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本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

古畑任三郎vs SMAP のオープニング

2024年06月30日 | テレビドラマ




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「オマエ、殺すぞ!」と言った後輩プロデューサー

2023年07月25日 | テレビドラマ
「ビッグモーター」のニュースが新聞やテレビのニュースを賑わせている。

上司から部下に「◯◯しなければ、殺すぞ!」というLINEの画面をニュースで見て、この会社、ホンマにおかしいとつくづく思った。狂気の沙汰である。

僕も数十年前、似た様な経験がある。

「オマエ、殺すぞ!」

ある時、新宿2丁目のバーで一緒に仕事をしていた後輩に面と向かって言われた。彼が酔っていたとはいえ。何故、彼がそう言ったか、「理由」はここでは書かない。

僕は「その言葉を根に持つ」のでは無く、「哀しい」のである。だから、「その言葉を忘れられない」。僕は死ぬまで忘れないだろう。

彼は今も「テレビ番組」を作っている。

でも、「人に対しての『優しさ』を持っていない彼が作る番組」を僕は観る気が全く無い。彼が「番組制作」に関してどんなに優秀だとしても。

「テレビ」をやっているからと言って、「周りの人たちを傷付ける権利」は無い。

「優しさ」「謙虚さ」「遠慮」「礼儀」「人見知り」が必要だと思う。

先程、「彼の番組」を全く観ていないと書いたが、この間、偶然観る機会があった。

僕の個人的感想だが、「番組として成立していなかった」。

妻に話す事がある。
「オマエ、殺すぞ!」と言われた瞬間の事。その時の僕の気持ち。

妻は言い放った。

「そんな人にはいつか、『誰かからのしっぺ返し』が来るよ。もう一刻も早く忘れた方が良いよ」

その通り。彼の為に僕が「子の刻参り」をするのは時間があまりにももったいない。

「人の気持ち」が分からなければ、「ドラマ」は作れない。
そういう事だ。

「ドラマのプロデューサー」は、「キャスト」「スタッフ」「社内の関係者」の前では、自信に満ち、的確で早い判断をしなければならない。

しかし、一歩現場を外れれば、「自信の無い1人の人間」で良いのである。いや、そうであらねばならない。

「怖い上司」には全く文句が言えないのに、僕が「気が弱い」と分かると、「オマエ、殺すぞ!」と言えるプロデューサーが人間を描く「ドラマ」を作れるはずが無い。

やはり、「怖い上司」には「強く」、「弱い上司」(上司だけじゃ無く、すべての人々に対して)には「優しく」。それが「人間を描くドラマ」を作るプロデューサーの資質だと僕は思う。

山田太一さんのドラマの目線は「いつも人に優しい」。それは
師匠である木下惠介監督譲り。

先日、このfacebookにも書いたが、この映画も優しい。「キャスト」「スタッフ」、そして「脚本」「監督」を手がけた吉田竜平さんの「人に対する目線」がとんでもなく優しい。

君は永遠にそいつらより若い [DVD] https://amzn.asia/d/6oXy7Wy

「特典映像」を「本編」を観る前に観て頂きたい。

「ドラマの撮影現場」は過酷なスケジュールなので、雰囲気が殺伐としがちだ。しかし、この映画の「メーキング映像」を見ていると、それが全く無い。この映画に関わったすべての人々が「クランク・アップ」するのをとてもとても惜しんでいる。理想的な現場だと思う。

現場の雰囲気は必ず画面に表れる。

今の日本で求められているのは、こんな映画やテレビドラマだと僕は思う。

違うと思う方、手を挙げて!
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ドラマや映画の「早撮り監督」

2023年07月21日 | テレビドラマ
僕が大阪で甲斐智枝美主演の「見上げればいつも青空」という「朝の連続ドラマ」の助監督をやっていた時の事。

元・毎日放送の瀬木さんという監督と仕事をした。

瀬木さんは「毎日放送」にいた時代、「賞取り男」と言われ、数々の名作ドラマを手がけてきた。

フリーになった瀬木さん。

ある日、翌日のロケの「カット割り」をコピーする為、監督から台本を借りた。4ページにわたるシーンが有ったのだが、「白紙」で何も書かれていない。

監督が「カット割り」し忘れたのかと思い、確かめに行った。

そうすると、監督は「シーンのアタマのページ」を指差してこう言う。

「ずっと、『2LWS』(出演者2人の腰まで入った少し広めの画)」でいくんだと。

4ページ強、同じ「映像」でいくらしい。

翌日の撮影現場。撮影が始まると、長いシーンなので、出演者が台詞NGを出してしまう。

そうすると、「シーンのアタマ」からやり直すのでは無く、NGが出た所で「出演者のアップ」を1カット撮って、また、「2LWS」で撮影は続行。

NGを出した出演者が悪いので、「基本、カット割りは変えない」というのが監督の理屈。

「早撮り監督」とはこういうものだと学んだ。

瀬木監督は「制作会社」に呼ばれた。撮影は「3週間分を2週間」で撮り上げるスピード。これがプロデューサーの目的。

「早撮り」してもらえれば、「制作会社」はそれだけ「製作費」が浮く。万々歳なのである。

瀬木監督も「毎日放送の局員」の時は「倉本聰さん脚本のドラマ」を粘って撮っていたと聞いたが、「フリーの監督」になると、そうはいかない。「早撮り」である事が必要条件の重要な要素なのだ。次の仕事のオファーが来る為にも。

読売テレビの香坂信之監督は3日間で「2時間ドラマ」一本を撮り上げていた。

普通の「2時間ドラマ」は約2週間をかけて撮るのが普通のスピード。3日間は驚異的な「早撮り」だ。

「木曜ゴールデンドラマ」(基本、読売テレビ制作日本テレビ系・1980〜1992)の「嫁姑もの」をたくさん撮り、毎回25%を超える世帯視聴率を上げた。

「京都」が舞台の「嫁姑もの」でも一切、「京都ロケ」は無い。

テレビが「アナログ」だから出来たのであろうが、「京都の情景」は「京都の絵ハガキ」を買って来させて、それを撮る。(これ、今やったら「写真の著作権」に関わる。40年位前の話です)

