決められており、あらかじめ決められた時間を過ぎると超過料金を取られる。「卒業式のシーン」や「朝の通勤風景」などはたくさんのエキストラがいる。エキストラ派遣会社は、テレビ局や映画会社、制作会社が支払うギャラの一定金額を手数料として取る。損は絶対しない。京都のロケで、地元のエキストラ会社のおばちゃんと喋ったことがあるが、彼女の会社は溝口健二が「雨月物語」を撮った半世紀前くらいから、代々、この仕事をしているとの事。京都のエキストラは、ちゃんと自分達で、カツラは付けられるし、着物も着られる。そして、ロケ場所が移動した場合は、みんな自前の「原チャリ」でロケバスの後ろを付いてくるのだ。とっても仕事がしやすい。
京都は20世紀初頭から映画を撮っていたという事があり、地元を仕切っている「テキヤ」ともちゃんとルールができていて、嵐山の「どこどこ」は「××テキヤ」に「日本酒を二本」を持っていけば、撮影OK。(もちろん、警察には撮影許可書の提出は必要だが)便利な仕組みになっている。「歴史が文化を創っている」のである。
京都は20世紀初頭から映画を撮っていたという事があり、地元を仕切っている「テキヤ」ともちゃんとルールができていて、嵐山の「どこどこ」は「××テキヤ」に「日本酒を二本」を持っていけば、撮影OK。(もちろん、警察には撮影許可書の提出は必要だが)便利な仕組みになっている。「歴史が文化を創っている」のである。
30代の女性タレントの勢いが凄いと思う。「30代の女性」を「売り」にしている。実名を挙げるのは避けるが、「負け犬」という言葉が世に出てきて以降、それを使って、バラエティー番組で、笑いを取ったり、話題を独占したりしている30代タレントを最近よく見る。視聴者自体の「晩婚化」の影響で、彼女達に「親近感」が増しているのかもしれない。自分達の代弁を小気味良くしてくれるのが女性視聴者にとってスカッとするのかも。或いは、「私はこうはならない」というある種の「優越感」で彼女達を見ている女性もいるかもしれない。「すきま家具」ならぬ「すきまタレント」である。
珍駅名というのがある。「京終」(JR桜井線)と書いて、「きょうばて」と読む。「放出」(JR学研都市線)と書いて「はなてん」と読む。以上は関西だが、東京でも「我孫子」や「西日暮里」を初めて読む人は、何と読むのか、考え込むかもしれない。日本語は難しい上に、このように例外的な読み方をする。日本人に生まれて良かった。外国人が「日本語」を勉強するのに比べ、日本人が「英語」を勉強する方が楽だと思うからだ。と言っても、僕は英語は「自分の意思を伝えられる程度」だが。
大塚周夫という声優さんがいる。「チキチキマシン猛レース」の「ブラック大魔王、」「ゲゲゲの鬼太郎」の「ねずみ男」、チャールズ・ブロンソンなどの声をやっていた。その息子さんの大塚民夫さんが今、テレビアニメ「ブラック・ジャック」でB・Jの声をやっている。声優親子である。「バカボンのママ」と「ルパン三世の峰不二子」は同じ増山江威子さんがやっている。(「ルパン三世」のファーストシーズンのみ、違う人がやっていたが)
「ゲゲゲの鬼太郎」の「鬼太郎」と「銀河鉄道999」の声はどちらも野沢雅子さんだし、「銀河鉄道999」のメーテルの声は、オードリー・ヘップバーンをやっていた池田昌子さん。僕は「ふしぎなメルモ」のメルモをやっていた武藤礼子さんが好きだった。この人は確か、エリザベス・テーラーもやっていたはず。ちょっと、変わったところでは、「警部マクロード」のマクロードをやっていたのが、宍戸錠さんだった。広川太一郎さんは器用で、007のロジャー・ムーアもやっていたし、「グレート・レース」のトニー・カーティスという三枚目の役もやっていた。そういえば、この人は「Mr.BOO」シリーズのマイケル・ホイもやっていたんじゃなかったかなぁ。凄い人だ。
「ゲゲゲの鬼太郎」の「鬼太郎」と「銀河鉄道999」の声はどちらも野沢雅子さんだし、「銀河鉄道999」のメーテルの声は、オードリー・ヘップバーンをやっていた池田昌子さん。僕は「ふしぎなメルモ」のメルモをやっていた武藤礼子さんが好きだった。この人は確か、エリザベス・テーラーもやっていたはず。ちょっと、変わったところでは、「警部マクロード」のマクロードをやっていたのが、宍戸錠さんだった。広川太一郎さんは器用で、007のロジャー・ムーアもやっていたし、「グレート・レース」のトニー・カーティスという三枚目の役もやっていた。そういえば、この人は「Mr.BOO」シリーズのマイケル・ホイもやっていたんじゃなかったかなぁ。凄い人だ。
うちの母方の祖父はNHKの午後7時のニュースを必ず見ていた。まだ僕が子供の頃である。だから、祖父の住む岡山に行っても、午後7時からのアニメとかは見られなかった。厳しい祖父だった。スリッパの並べ方から、お風呂での体の洗い方まで、徹底的に指導された。家も塵一つ落ちていなかった。さすが、「明治の男」という感じ。背広のズボンの線もピシッと入り、ダンディーだった。感じは俳優の「笠智衆」。もう亡くなって、何年が経つのだろう。「礼儀」とか「礼節」が消えた現代日本を見たら、腰を抜かすかもしれない。
「赤坂」は坂の多い街だから、「赤坂」と聞いた。六本木はかつて「六本の木が生えていた」のだろうか?素朴な疑問である。ちなみに、僕は赤坂も六本木も街としては苦手。大阪ミナミのケバケバしさむんむんの「新宿・歌舞伎町」が大好きである。「お澄ましした街」が嫌い。六本木ヒルズも行こうとも思わないし、赤坂や六本木で高い金を使って飲むんだったら、新宿の居酒屋で安心価格で飲んでいる方がよっぽどいい。特に「新宿ゴールデン街」は僕のホームグラウンドである。ボトルさえ入っていれば一人2500円で飲める。それといろんな人と知り合える。いつも通っている店には、様々な人が来る。JR関係の人、IT関係の人、グラフィックデザイナー、元・大蔵大臣・・・最近は少ないが熱い口論になることもあった。そんな「人間くささ」が大好きだ。
僕が大学受験の勉強をしていた時、ABCラジオでは「ヤングリクエスト(ヤンリク)」、MBSでは「ヤングタウン(ヤンタン)」をやっていた。僕はラジオを聴きながら勉強するのがダメなので、時々しか聴いていなかった。友人にはラジオを聴きながら、勉強している奴もいたが。ラジオと言えば、テキストを買って「ラジオ講座」を「ラジオ関西(今のAM神戸)」で聴いていた。今でもあるのかどうかしらないが、僕の受験勉強の中では、これがいちばん、役に立った。図書館で勉強する奴も多かったが、僕は他人がいると気が散るので家で勉強していた。読書が好きだったので、1時間20分勉強したら、10分間、読書ができると自分で決めて、目標を作って勉強した。
そういえば森一郎の「試験にでる英単語(シケタン)」「試験にでる英熟語(シケジュク)」というのは今でもあるのだろうか?「赤タン」というのもあった。「シケタン」の最初の単語は「intellect」だった様な気がする。
そういえば森一郎の「試験にでる英単語(シケタン)」「試験にでる英熟語(シケジュク)」というのは今でもあるのだろうか?「赤タン」というのもあった。「シケタン」の最初の単語は「intellect」だった様な気がする。