お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「鬱」である僕。

2004年11月30日 | 病院・薬・病気
何年か前から、精神科に通っています。抗うつ剤と精神安定剤と睡眠薬を貰っています。自分が「鬱」(どれくらいの程度かはさておき)だという事をまわりには言っています。積極的に。「鬱」は「心の風邪」だから。こんな、いろんな事件が起き、先行き不安定な日本社会で、まっとうな神経で過ごせる方がオカシイと自分で自分を正当化しています。でも、モーニング・ページとこのブログを始めてから、いろんなものに興味や好奇心が自然と湧き、心も安定してきました。それでも、我ながら、薬は好きですね。一日のうち、本屋と薬局に行かない日は無いくらい、行っています。ついつい健康食品の安売りをしていると大量に買ってしまうのです。「健康」依存症と「買い物」依存症なのでしょう。他の国の人達のストレスとかはどのようなものなのでしょう。戦争をしている国の人々のストレスは凄いと思いますが、アメリカとかヨーロッパなどは、日本より住みやすいのでは。この夏、沖縄・石垣島に行きましたが、タクシーの初乗り運賃が390円でした。でも、本土の人より、人間らしく生きているように感じました。やはり、自然という「五感」を刺激するものに囲まれているからでしょうか。羨ましい。旅人だから、そう見えたのかもしれませんが。ブラジルの人も、僕が行った時、リオではインフレ率が年間2000%でした。簡単にいうと、20万円のパソコンが一年間で、400万円になるということです。ですから、リオの人達は給料がでたらすぐ、スーパーマーケットに行って、お金をすべて「もの」に代えるのだそうです。日本で、このインフレ率だとパニックが起こっていますよね。でも、リオの人達は、おおらかで明るかったです。人生で何を重要視するかという事に尽きると思います。
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今日、久しぶりに撮影現場にいきました。

2004年11月30日 | テレビ番組
番組を作っている現場にいるのは、楽しいです。当然、現場だから苦しいこと、辛い事、いろいろありますが、それを乗り越えた時の快感は素晴らしいものがあります。何年か前、ドラマの現場で、夜、湘南の吹きっさらしのロケ現場で、8時間で8カットという事がありました。気温は冷凍庫の中にいるよう。実際に放送されるのは15秒にも満たない位。でも、それがそのドラマの冒頭の重要なシーンだったので、放送を見た時は感動で涙が出ました。これも先日「人間の五感」に訴える事が無くなってきている、と書きましたが、撮影現場には「五感」に訴えるものが残っているのですね。だから、撮影現場では、弁当や夜食がとっても大事です。ほとんど、毎日撮影しているキャスト・スタッフにとって、唯一に近い楽しみは食べる事。これを手配する「できるスタッフ」がいると、現場は一気に盛り上がります。決められた予算の中で、どういうバラエティーを持たせ、食事を出していくかということは、とても大切な事なのですね。僕はドラマを中心に仕事をやってきましたが、バラエティーや視聴者参加番組もやりました。テレビへの疑問、僕の答えられる範囲でお答えしますので、レス待ってま~す。
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「ブラック・ジャック」と「夫婦。」と「スウィングガールズ~メイキング」

2004年11月30日 | テレビ番組
三本とも、録画してみました。「ブラック・ジャック」毎週、感動しているのですが、昨日の寿司職人の話は号泣でした。妻と子供たちが変な目で見ていましたが、そんなことかまうもんか・・・という感じです。「夫婦。」は今期、全部見ているドラマです。少ない人間関係の中で、これだけのドラマを作れるのは、脚本家の台詞の上手さ、そしてこないだの回は、女性の演出家でしたが、視聴者のリズムにあった演出・音楽の入れ方(これは結構大胆でした)、そしてすべてをまとめるTBSの八木康夫プロデューサーのパワーを感じました。「ありがとうございます」と言いたいくらい、夫婦というものを見事に描いていて、最高です。子供は血が繋がっているけれども、夫婦は元を正せば、あかの他人。その二人が恋愛をして、暮らすのですから、ここには繊細な気遣いやお互いを思いやる気持ちが必要なんだという、極めて当たり前のことを再確認させられました。「スウィングガールズ」のメイキングは、日曜日放送していたものですが、楽器を演奏する難しさ、若いパワーがそれを克服していく様子がよく出ていました。最後にハリウッドまで行ったのにはびっくりしましたが。映画自体もとてもとても好きなので、午前一時頃までテレビに釘付けでした。さあ、これから、仕事、頑張るぞー
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「五感」に感じること