あとは全て、「スタジオ収録」。

幅2メートル位の「京都のお寺の設定の塀」をスタジオに建てて、「二人芝居」をずっと「2S(2人の芝居)」でカットを割らず撮る。

和室で「嫁と姑」の2人芝居。複数のカメラで撮るが、女優2人は座りっぱなし。

あの「ミヤコ蝶々さん」が「座っているのに飽きたから歩かせてくれ!」と言ったらしい。

同じセット、同じアングルで撮れるシーンはどんどん撮っていく。だから、出演者は「衣装替え」に追われる。

結果、撮影が何時間も巻く(元のスケジュールより早く終わる事)と、「後から入って来る出演者の入り」が間に合わなくなる。

その場合は、「基本、その出演者の出ているシーンはカット」。必要であるか無いかの判断は早い。

香坂さんのADをやっていた、のちに名ディレクターになる鶴橋康夫さん。

スタジオ収録で、マイクが画面に映り込んだので、勝手にNGを出したら、香坂さんに怒られた。

「スタジオで撮っているのだから、マイクが映るのは当たり前やろ!」と。

僕が新人の時、東映東京撮影所で香坂信之監督が撮影しているドラマの現場に立ち会った。

和室での女優さんの2人芝居。夏のシーンで、1人の方が
画面奥にある冷蔵庫から麦茶を取って来る。

麦茶を取って、冷蔵庫を閉めたら、力が強すぎて、冷蔵庫のドアが再び開いてしまった。

2人の女優が喋る向こう側に、ドアが開いたままの冷蔵庫が延々と映っている。

それでもこのシーンはOKになった。

香坂監督はお酒が好きで、飲みたい為に撮影を早く終わりたかったとも。

香坂信之監督は「木曜ゴールデンドラマ」が終わったと同時に61歳で亡くなった。

「大映京都」の森一生、「大映テレビ」の江崎実生、「東映」のマキノ雅弘(正博)、大作映画を数多く撮った「新東宝」の渡辺邦男、「早撮り監督」は多数いるが、この人たちは「賢く」「撮影を熟知」している。

映画もテレビドラマも「限られた予算」で制作する。

「早撮り監督」が余らせた「予算」で他の監督が撮影出来ている事も多いと思う。

昔から、「早撮り監督」に興味がある僕である。
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北川学さんとドラマ「VIVANT」

2023年07月18日 | テレビドラマ
北川学さん。僕らは25年以上前に知り合った。

昨夜、敵陣視察(毎週「CODE」というドラマを読売テレビ制作・日本テレビ系で放送中)の為、TBSの「VIVANT」を観ていた。

そのエンドクレジットに「北川学さん」の名前が「スケジュール 北川学」として載っていたのである。「演出 福澤克雄」の時、最近、必ずスケジューラーは北川さん。あの「半沢直樹」も北川さんがやっていた。

北川学さんには、連続ドラマ「心療内科医涼子」のチーフ助監督をやってもらったのが初めての出会い。25年以上前の話。

ドラマの後半「第8話」で、1本「演出」してもらった。サブタイトルは「トラブルメーカー」。ゲストは「松嶋菜々子さん」。松嶋菜々子さんがブレイクする直前だった。

北川学さんは「ドラマ初演出」。撮影現場の近くのロケバスに僕がいると、「脚本」について、いろいろ訊きに来て、二人で熱いドラマの話をしたのを今でも鮮明に憶えている。彼が撮った回はとても面白く、よく撮れていた。

彼はフリーでやっていて、その後、TMC(東京メディアシティ・砧スタジオ)で偶然再会、立ち話をした。その時はフジテレビのドラマの「演出」をやっていた。

「フリーの助監督」がドラマの「演出」を任される機会は本当に少ない。現実は、「テレビ局のディレクター」が優先される事が多い。

「演出」の機会を得ても、「撮影のスピード」と「出来上がったドラマのクオリティ」がシビアに問われる。「俳優を御する力」も。

「テレビ局のディレクター」なら、「プロデューサー」に「文句の1つも言える機会」があるが、「フリーのディレクター」にはそれが無い様に思う。

僕はドラマを観る時、必ずエンドクレジットをテレビ画面に顔を近づけて見る。一緒にドラマをやったスタッフがいるかどうかを探すのだ。

モンゴルへ長期間ロケをした「VIVANT」。主役級の俳優が何人も出演している。

そんな中、「撮影スケジュール」を書くのは大変な仕事だと想像する。

「北川学さん」もドラマの「演出」を今でもやりたいのでは、と思う。

「食べる為に好きなドラマの仕事をする」

「VIVANT」という「映画ではないか?と観てて思わせる素晴らしいドラマ」に関わっている北川学さん。

これからも、エンドクレジットを凝視して、君が関わっているドラマは観ていくので、極暑の夏、健康に気をつけて頑張って欲しい。
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ドラマのシナリオ

2023年07月05日 | テレビドラマ
ドラマの「シナリオ」が本になる時、小説の形を取って、「ノベライズ」される事がほとんどだ。

僕は山田太一のドラマが大好きで、「ドラマのプロデューサー」を志した。

今はそのほとんどが絶版の「山田太一シナリオ全集」をほとんど全て持っている。

倉本聰さんも「北の国からシリーズ」のシナリオを全て集めた。

そして、僕がいちばん敬愛する素敵な台詞を書き続けた向田邦子さんの、新潮文庫から出ているシナリオも全て買い、読破した。

先日、脚本家の遊川和彦さんと食事をした時、訊いてみた。

「遊川和彦さんはどうしてシナリオを本で出版しないんですか?シナリオが『ドラマの設計図』で、映像化されたものが『完成品』だと思っているからですか?」と。

遊川さんの答えは、
「どこからもシナリオを本にしたいというオファーが来ないからだよ。オファーが来たら、いつでもシナリオを本にしたいと思ってるよ」

遊川和彦さんの「予備校ブギ」(TBS系1990年)、「ADブギ」(TBS系1991年)、「オヤジぃ。」(TBS系2000年)、「さとうきび畑の唄」(TBS系2003年)などのシナリオをじっくり読んでみたい。

関西テレビの連続ドラマ「エルピス」(関西テレビ制作フジテレビ系2022年)をプロデュースした佐野亜裕美プロデューサーは関係各部署に根回しして、「エルピス」のシナリオを本にした。

フジテレビの連続ドラマ「silent」(フジテレビ系2022年)のシナリオも本になっている。台詞が素晴らしいドラマだったから、シナリオ本も売れるとフジテレビが判断したからだろう。

もちろん、プロデューサーの村瀬健さんも脚本家の生方美久さんのシナリオをたくさんの人に読んでもらい、本として残したいという思いも強くあったと思う。

僕は「A型肝炎」で3週間入院した時、「黒澤明全集」全巻を夢中になって読んだ。黒澤明が監督した映画のシナリオが全て載っている。他の監督の為に書いたシナリオも含めて。

