お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「夜のピクニック」

2005年04月14日 | 本・雑誌・漫画
恩田陸の「夜のピクニック」を読了した。不思議な本だった。ある高校の歩行祭。一昼夜かけて60キロくらい歩く間に起こった物語である。うちの中学・高校にも競歩大会というのが毎年あって、距離は35キロくらいだが、同じ様な体験をしているので、共感して読めた。そんな凄い出来事は起こらないのだが、人物の心理描写がしっかりしているので、本当に気持ち良く、アッという間に読めてしまった。これ以上書くとネタバラシになるので、興味のある方は、本屋に平積みされているので、御一読して下さい。お薦め。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の古武術

2005年04月14日 | エッセイ・日記・意見
昨夜11時15分からNHK「課外授業」で小学生に「日本の古武術」を甲野善紀さんが教えるという番組をやっていて、何気なく見ていたのだが、ついつい惹き込まれてしまった。「高いところに上る時、右足を上げたら、右手も上げると、簡単に上れる」とか、「江戸時代の飛脚」は一日100キロ走ったとか、全身の筋肉を使うのではなく、一部の筋肉は逆に使わない事によって、人を起こしたり、持ち上げたり、簡単にできるというのを実践して見せてくれた。
江戸時代の日本人は、「筋肉トレーニング」をするのではなく、必要なところの筋肉だけを使い、不必要な筋肉を使わないことで、大きな力を生み出す事を知っていたのである。手と足を逆に振って歩くのは、明治時代にドイツから軍隊の歩き方として、日本に伝わったという。いろんなことをしている人が今の日本にもいるものだ。この人は本を何冊か出しているので、興味のある方はアマゾンで探してみるといいかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「生放送」の怖さ

2005年04月14日 | テレビ番組
昨夜の日テレ「ミンナのテレビ」を見ていて、つくづく「生放送」は難しいなと思った。僕自身、深夜番組で生放送を入社当時やっていたが、初めてFD(フロア・ディレクター)で番組についた時、一時間、「足が地に付いていなかった」。目の前のカメラの前に出ると、全国に放送されてしまう、と思うとゾクゾクとしたのを憶えている。昨夜の「ミンナのテレビ」は、ゴールデンタイムの二時間生放送だったから、キャスト・スタッフは大変だったに違いない。久しぶりに、生放送を見て、その「怖さ」がよみがえって来た。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブルガリ」の時計

2005年04月14日 | エッセイ・日記・意見
一昨年のグァム旅行で、奮発して「ブルガリの時計」を買った。日本円で12万円弱。一緒に仕事をした脚本家が持っているのを見て「かっこええなあ」と思ったのが買うきっかけ。日本では売っていないタイプのブルガリである。大阪から出張で来た女性に見せびらかすと、彼女は600万円のブルガリをしていた。「ダウンタウンDX」という番組があり、その中のコーナーに、「スターの私服」というのがある。こないだの「叶姉妹」の「私服!」は確か18億円だったと思う。「スターの私服」の金額を上げている一番の要素は「時計の値段」。身に付けるもので、高額になるのはやはり時計なのだ。僕のブルガリは、「雨の日」には出動しない。水に濡れて壊れるのが怖いからだ。そんな時は、カシオのソーラー電波時計。2万円くらい。雨の日は「ブルガリの時計は、僕の自宅の机の引き出しで静かに休憩中である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「偉い人は・・・・・と言っているので・・・・」

2005年04月14日 | エッセイ・日記・意見
「偉い人を知っている」とか、「その人と一緒に飯を食った」とかいう事を、あたかも「自分の勲章」の様に、発言する人がどこの会社にもきっといる。うちにもいる。「会長や社長の発言をまとめたものをコピーして回覧する上司」とか・・・本人、「偉い人の事を喋ったり、文章をコピーして廻す事」が、「自分自身の価値を下げている事」に気付かないのだろうか?そういう人と食事に行くと苦痛である。「自分」が無いから、喋る事やテーマが全く無いのである。
その人しか喋れない「テーマ」をみんな持っているはずである。そんな、大切な潜在能力をほって置いて、「社長が○○言っているから・・・」とか「局長が××してくれって・・・」という様な「喋り」をしている限り、その人は周りの人間から信用されないと僕は思う。皆さんの周りにもいませんか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『大貧民』