2004年11月29日 | エッセイ・日記・意見
「今の世の中は、ツルッとしている」とある有名なコンセプターが言われました。つまり、人間の五感に訴える事がどんどん無くなってきているという事です。昔は、暑い夏、「暑い暑い」と言いながら、帰宅し、井戸水で冷えたスイカを食べた時の、「感動」を味わえました。田舎に行くと、「音が無い」という「音」を感じました。もちろん、草の匂いや土の香りも。時には馬糞の臭さも。そして、「暗闇」が無くなった事は大きいでしょう。この事にいちばん貢献しているのは、「コンビニ」です。「暗闇」を消すという効果もあり、「いつでもなんでも買える」というコンビニの利点が実は、感動を失わせているのです。夜中、何か食べたくても、どこでも買えず、朝まで待って、パン屋で朝店が開くのを待って買い、食べるパンの美味しい事。「飢餓感」ですね。それが「感動」につながるのです。そして、「コンビニ」は人と人の会話も失わせています。「弁当温めますか」「はい」・・・かつての商店街や市場にあった「○○ちゃん、今日は秋刀魚が安いよ」「おじさん、いつもそんなこと言って。もう一匹おまけしてくれたら買おうかなあ」「しゃあないなあ、これやったら、もうけあれへんけど、今日は特別やで」というような会話、最近聞いた事ありますか。一日中、街を歩いていて、「土」を一度でも踏むでしょうか。その辺りに最近起こる凶悪事件の原因になる要素があるような気がしてなりません。皆さんはどう思われますか。
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放送部と「軍艦マーチ」

2004年11月29日 | エッセイ・日記・意見
小学校の時、「放送部」にいた時期があり、そこで僕は初めてカセットテープレコーダーと出会いました。自分の声を客観的に聞けるなんて、当時としてはビックリでした。給食の時間には、「放送部」が好きな音楽をかけて良いのですが、僕は明るい音楽が好きで、「軍艦マーチ」をかけたら、先生が飛んできて、「学校はパチンコ屋やないんやから・・・軍艦マーチ聴きながら、給食食べられへんやろ」と怒られました。その僕が今、放送局で働いているのですから。因果応報(使い方が違っていたらゴメンナサイ)の様な感じがします。就職シーズンもたけなわ。僕流の「テレビ局面接対策」をお教えしましょう。これはもしかしたら、どんな企業にも当てはまる事かもしれませんが。一つ目は、「面接官を笑わせる事」。何故なら、「笑い」は、面接官と受験者の共有意識を持たせるからです。二つ目は、「履歴書に、面接官が質問をしたくなる特技や趣味を書いておいて、そのことに対する質問がでたら、面白おかしく、その話で時間を引き延ばす事」。これは一人当たりの平均面接時間は大概の企業の面接の場合、決まっているはずなので、自分をアピールする時間を増やし、苦手な質問を面接官にさせないという効用があります。僕の考えた我流なので、この方法に賛同される方はお試しあれ。
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映画「火龍」と小説「冬の花~悠子」

2004年11月29日 | 映画・DVD・ビデオ
映画「火龍」は、大阪の三番街シネマで見て、その後、同窓会だったのに、ボロボロの涙でした。同じ時期に封切られた「ラスト・エンペラー」と同じ、中国の清朝最後の皇帝・溥儀の人生を描いた作品でした。「ラスト・エンペラー」が溥儀の華やかな時代を描いたのに対し、「火龍」は、溥儀が「中国の一市民」になってからの話で、清朝最後の皇帝が七輪のようなもので、魚を焼くシーンが印象的でした。この作品はビデオになったのかもしれませんが、多分今は廃版でしょう。テレビで放送したのも見た事もない、感動作です。ちなみに溥儀は昭和43年まで生きておられました。かの「大政奉還」をした徳川十五代将軍慶喜は大正時代まで生きていたのです。なんか不思議な歴史のめぐり合わせですね。小説「冬の花~悠子」は、中公文庫から出ていましたが、絶版になりました。僕はそれを予想して、二冊買っておきました。この小説は、映画監督・黒澤明の同級生の植草圭之助(映画「酔いどれ天使」などの脚本も書いています)が自分が体験した実話に基づいて書いたものです。ストーリーは、太平洋戦争当時の吉原に行った主人公が悠子という女性に惚れ、吉原を脱走させるという・・・簡単に書いてしまうとそんな話です。国会図書館に行けば読めます。古本屋で見つけたら、是非買うべし、です。それとこれも、今は手に入りませんが、波南カンコ著「まさちゅーせっつ」という全二巻のギャグマンガはほんまに面白かったです。この作者は亡くなりましたが、「ねこじる」さんとか、ギャグマンガ家で亡くなっている人は多いような気がします。人を笑わす事に集中していると、やがて精神的に参ってしまうのでしょうか。これも三年くらい前、神田の古本屋で見つけて、友人にあげるのに買いました。見つけたら、買うべき漫画です。今回は少しマニアックな話になりました。あと、僕ができるマニアックな話は「刑事コロンボ」についてです。
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「酒乱」である。