僕の知り合いの助監督は、この全集の中の映画「用心棒」のシナリオを勉強の為に、「手書き」で書き写したという。

そうする事によって、黒澤明監督がどういう意図を持って、そのシナリオを書き上げたかが朧げながらに分かってきたそうだ。

僕が今いちばん読みたいシナリオは木下惠介監督のもの。

木下惠介監督はシナリオ作りをする時、旅館の和室に敷かれた布団の上に寝転んで、シナリオを「喋り」、「口述筆記」で助監督がそれを書き留める。

木下監督の「口述筆記」をした助監督の一人が後の脚本家・山田太一である。

木下監督は映画全編の「口述筆記」が終わると、それがそのまま「決定稿」になり、撮影に臨んだ。天才と言うしか無い。

山田太一は木下惠介が疲れて寝ている間に、自分ならこの先のシナリオがどうなるかを紙に書き留めていた。

木下監督が起きて、「口述筆記」を再開すると、山田太一が想像もしていなかった展開にシナリオはなっていった。

1997年放送の連続ドラマ「心療内科医涼子」。

脚本家・森下直さんの書いた第一話のシナリオを読んだ時、その素晴らしさに僕たちプロデューサー陣は心が激しく震えた。

そのホンには、「宝石の様な台詞」が散りばめられ、「構成」もしっかりと作り込まれていた。

これで、室井滋さん演じる主人公・涼子先生のキャラクターは成立したと僕たちプロデューサーは思った。涼子先生が動き始めた瞬間だった。

「シナリオ」、それは「ドラマの設計図」であるかも知れないが、僕自身はそれ自体が「ビビットに完成された文学」だと思う。

「ノベライズ」を出版するのは止めて、「シナリオ」を出版して欲しいというのが僕の切なる願いである。

皆さんはどう思いますか?
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ドラマの撮影スケジュール表

2023年07月04日 | テレビドラマ
「11PM」から「ドラマ班」に異動して来て驚いた事。

チーフ助監督が書く「撮影スケジュール表」だ。

映画撮影所のスケジュールは「午前」このシーンとこのシーンを撮影します、「午後」このシーンとこのシーンを撮影します、と掲示板に貼り出されるのみ。

テレビドラマの場合、全てのシーンの横に「撮影する時間」がビッシリと書きこまれている。

映画の場合、俳優さんのスケジュールは「撮影期間全てを押さえる」のが基本。

テレビドラマの場合、各俳優さんの「バラエティー番組出演」「CM撮影」「他の舞台やドラマとの掛け持ち」などの細かいスケジュールをパズルの様に組み合わせて、「撮影スケジュール表」は作られる。

シーン毎に撮影にかかる時間を「台本のページ数」を元に割り出す。台本上、短いシーンでも「監督のこだわり」で撮影が長引きそうな要素を知っているチーフ助監督はそれも加味して、シーン1から順番に「スケジュール表」を書いていく。

ロケハン(ロケの下見)にも同行し、「ロケ地とロケ地の移動時間」「監督が決めたロケ地で撮影にかかる時間」などを入れ込み、「スケジュール表」に反映させる。

そして、書いたスケジュールを「同じセット」「同じロケ地」毎に切り分け、最終的な「撮影スケジュール表」を作る。

出来た「撮影スケジュール表」はセカンド助監督が台本と照らし合わせチェック。

監督に見せてOKであれば、俳優事務所とスタッフの所属会社にFAXし、スタッフには現場で配布。

監督が見て、「これじゃあ撮れないよ」と言われる事もある。

監督にしてみれば、「撮影時間をたっぷり取ったスケジュール表」を配って、結果的に撮影が予定より早く終わり、キャスト・スタッフに喜ばれたいという思いがあるのだ。

俳優事務所との最初の「スケジュール折衝」はプロデューサーの仕事。どんなに忙しくてもどうしても出てもらいたい俳優さんはチーフ助監督と相談しながら、プロデューサーがスケジュールを取って来る。

赤木春恵さんが名古屋の御園座で舞台に出られていた時、大阪で撮影している「朝の連続ドラマ」の撮影とスケジュールが重なってしまった。

どうしても舞台をやっているその日に撮らないといけないスケジュールに。そうしなければ、放送に穴が空く。

赤木さんには1日2回の舞台終わりで夜遅く新幹線に乗って、名古屋から大阪のスタジオに来てもらう。

時計の針は深夜を回っている。赤木春恵さんは疲労困憊の状態でのドラマ撮影。

深夜3時、撮影無事終了。

赤木春恵さんが翌朝の新幹線で名古屋に帰るのは怖いと言う。新幹線が止まったら舞台に穴が空くからだ。

スタジオのある大阪・千里中央にタクシーを呼んで名古屋まで帰ってもらった。当時でもタクシー料金は3万円以上しただろう。

「人気のお笑い芸人」さんに出てもらう時も「スタジオに入ってもらう時間」、「スタジオを出なければいけない時間」が厳密に決まっているので、「撮影スケジュール表」にはその事を明記。

スケジュールが「押して」来たら、その芸人さんのシーンを先に撮影して、次の現場に飛び出してもらう。

テレビドラマの場合、「撮影スケジュール表」を書く事はそれ程、難しい。

僕が助監督をやっていた時、ロケ現場に行ったら、「そのシーンに出ない俳優さん」がロケバスに乗っていて、「そのシーンに必要な俳優さんが乗っていなかった。「スケジュール表」の◯の位置が1つズレていたのだ。

現在、パソコンで「撮影スケジュール」も書けるし、送信もメールで一発で出来る。

FAXが出来る前はチーフ助監督が各事務所に電話を使って、口伝えでやっていたのだから、時代も変わったものだ。

チーフ助監督は「撮影スケジュール表」を書く事によって、「芝居」というものを肌感覚で養っていく。

これもある種の「伝統芸」かも知れない。
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連続ドラマの記者会見

2023年06月29日 | テレビドラマ
連続ドラマの「記者会見」。放送前の最大級の行事である。

プライムタイム(午後7時〜11時)の連続ドラマのプロデューサーをやっていた時の話。

まずは「宣伝担当」が都内のホテルの宴会場を押さえる。「赤坂プリンスホテル」や「ホテル・ニューオータニ」が多かった。

そして、「記者会見」で記者に配る資料、「アナウンサーの進行台本」に関しても、叩き台は「宣伝担当」が作る。それをプロデューサーがチェック。

「番組タイトルが入った出演者の後ろに飾る看板」も「宣伝担当」が発注する。

会見の中で、「プロデューサーの企画意図の説明」があるが、記者の皆さんは「出演者の撮影」に集中し、上の空で聞いている。だから・・・

「ドラマのプロデューサー」だけで無く、「ドラマの宣伝」も長年やってきた僕だが、大事なのは「そのドラマを一言で伝える事」。ポスター作りなどにも言える。

余程、人気の俳優が出ていない限り、「新ドラマ」を「いかに他のドラマと差別化して記者や視聴者に売り込むか」「少しでも大きな記事を書いてもらうか」に全力を注がなければならない。

ドラマ「永遠の仔」(2000年)の時は、「あの大ベストセラーを中谷美紀・椎名桔平・石田ゆり子・渡部篤郎の4人の大俳優の共演でドラマ化」にキャッチコピーを絞った。

先輩のプロデューサーの場合、ドラマ「失楽園」(1997年)の会見の時、「テレビの放送コードの限界に挑戦します」とコメント。翌日のスポーツ紙にはこのコメントが大々的に掲載された。それがあの高視聴率に結び付いたのは間違いない。

この7月期のフジテレビのドラマ。「ピュアなラブストーリーで送る『月9』再来」というキャッチフレーズで売っている。
これは結構分かりやすい。

会見の話。出演者・監督の登場順・座る位置・挨拶の順番・集合写真を撮る時の並びなどを次々と決めて行く。

この「ドラマの記者会見」。なかなかMCをやるのが難しい。

出演者に対して、記者から「プライベートに関する質問をさせない様にする」など、臨機応変な対応が求められるからである。

そう言いつつも、「会見場の雰囲気を壊さない様に」進行する能力も必要なのだ。

僕が関わったドラマの中でもちゃんと進行できたのは、脇浜紀子アナウンサー(現・京都産業大学教授)ただ1人では無いか・・・僕の私見だが。

出演者・監督の挨拶、プロデューサーの「企画意図」説明、記者からの質疑応答、出演者・監督の写真撮影と「記者会見」は順調に進んで行く。

ドラマ「オンリーユー 愛されて」(1996年)の「記者会見」では終わった後に「囲み取材」があった。

「囲み取材」というのは、1つの丸テーブルに1人、俳優さんが座って、その俳優さんを「囲む」様に、記者の皆さんが質問をしていく取材のことである。

このドラマの「囲み取材」、「宣伝担当」が「どのテーブルにどの俳優さんが座るか」を決めていなかった。僕のチェックミスでもある。

「会見場」のカーテンが開き、隣の「囲み取材」のテーブルが並んだスペースが現れた。100人以上の記者さんが一気になだれ込む。

誰も俳優さんたちに指示する人はいない。会場はパニック状態である。何人かのマネージャーが僕に詰め寄って来る。

僕はすぐホテルの人を探して、手からマイクを奪い、

「すいません。皆さん、お静かにお願いします。これから俳優さんの座るテーブルを決めていきます。記者の皆さんは俳優さんがテーブルに着いてから、取材をお始め下さい」

当時、APだった僕だがプロデューサーに相談する時間は無い。独断と偏見で「俳優さんの座るテーブル」を決め、なんとか事なきを得た。

無事、「囲み取材」は終わった。

その後は、それぞれの俳優さんの「個別取材」がホテルの小さめの会議室を幾つか借りて始まる。

この「個別取材」が全て終わり、俳優さんを全員見送ったら、長い1日は終わる。

大抵、夕方、外が暗くなる時間になっている。

「記者会見」が「クランクイン前」だと俳優さんもまだ演じていないので、「役」を掴めていない事もあって、プロデューサーやAPが「個別取材」にピタッと張り付く事になる。

ここまで書いて、なんか「ドラマ作り」は大変だなぁーと思うが、その「苦労」の結果として、視聴者からの反響が大きい時もある。それがキャストやスタッフの心にジワジワと刻まれていく。

ロケの出発場所や隣り合ったスタジオで、同じドラマをやったキャスト・スタッフに会うと、思わずお互いに声をかける

あのしんどかった「記者会見」や「撮影現場」その他、様々な事を思い出して。
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ドラマのテロップ入れ

2023年06月28日 | テレビドラマ
大阪で「朝の連続ドラマ」をやっていた時、土曜・日曜・月曜が「編集」と「MA(音楽や効果音を入れる作業)」の作業。3日共、ほぼ徹夜だった。

確か、「現場のAP」もやっていたから、いつ休んでいたのだろう?若いから出来た事だ。

「編集」の終わり、月曜日の夜明け前に、「出演者とスタッフのテロップ入れ」の作業が毎週ある。月曜〜金曜放送の5本分。

まず、台本を読み直しながら、「その回に出ている出演者の役名」に◯を付けていく。出演者の名前を見落としたら致命傷である。再放送やDVD化する時のギャラの目安もテロップによって決まるからだ。

そして、プロデューサーに教えてもらった通り、「A3の白い紙」に「碁盤の目」の様に縦横に線を入れる。

「スタッフの部分」の「秒数」には変更は無いので、「出演者の部分」の「並び」と「各出演者のテロップの秒数」を「決められた総秒数」を計算しながら、「白い紙」の「碁盤の目」に「出演者の名前」と「各テロップの表示される秒数」を書き込んでいく。一枚のテロップに何人の名前を載せるかも。

「特別出演」や「友情出演」などがある場合は、「出演者名」の横に書き込む。

表が出来上がったら、プロデューサーに見せて指示を仰ぐ。

「ヒロイン(主演)」はいちばん最初に出るが、中村玉緒さん、南田洋子さん、大村崑さん、芦屋雁之助さん、ミヤコ蝶々さんなど、たくさんの大物俳優が出ている回はプロデューサーの判断で「トメ(いちばん最後)」「中ドメ(複数の出演者が載っているテロップの間)」それでも調整が付かなければ、「特別出演」や「友情出演」を入れる。

だから、「友情出演」とテロップに出ても、その俳優さんが誰かの「友達」という訳では無い。

プロデューサーからOKが出たら、「本編の編集」が終わって、監督が帰った後、編集マンと朝まで1週間5本分のテロップを入れるのである。

「朝ドラ」をやっていた当時、編集はVTRを使っていて、巻き戻したり、早送りしたりする時間が必要だった。

詳しい事は分からないが、今は編集もハードディスクを使い、個人のパソコンで「テロップ入れ」の作業をして、メールで編集室にデータを送れば済んでしまうのでは無いだろうか?

「テロップ入れ」が終わり、くたびれ果てて、タクシーの座席で半分寝ながら、毎週家に帰った事を今でも鮮明に憶えている。

長らく「朝ドラ」半年分130本の「テロップ入れ」を何度もやったが、一度だけミスをした事がある。

それは俳優事務所からの一本の電話で発覚した。

ある話の台本の最後、ト書きに一言、「◯◯(役名)が木陰から覗き見している」と書かれていた。それを見逃したのである。

事務所には平謝りして、事なきを得たが、「テロップ入れ」の「重要さ」と「怖さ」を知った出来事だった。

現在、日々放送されているたくさんのドラマにも「テロップ入れ」という重要な作業が存在する。それに関わるスタッフも。
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ドラマ制作でのトラブル

2023年06月26日 | テレビドラマ
「私の顔の横の長さを1mm長くして下さい」

あるドラマで大女優のMさんがマネージャーを通して言ってきた「テレフォンカードのデザイン」に関しての注文である。

このドラマはMさんと若い女性タレントで喜劇役者でもあるHさんのW主演。

「テレフォンカードのデザイン」は基本、「ポスターデザイン」を縮小して作られる。

Mさんをキャスティングした際に、「今回はW主演」なので、「ポスター等の扱い」「台本の表記」、全てにおいて2人は平等であると口を酸っぱくして説明しておいたのに。

Mさんはそれまで、「医者ものの単独主演」で、連続ドラマに出続けており、「W主演」はこれが初めて。

こちらから事務所に送った「テレフォンカードのデザイン」を定規で測って、「自分の顔を1mm伸ばして欲しい」と言い出したのだろう。

結果としては、もう1人の「主演」Hさんにバレない程度にデザインに修正をかけた。

こんなケースもあった。主演は佐藤浩市さん。演技にはどこまでも真摯に取り組まれ、普段は気さくで他のキャストやスタッフへの気遣いも絶対忘れない素晴らしい俳優さんである。