2005年04月14日 | エッセイ・日記・意見
ときどき、トランプのゲーム『大貧民(ド貧民)』を無性にやりたくなる。しかし、あのゲームは、4人以上のメンバーがいないと成立しないので、ここ10年くらいは御無沙汰である。僕ははっきり言って強い。いつも『大富豪』の席にいる事が多い。あのゲームは「ハッタリ」が重要である。そして「「、芝居」も。どこか、大自然の中のペンションに泊まって、気の置けない仲間と『大貧民』三昧をやってみたい心境である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「シェーン」のラストシーン

2005年04月14日 | 映画・DVD・ビデオ
西部劇の名作「シェーン」のラストシーンはあまりにも有名だ。去り行くシェーンに少年が「シェーン、カムバック!!!」と叫ぶあのシーンである。そのシェーンが去っていく画の遠くにバスが映っているという話がある。確かに地平線の方に道路が見える様な気がする。そこをクローズアップするとバスが走っているらしい。興味のある方はDVDか何かで、繰り返して見てみて下さい。真偽の程は・・・わかりましぇ~ん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

売れなくて良かった理由

2005年04月14日 | 映画・DVD・ビデオ
レーガン元アメリカ大統領は、俳優だった時代がある。しかし、それほどのスターになった訳ではなく、B級の西部劇に出ていた。B級の西部劇はハリウッドのあるロスの近くで撮影され、ジョン・ウェインとかスティーブ・マックィーンなどの大スターはモニュメントバレーまで行って撮影していた。このA級かB級かが、のちに大きな人生の違いを生み出してしまう。モニュメントバレー一帯は、「原子爆弾実験場」の「風下」にあり、そこで撮影していた西部劇の出演者には、「癌」で亡くなった人が多いという統計がある。ジョン・ウェインもマックィーンも死因は「癌」だった。原子爆弾による有毒物質の塵を知らない間に吸い込んでいたのだろう。
レーガンは、売れなくて、「癌」に罹る事なく、大統領になった。これは広瀬隆さんの著書から仕入れた情報である。人生悲喜こもごもです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『せせらぎの音を出すトイレにある機械』

2005年04月14日 | エッセイ・日記・意見
「トイレの中にあって、『せせらぎの音を出す機械』」がありますよね。あれって、外国でもあるのでしょうか?僕は男性トイレしか行った事が無いので、海外の女子トイレにはついているのかなあ?と疑問に思いました。でも、かつて中世のフランス・パリでは糞尿を二階の窓から街路に捨てる習慣があって、みんな道の真ん中を歩いていたというのですが・・・あまり、トイレに関して、欧米では「神経質」になっていないのではないかとも思います。南米・インド・中国・アフリカでは、そんな機械がありそうな雰囲気は全くありませんでした。女性の方、教えて下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5万年後への手紙

2005年04月14日 | エッセイ・日記・意見
今週発売された「週刊現代」(4/23号)の「向井万起男さん」のエッセイがとても面白かった。来年、ヨーロッパから打ち上げられる「KEO衛星」は、世界中の人々から集めた手紙をCDに収め、5万年後に地球に戻ってくるのです。誰でも応募可で、使える言語も130種類以上、文字数は6000字以内。http://www.keo.org/uk/pages/message.php にアクセスして、この計画の主催者に「電子メール」を送ればOK。もし、5万年後の52005年に地球上に人類がいたら、その人達に届くという壮大なタイムカプセルなのです。僕も応募してみようかなあ~と強い衝動に駆り立てられています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

襟裳岬の「黄金道路」

2005年04月14日 | 旅・外国
北海道・襟裳岬の突端から、東へ海沿いに延びる道を「黄金道路」という。まだ、国鉄だった僕の学生時代、今は廃線になった「広尾線」に乗る為に、ここを通ったのである。順序だてて話すと、前の晩に「帯広ユースホステル」に泊まり、翌日早く、帯広から広尾線で南に位置する広尾を目指す。帯広駅を出るとすぐ左側に「帯広ユースホステル」が見え、従業員の方々が広尾線の列車に乗った僕たちに、手を振ってくれる。このユースの恒例行事なのだ。そして、かの有名な「幸福駅」を通り、終点の広尾に着く。そこから襟裳岬の西側の日高本線・様似駅まではバスだ。このバスが「黄金道路」を通る。何故「黄金道路」というかというと、海沿いを走っている道路という事もあり、台風などで、よく不通になり、「お金を大量にかけて修復し続けている歴史」があるからである。
襟裳岬の風が、夏でも冷たかった記憶が微かにある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする