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漫画の神様「手塚治虫」が出前を取った中華料理店「純華」

2023年07月22日 | 漫画・アニメ・漫画家
今、西武池袋線の「富士見台駅」に来ている。目的はと言うと。

漫画の神様「手塚治虫」が漫画執筆中に「出前」を取った中華料理店を昨日の夕方のニュースで紹介していて、行ってみたいと思ったから。

お店は駅から徒歩6分。

僕は1985年3月21日、「11PM」でディレクターデビューした。

手塚治虫さんとは、高田馬場「手塚プロダクション」での打ち合わせ、手塚さんの生まれ、幼少期を過ごした「宝塚」から「大阪市内」でのロケ、そして生放送当日と3回お会いしている。

ロケは朝から夕方まで、手塚治虫さんと一緒だった。

生放送終わりで「メイク室」におられた手塚さんにお礼を申し上げに行ったところ、手塚さんは「僕がその日、ディレクターデビューした事」を聞いて、僕の台本に「火の鳥」を描いて下さった。

のちに大ヒットアニメ「名探偵コナン」を生み出す事になる同期の「漫画・アニメ大好きな」諏訪道彦の持って来た色紙を1枚貰って、僕の大好きな手塚治虫漫画のキャラクター「三つ目がとおる!」の「和登さん」をリクエストしたら、ものの数秒で「和登さん」を描いて下さった。

わが家の家宝はこの「台本」「色紙」、そして手塚治虫さんから直接手渡された「手塚治虫さんの名刺」である。

そんな訳で、中華料理店「純華」で「天津丼」(920円)と「餃子」(大きな餃子5個で600円)を食べて来た。

普通の「町中華」だか、「接客」はとても良く、お客さんが途絶える事は無かった。と言って、手塚治虫さんのサインが飾ってある訳では無く、休日の今日、「手塚治虫のファンが集まっている事」も無かった。

料理の味も満足のいくもので、来て良かったと思っている。

手塚治虫さんは1989年2月9日、ガンの為、逝去された。

生前、「僕にはまだまだ『漫画のアイデア』がたくさんあるんだ」と言っていた手塚さん。
生きていたら94歳。今の「日本」や「地球」の殺伐とした状態を見て、どんな「火の鳥」を描くのだろう。あの手塚治虫でも、今の社会を反映した「火の鳥」は描けないかも知れないが。

現在、富士見台駅近くの「綿茶」というチェーン店の「タピオカドリンク店」で暑いので休憩中。ここのタピオカドリンクは「タピオカの大きさ」といい、「タピオカの弾力性」といい、僕の中では最高の店。

これから、北鎌倉駅に向かう。先日、映画「二十四の瞳」を久しぶりに観て、木下惠介監督のお墓にお参りしたくなったのだ。

駅から程近い「円覚寺」に木下惠介監督は眠っている。

同じ墓地には「小津安二郎監督」や「大女優・田中絹代」の墓もある。

小津安二郎の墓石には「無」という「一文字」が刻まれ、いかにも小津安二郎らしい。

円覚寺に行った後、間に合えば16時から渋谷で開かれる「元・全日本バレーボール女子選手の栗原恵と迫田さおりのトークショー」でも聴きに行こうかと思っている。

「アテネ五輪」以来の「火の鳥JAPAN」の大ファンなのである。

この暑いのに、と思われる方もおられるでしょうが、間寛平さんのギャグでは無いが、

「止まったら、死ぬ‼️」

なのである。

今の悩みはストレスからなのか、口の中や舌に「口内炎」が出来て治らない事。

毎年、人事異動後、ストレスから体調を崩してしまう僕である。













コメント
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