そのドラマには「原作」があった。「原作」のストーリーでは佐藤さんの相手役のヒロインが徹底的な「悪女」にならなければ成立しない。

ヒロイン役は若手女優のKさん。かつて2時間ドラマ全盛期、お嬢様役で数々のドラマに主演した経歴を持つ。

彼女は大手芸能事務所に新しく移籍しての最初の作品がこのドラマだった。

その彼女が「台本が上がった段階」で「悪女」は演じられないと言い出した。「原作」も読んでいるはずなのに。

彼女の事務所に強く抗議し、説得を頼んだ。マネージャーも「原作」を読んでいるので、僕の抗議を理解してくれた。

彼女の事務所移籍にどの様な裏事情があったか、僕は全く知らない。

しかし、マネージャーは「彼女の理不尽な言い分」を止める事が出来なかった。

彼女は強く「悪女」になるのを拒否し続けた。今まで自分が演じて来た「お嬢様キャラ」が崩れる事を怖れたのか?

ヒロインである彼女の「悪女」というキャラクターが無ければ、このドラマは成立しない。

僕たちプロデューサーは頭を抱えた。

今でも忘れない東京・青山墓地のロケ現場。

プロデューサーである僕は正直に主演の佐藤浩市さんにKさんに関する現況をかいつまんで伝えた。

彼女の「理不尽な主張」をそのまま受け入れるとドラマが破綻しかねない。主演の佐藤浩市さんだけには知っていて欲しかったのだ。

その日の撮影が終わった。

佐藤さんが僕の所にツカツカと歩み寄って来る。

「さっきの話、ちゃんと喋らない?」

佐藤さんと監督、プロデューサー2人が青山墓地を見下ろすファミレスで頭を寄せ合って話をした。

「ヒロインの彼女の台詞を直すと俺の台詞にも影響が出るから、俺も入るから『脚本直し』しない?」

僕らプロデューサーにとってはとても恥ずかしい事だが、佐藤さんの提案が、事ここに及んでは最善の策に思えた。

数時間に及ぶ青山のファミレスでの「脚本直し」。佐藤さんは最後まで付き合ってくれた。本当に感謝しかない。

なんとか、窮地を凌いだ僕たちプロデューサーだったが、最終回でまた不測の事態が起きた。

脚本家と僕たちプロデューサーが作った「最終回決定稿」。

演出の鶴橋康夫(敬称略・以下、鶴さん)さんに会って渡そうとした。

その時、鶴さんは徐に「最終回撮影決定稿」と書かれた印刷台本を僕たちプロデューサーの方にスーッと出して来たのである。

鶴さんが「最終回の脚本打ち合わせ」に全く参加しなかった理由が氷解した。

自宅で「最終回」の脚本を自ら書いていたからだ。

鶴さんと言えば、脚本家は池端俊策さんか亡くなられた野沢尚さんと長年タッグを組んで来た。

その2人とタッグを組めない以上、自分で書くしかないと思ったに違いない。

鶴さんは言った。

「お前たち、どちらの台本で俺に最終回を撮らせるつもりだ?」

僕は言った。

「鶴さん、僕らが作った台本で撮ってくれと言っても、撮らないでしょ。だったら、『撮影決定稿』で行くしかないでしょう」と。

そんなこんながあって、僕はその作品が終わり、「ドラマのプロデューサー」から「番組宣伝」の部署に異動になる。

2002年夏の事である。

少し「うつ病」を発症し、それが「アルコール依存」への道をひた走るスタート地点だったのかも知れない。

でも、今でも時折その時の「ドラマスタッフとの同窓会」には参加している。会えてとっても嬉しい。

彼らは僕にとって「大切な戦友」だから。
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テレビドラマの撮影に貸してくれない場所は・・・

2023年06月21日 | テレビドラマ
ドラマのロケで借りにくい場所一覧。

デパート、コンビニ、病院、裁判所、電車の中・ホームなどなど。

エレベーターの内部も「カメラの引きじり」が無いので、セットで作る事が多い。

「デパート」は開店までの時間、「恵比寿のアトレ」を借りて撮影した事がある。

午前10時開店なので、余裕をみて、午前9時半「完全撤収」。それゆえ、撮影は早朝からになる。

プロデューサーは「早朝」や「深夜」の撮影には立ち会う事が多い。キャスト・スタッフのケアとトラブルが起こった時、即座に対応する為だ。

「アトレ」の時も僕はロケ現場に居た。お腹が痛くなり、トイレで用を足して出て来ると、掃除のおばさんに詰め寄られた。

「私がせっかくトイレ掃除したのに、開店前にトイレを使わないで。この後、アトレの係員のチェックがあるんだから!」

かなり、怒り心頭の模様。僕は平謝りした。

「コンビニ」。東京郊外の「個人営業のコンビニ」を借りる。店を借り切って、撮影。「撮影した時間分のコンビニの売り上げ」を「ロケ使用料」として支払う事が多い。

「八王子のコンビニ」を借りて撮影した時は「オーナー」の意向もあって、「営業」しながら「撮影」した。「実際のお客さんがドラマの映像に映り込んでしまう危険」があるので、非常にレアなケースだと思う。気も遣った。

実際のお客さんの「顔」は「個人情報」なので、映り込んでいると、再放送やDVD化の際に支障を来たすからだ

「病院」。都内でも、「病院の表」を撮らせてもらえる病院はいくつかある。

実際の病院(病院名の看板は架空の病院に代える)を使うか、「病院らしき建物の表」に「架空の病院の看板」を掛けて撮影する。

「病院の1階ロビー」は「別のそれらしい場所」を使ってのロケ。病院のロケでここがいちばん借りるのが難しい。

セットで作るには大き過ぎるし、「実際の病院のロビー」は土曜日の午後以外は「外来の患者さん」でいっぱいだから。

「ナースステーション」「病室の前の廊下」「病室」「手術室」は基本セットである。予算の無いドラマでは「廃院」になった「病院」で全てを賄う事もあるが。

「裁判所」も基本、セットである。実際の裁判所はもちろん貸してくれないし、カメラが「4方向」から撮らなくてはいけないので。

但し、例外はあって、この4月期放送された志田未来主演のドラマ「勝利の方程式」(読売テレビ制作・日本テレビ系)の「裁判所」は都心からとても離れた茨城県内の「使われていないホール(内装が「裁判所」にそっくり)」で撮影された。このドラマは「オールロケ」だった。

「電車の中」。「京王電鉄」の「東府中駅から東京競馬正門前駅間」を何往復もして撮る事が多い。

「鉄道」はなかなか「撮影」には「鉄道施設」を貸してくれない。それゆえ、ほとんど唯一「貸してくれる京王線・井の頭線」での撮影が多いのだ。

しかし、ドラマ「silent」の様に「小田急電鉄」全面協力で撮影しているケースも出て来ている。

今後「鉄道会社のPR」と「撮影使用料による利益」を考えて、「撮影可能な鉄道」も増えていく事だろう。

大阪で「朝の連続ドラマ」をやっていた時、年中、いろんな場所でロケをした。

そんな折、マイケル・ダグラス、高倉健、松田優作出演のパラマウント映画「ブラック・レイン」(1989年)の撮影が大阪で大々的に行われた。

出来上がった映画を観に行くと、「朝の連続ドラマ」では絶対貸してくれない「梅田・阪急百貨店前」他の場所でロケをしていた。

やはり、大阪府も大阪市も大阪府警も「いつも撮影している地元・大阪のテレビ局」より「ハリウッドのパラマウント映画」を大事にするんだと、少し悲しい思いがしたものだ。

汗ダラダラの灼熱の夏も、身体の芯まで凍えるガタガタ震える冬も「ロケ隊」は様々なロケ現場やスタジオを移動しながら、日々撮影を続けて行く。

それが視聴者に「新たな感動」を与える事になるのである。
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ドラマのタイトルバック

2023年06月20日 | テレビドラマ
ドラマには「タイトルバック」という映像がある。

ドラマの、どちらかというと冒頭で出て来て、「出演者」「スタッフ」のテロップが載る映像の事である。

TBSやフジテレビのドラマでは、「タイトルバック」をチーフ・ディレクターが撮る事が多い。

外注した「タイトルバック」で多くの人の記憶に残っているのは、「警部補 古畑任三郎」(1994〜2004年・途中放送の無い期間有り)の「タイトルバック」であろう。

これは「ケネックジャパン」(現在は解散して会社は存在しない)の岩下みどりさんがデザイン・制作したもの。

ウチのドラマの「タイトルバック」で思い出深いのは、連続ドラマ「オンリーユー 愛されて」(日本テレビ系・読売テレビ制作・1996)の「タイトルバック」だ。

このドラマの時、僕はAPだった。

主題歌であった「Original Love」の「プライマル」という歌のテープを「タイトルバック」演出の「ケネックジャパン」笹川さんに渡して、「絵コンテ」を挙げてもらい、それをプロデューサーがチェックし、意見を言う。構想がまとまったら、出演者の撮影スケジュールの調整、機材の発注等、実作業に入る。

主演の鈴木京香さん始め、大沢たかおさん、稲森いずみさんなど、メインの出演者が出る「タイトルバック」だったので、プロデューサーから言われて、「タイトルバック」の撮影現場に立ち会うべく、湘南海岸へ早朝から向かった。

撮影は「ビデオ」では無く、「白黒のフィルム」。「フィルム」での撮影は費用がかかり、多分「タイトルバック」制作の総予算は数百万円だった様に思う。

笹川さんは、凍てつく様な冬の寒さの中、海から吹いて来る強い風をものともせず、海岸の砂の中をモニターと現場の間を何往復もして、早朝、陽が出てすぐから夕方まで、何テイクも撮影しながら、粘りに粘って撮り終えた。

撮影が終わると、笹川さんは「編集室」に籠る。

この「編集室」の「編集システム」の名前が「インフェルノ」。あのパニック映画の名作「タワーリング・インフェルノ」(1974年)の「インフェルノ」だ。

この「編集システム」、やたらとお金がかかる。

プロデューサーを予算面で「地獄(インフェルノ)に叩き落とす」とプロデューサー達は苦笑いしながら言っていた。

笹川さんが作り上げた「タイトルバック」に主題歌「プライマル」を当ててみると鳥肌が立つくらいにいい。プロの実力を見た気がした。

現在のドラマ。「秒単位の視聴率」を測って作っているので、エンディングの「次週の予告編の映像」に主題歌がかかるケースが非常に多い。

「タイトルバック」を入れると、そこだけ視聴率が下がってしまう傾向にあるからだ。

でも、今年に入って、再放送で僕が観た「東京ラブストーリー」(フジテレビ・1991年)、「101回目のプロポーズ」(フジテレビ・1991年)、「男女7人夏物語」(TBS・1986年)など、かつての名作には、「忘れられないタイトルバック」がある。

「視聴率」にこだわる事が悪いとは言わないが、「いよいよ観たかったドラマが始まる感」がある「タイトルバック」の魅力をもう一度見直して欲しいと思う今日この頃。
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助監督

2023年06月16日 | テレビドラマ
僕は「助監督」を1回だけやった事がある。

収録8ヶ月、放送半年の、朝の連続ドラマ「見上げればいつも青空」である。

視聴率は「青空」では無く、「いつも曇空」だったが。

「助監督」は常に「撮影現場」にいなければならない。

ロケの時はロケ隊が出発する時間の1時間前位から、ロケ隊が戻って来て1〜2時間後まで。

スタジオの時も午前9時開始だと、午前8時前から深夜まで。

撮影後、スタッフルームに戻って来て、明日の撮影の段取りを確認しながら飲むビールはとても美味しかったが。

僕は「セカンド助監督」をいきなりやったので、「衣裳さん」との打ち合わせが多かった。

朝、ロケバスに「衣裳さん」と一緒に「衣裳箱」を積み込むのも僕の役目だ。

「助監督」が所属する「演出部」は「チーフ」(芝居担当)、「セカンド」(衣裳担当)、「サード」(小道具担当)、「フォース」(カチンコ及び俳優さんの呼び込み担当)に分かれている。

「チーフ助監督」はしばしば現場を抜け、翌日以降の「撮影スケジュール表」をスタッフルームで書いている事も多かった。

何故、僕が「助監督」を1回しかやらなかったか?

僕は小さい頃から「多動症」で1つの場所に拘束されるのが非常に苦手。「助監督」として、一日中、「撮影現場」に閉じ込められる事は本当に苦痛で苦痛で仕方が無かった。

そして、「先輩ディレクター」や「テレビで放送されている他局のドラマディレクター」の「演出」を目の当たりにした時、彼等の「演出」を僕は絶対抜けないなぁーとつくづく思った。

「ディレクター」はまず「役者の芝居を最大限に引き出す事」が第一義だと思う。

それは「人見知り」で「1人でいる事が最高の喜び」の僕にとっては「苦痛」「拷問」以外の何物でも無い。

「人」が「人」の芝居を引き出すなんて僕には考えられなかった。

リハーサル後、役者が意見を言って来たらどうしよう?そんな芝居は出来ないと言って来たらどうしよう?

プロデューサーと違い、ディレクターは「現場にいて、直接役者と相対する。しかも、大勢のスタッフのいる前で」。

そんな状況に置かれたら、「あがり性」である僕はきっと「アタマの中が真っ白」になってしまうだろう。

「助監督」の仕事、「台本」を読み込んでの「撮影前の準備」も多々あった。

「実際に存在していない会社名を考える」「ドラマ内で出て来る新聞や雑誌の記事作り」「台本には書いていないエキストラの台詞作り」などなど。

インターネットもスマホもPCも無い時代。「電話帳」で「会社名」を調べたり、「図書館」で調べ物をしたり。

出来る限りの事をして、それを「ディレクター」に見せて判断してもらう。

一緒に仕事をしていた「チーフ助監督」は「ディレクター」に全てを捧げるかの様に「身を粉にして」一生懸命準備をしていた。

僕はと言えば、元来の無精。「ディレクター」に見せるのは2つの案だけ。一方を意図的に少し「劣っている案」にして、そちらを先に見せる。

「ディレクター」がその案で納得しなければ、もう一つの「より良い案」を見せて、それで納得してもらう事が良くあった。

平たく言うと「怠けていた」のである。

なんでも出来る「優秀な助監督」が「優秀なディレクター」になるとは言えない。ならない可能性の方が大きいと僕は思う。

「誰にでも合わせられる器用さ」が邪魔をして、「他人に代え難いディレクター」にはなれないのである。

そんなこんなもあり、次のドラマから僕はAPに復帰した。

「物語を紡ぐのが大好きな僕」にはプロデューサーの方が向いていた。

1回きりの「助監督」。暑い暑い夏の日々を思い出す。

主演の甲斐智枝美さんも早逝された。「オカマの美容師役」でレギュラー出演されていた上岡龍太郎さんも先日鬼籍に入られた。

バラエティー番組と違って、ドラマの撮影8ヶ月間、上岡さんはどんな事を指示しても、「はい!」とうなずいて明るく返事をされ、どんなに待たされても一度もキレる事は無かった。

上岡さんには「芸人」とは違う「役者」という世界では文句を言うまいという「考え」があったのかも知れない。

とてもしんどかったが、1回だけやった「助監督」の思い出は頭に刻み込まれ、忘れる事の出来ない強烈なものだった。

若い時に「とってもしんどい事」をやってみるのも、その後の人生の糧になるかも。
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ドラマの「電波ジャック」

2023年06月09日 | テレビドラマ
連続ドラマのスタートする日に「電波ジャック」というイベントがある。

ドラマの「番組宣伝」の為に、ドラマの主演始め、出演者が「生放送のワイドショー」に次々と出演していく。

日本テレビ系列で言えば、「ZIP」に始まり、「Day Day」「ヒルナンデス」「情報ライブミヤネ屋」「every.」と「ドラマの宣伝」をする。

もちろん、様々な条件に寄ってこの全ての番組に出られない事もある。

「制作」のプロデューサー、「宣伝」の担当者及びデスクは「ZIP」から始まった場合、早ければ午前4時台に「日テレのタレントクローク」に集合。

「宣伝」は朝のお弁当と飲み物、空き時間につまめるお菓子等を準備し、俳優さんの控室に予め入れておく。

この俳優さんの控室や車の駐車場の手配も「宣伝」が担当する。

「電波ジャック」の時、「役衣裳(ドラマ本編の中で着る衣裳)」か「スタイリストの用意した衣裳」、どちらでいくか決めるのも「宣伝」担当者と俳優さんの事務所の話し合い。プロデューサーの意向も尊重しながら。

「医者の役」なら、ドラマを想起しやすい「白衣」の方がいいだろうし。

宣伝担当者は、各ワイドショーのプロデューサーと連絡を取り、「打ち合わせの時間と場所」を聞いておく。

「電波ジャック」は「宣伝」の為、2〜3分だけ番組ラストで出演する事や「ヒルナンデス」の様にゲストとして、全編出演する事もある。ケースバイケース。

いずれにしても、「電波ジャック」に出演する合間に2〜3時間、俳優さんのスケジュールが空く事が多い。

その場合はそこに「雑誌や新聞、テレビ番組の取材」を入れるのである。

ドラマの撮影が立て込んでいて、「取材日」がなかなか取れない場合、「ドラマの撮影が無い電波ジャックの日」に詰め込めるだけ、取材を入れる。

木曜スタートのドラマの場合、ドラマスタート当日の「秘密のケンミンSHOW極」「ダウンタウンDX」にもドラマ出演者にゲストとして事前に出てもらう。

これで、早朝の「ZIP」から「ダウンタウンDX」まで「ドラマの宣伝」が繋がる。

新ドラマの場合、「ドラマの認知度」を上げるのがとても大切で、この放送当日の「電波ジャック」の宣伝効果はとても大きい。

20年以上前の話になるが、室井滋さん主演のドラマをやった時、「電波ジャック」で「ズームイン!!朝!(「ZIP」の前の番組)」に出てもらった。

総合司会はあの「アメリカ横断ウルトラクイズ」のMC・福留功男アナウンサー。プロデューサー的役割も担っていた福留さんは、CMに入ると「押し巻き」をスタッフに聞いて、予定された系列局の中継の有無を瞬時に決めていく。

室井滋さんがあのキャラクターで「電波ジャック」に出たら、福留さんが室井さんの事をことの他、気に入ってくれた。

生放送内で、「番組終わりまで居て下さいね」と福留さんは優しく室井さんに言う。室井さんは番組エンドまで30分以上も福留さんと画面に出突っ張りだった。

室井滋さんの魅力を再確認した次第。

「制作」のプロデューサーも「宣伝」の担当者も「電波ジャック」が終われば、「まな板の鯉」。

後は「ドラマ本体がどれだけの視聴者を惹き寄せてくれるか」を祈るのみ。

家に帰って、ドラマをオンタイムで観て、就寝。

翌朝、早めに出社して、9:08頃ビデオリサーチ社から送られて来る視聴率のFAXを待つのみ。

僕は「制作」「宣伝」で何度、「電波ジャック」に立ち会った事か。

「電波ジャック」。

何度やっても、1日緊張感が続き、夜、俳優さんたちをお見送りした時の開放感に浸れるイベントは人生においてもなかなか無い。

今日もいろんなドラマの「電波ジャック」が行われている。
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ドラマプロデューサーの年末年始

2023年06月02日 | テレビドラマ
連続ドラマのプロデューサー。ドラマの撮影期間には現場を離れる事はまず出来ない。

そのドラマの撮影は年末年始を跨いでいた。

さすがに、年末年始の短い期間だけど、脚本打ち合わせ・撮影・編集・MA(音楽等を入れる作業)はお休み。

突然、3日間の休みが取れた。「乗り鉄」の僕は衝動的に鉄道に乗りたいと思った。

東京駅に駆けつけ、秋田新幹線のチケットを取ろうとするが、普通席は満席。奮発して、わずかに売れ残っていたグリーン席を予約。12/30の事だった。

ほとんど乗った事の無いグリーン席はとっても快適だった。東京駅で買ったビール、缶チューハイ、アテを横に置き、出発して上野駅を過ぎた辺りからグビグビ飲む。

混雑している山手線や京浜東北線を横目で見ながら飲む酒は格別に美味しい。

盛岡駅を過ぎ、秋田県に入ると、豪雪地帯に突入。秋田新幹線「こまち」も降り積もる雪の中を静かに走って行く。

夕方、秋田駅に到着。車中、携帯電話で予約済みのホテルにチェックイン。

夜は人通りのほとんど無い秋田の繁華街へと繰り出す。

12/31、大晦日。朝から奥羽本線に乗って、青森駅を目指す。

まだ北海道新幹線が開通していない時代。

青森駅から函館駅までは在来線の「海峡ライナー」。青函トンネルはものすごく長い。

「津軽海峡冬景色」。
この線路の上を強風が常に吹き、荒波と共に強い海流が流れる「津軽海峡」があると考えると、このトンネルの建設に携わった多くの人々の人生を考えてしまう。

大晦日の午後、北海道・函館駅着。今日の深夜、函館駅を出る上野行き寝台特急「北斗星」で東京に帰るので、時間はまだ十分にある。

さすがに大晦日。開いている店も少ない。閑散とした函館の街をぶらぶら。行く当ても無く、路面電車に乗って、函館山に登ったり、喫茶店に入ったり。

やっと暗くなり、夕食タイム。海鮮等をアテに酒を飲む。年末で漁も休みなのか、それほど新鮮では無く、海鮮は普通の味だった。

夕食を食べ終わっても、深夜の「北斗星」の出発時間まではたっぷり時間がある。

居酒屋を出て歩いていたら、大晦日に一軒の「サウナ」が開いていた。速攻で入る。

客は僕の他にはほとんどいない。何故このサウナ、大晦日に営業していたんだろう?

「サウナ」と「水風呂」を往復しながら、「サウナのテレビ」で「紅白歌合戦」をボーッと観ていた。

日常生活のストレスが削ぎ落とされ、「無心」になれる。

「人生」の、今までに起こったいろんな出来事が「走馬灯」の様に流れて行った。

「サウナ」の外に出ると、函館の街はことのほか、寒かった。

深夜の函館駅のホームに立つ。粉雪が空から舞い落ちる。遠くから汽笛が聞こえ、ディーゼル機関車に引かれた寝台特急「北斗星」が入線して来た。

スーツケースを持って、「B寝台」へ。思っていたより、そこそこ広い。札幌から乗って来た乗客は既に寝静まっている。

音を立てぬ様に寝台に寝転び、薄っぺらな布団をかける。

もう直ぐ新年だ。「北斗星」が「青函トンネル」に入った。トンネルの壁面に響く轟音。

「サウナ」に入った疲れで睡魔が襲う。

気が付いたら朝。陽光が眩しい。寝台特急「北斗星」は東京駅に近づいていた。

年が明けて、元旦。2泊3日のプチ「乗り鉄」旅。

連続ドラマの仕事に邁進するエネルギーが湧いて来た。
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AP(アシスタント・プロデューサー)の仕事はつらいよ❣️

2023年05月31日 | テレビドラマ
「朝の連続ドラマ」。APとして、脚本家のAさん、プロデューサーのOさんと「シナリオ打ち合わせ」の為、伊豆・修善寺の温泉旅館に2泊3日合宿をした事があった。

黒澤明監督他、有名な映画監督が脚本打ち合わせに使った温泉旅館だ。

かつて、黒澤明監督が脚本家の橋本忍、菊島隆三、小国英雄と「七人の侍」の脚本を作った場所がこの旅館かも知れない。

「朝ドラ」の放送期間は6ヶ月。台本で言うと、2時間ドラマ26冊分。

ホン作りの「後半戦」が始まる前に、脚本家とプロデューサーの意思統一、そして後半のプロット(あらすじ)作成の為の合宿だ。

僕の役目はお茶を入れたり、原稿用紙を準備したり、食事や入浴のスケジュールを旅館に確かめたり。時々、意見を訊かれたり。自分の意見が採用されると無性に嬉しかった。

こんな合宿に参加する機会は初めてだったので、少なからず緊張した。

後半、65本のプロットを考えて意見を交わしていたら、2泊3日はアッという間に過ぎていた。

脚本家のAさんはワープロやパソコンでは無く、ペラ(200字詰め原稿用紙・昔はみんなこれを使っていた)に「濃い鉛筆」を使って、物凄いスピードでプロットを書いていった。

「朝の連続ドラマ」や当時放送されていた「昼の帯ドラマ」を書く脚本家は一概には言えないが、基本書くスピードが早い人が多い。ゴールデンタイムのドラマより書く分量が圧倒的に多いからである。

Aさんも脚本を書くスピードがとっても早かった。

APとして、撮影現場にばかり立ち会っていた僕にとって、この「脚本家との合宿」は良い緊張感を持ちつつも新鮮なシーンだった。

後に、東京で連続ドラマを作った時にもこの「脚本合宿」をして、とても上手くストーリーを作れた事があった。

Oプロデューサーがある日、僕に言った。
「市原さんのナレーションを録って来てくれる?」

朝ドラの「ナレーション」が市原悦子さんだったのである。

プロデューサーは忙しい。それで僕が代わりに「ナレーション録り」をする事になった。

場所は旧・日本テレビ(麹町)内にあった録音ブース。

NHKの「朝の連続テレビ小説」では映像が既に出来上がった状態でナレーション録りをするのが普通だが、ウチの「朝ドラ」の撮影状況では「ドラマの映像は無く、台本だけでナレーションを読んでもらう」。

市原悦子さんをお迎えし、録音ブースまで御案内する。水やのど飴の用意も怠りない。

ナレーションを一回「テスト」で読んで頂き、「本番」に行く。それの繰り返し。

僕の緊張もMAXに達している。

「今ので良いかしら?」
一回本番が終わった後、市原さんが必ず僕に訊いて来る。

「大丈夫です!OKです!」
緊張を隠して、すぐさま僕は答える。何が正解か、よく分かっていないのに。

でも、あの市原悦子さんが「ナレーションを読んでいる」のだからOKに決まっている。

そんな訳で「ナレーション録り」は短時間で無事終了した。めでたしめでたし。

こんな事もあった。誰もが知っている女優のMさんが「台本に書かれた台詞が言えない」と言っている。

プロデューサーが「Mさんに会って話を聞いて来て欲しい」と言う。

大阪で舞台に出演中のMさんの楽屋に伺う。白粉の匂いを嗅ぎながらMさんの話を聞く。

「こことここの台詞、言えないでしょう」とMさん。確かに少し荒削りな台詞。言いにくい。

「そうですねぇ〜」
同意も反論もしない。

一通り、Mさんの話を聞いて持ち帰り、プロデューサーに伝える。

しかし、「台詞」は変えられる事なく、本番収録を迎える。台本通りに喋るMさん。彼女は誰かに聞いて欲しかったのだ。自分の気持ちを。

APの仕事。広くて深い、なんてね。
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