2004年11月28日 | お酒・焼酎・ウィスキー・ワイン
お酒を飲む場は好きだ。でも、僕は「酒乱」である。飲み屋の階段を転げ落ちたり、気づくと土砂降りの中、知らない町を歩いていたり、助監督と喧嘩をして、相手の顔を血だらけにしたり(全く記憶に無く意識が戻ったときに目の前に彼の血だらけの顔があった)、ダメダメ人間である。最近はあまり暴れていないが、精神不安定の時に酒を飲むと、暴れる可能性が高い。学生時代、バスケの合宿で、民宿の二階の廊下を全力疾走し、突き当たりに一階への階段があることを忘れていて、そのまま、転落し、先輩達に迷惑をかけた事があった。しかしながら、酔っていると、階段を何度も落ちているが、余分な力をかけない、「蛸」のような状態なので、ケガをしたことはない。しらふで同じ事をやっていたら、どこかで、助かろうという気持ちが働き、骨折などしていただろう。それにしても、多くの友達、先輩、後輩に、御迷惑をかけました。ゴメンナサイ。
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サザン・オールスターズ

2004年11月28日 | 歌・CD
僕が大学一回生の時、サザンは衝撃的なデビューを果たした。僕は、ほんと、音楽に関しては全然知識も興味も無い方なのだが、サザンだけは、すべてのLPを買い、CDになったら、買い直したほど好きである。好きな曲は、「旅姿六人衆」「Oh!クラウディア」「栞のテーマ」「お願いDJ」「女呼んでブギ」等である。大学時代は親のを借り、バスケットの練習に行くときなんか、テープにサザンをダビングして、聞き続けたものだ。初めてウォークマンを買った時も、バスケの合宿で高山に行く車中、サザンを聴いていた想い出がある。「ウォークマン」は、日本の風景に音楽をつけた、画期的なマシーンだと思う。
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「マカロニほうれん荘」と手塚治虫

2004年11月28日 | 本・雑誌・漫画
僕は基本的に、「画」が可愛い漫画が好きだ。それとギャグ漫画。劇画や少女漫画は本能的に受け付けない。「マカロニほうれん荘」が連載されていた当時は、衝撃的だった。あのギャグのクオリティーで最後まで・・・とは思っていたが、さすがに無理だったようだ。鴨川つばめはどうしているのだろう。手塚治虫は、小学館漫画文庫で初めて、「シュマリ」を読んでから、はまった。ストーリーや着想性の素晴らしさに息を呑んだ。手塚先生が今、御存命なら、「火の鳥」の結末はどうなっていたのだろう。
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梅田の地下で、回数券を売るおばちゃん

2004年11月28日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
大阪地下鉄の梅田の駅にまだ、切符の自動販売機が無い頃の話。11枚綴りの回数券を買って、それを定価で売り、1枚分を自分の利益にするおばちゃん達がいました。11枚売って、1枚の利益ですから、のどかな時代というか。あの人達はどこに行ったのでしょう。それと脈絡なく書きますが、梅田に唯一あった「シネラマ上映館OS劇場」の裏手のカウンターで食べれたOSカレーが好きでした。安物のカレーで具は完全にとけたのか、元からいれていないのか、今になっては定かではありませんが、具の無い汁のカレーでした。OS劇場では「センサラウンド方式」と言って、映画を見ていると「揺れ」が観客の体に伝わるという映画を見ました。「大地震」「ミッドウェイ」「ジェット・ローラー・コースター」の三本です。その他、この劇場ではなかったと思いますが、「デアボリカ」という恐怖映画を「悲鳴が回って聞こえる(スピーカーに扉がついていて、順番に開いたり、閉まったりするだけなのですが)サーカムサウンドシステム」で見た記憶があります。どちらもかなり、キワモノ的ですね。「センサラウンド方式」のおかげでOS劇場の天井の埃やゴミが揺れで落ちてきてきれいになったと後で関係者に聞きました。父と初めて見に行った大人の映画は、「ポセイドン・アドベンチャー」で、パニック映画の走りでした。父は僕のよこで、グーグー寝ていました。ナビオが出来る前にあった北野劇場で見ました。
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阪神電車の冷房の寒さについて

2004年11月28日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
阪神電車は、今は知りませんが、僕が中学受験の為、塾に通っていた頃、冷房車が導入され始め、冷蔵庫の中にいるくらい、冷房が利いていました。僕ら、塾生は何時発の電車が冷房車であるかを知り(ダイヤの関係か、いつも冷房の普通電車は同じ時刻に来ました)、塾から最寄り駅まで走った記憶があります。そんな阪神電車のなかで、僕はポプラ社の「少年探偵団シリーズ」「怪盗ルパンシリーズ」、岩波書店の「ドリトル先生全12巻」「アーサー・ランサム全集全12巻」を読み漁りました。「アーサー・ランサム全集」は特に好きで、全巻を三回は読みました。今の子供たちはどんな本をよんでいるのでしょうか?
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レオポンと阪神パーク

2004年11月28日 | 子供・動物・生き物・ペット
小学校の頃、浜甲子園にすんでいて、阪神甲子園球場の前にあった「阪神パーク」という動物園に両親とも小学校からもいった想い出があります。そこには、「レオポン」というお父さんが「ヒョウ」、お母さんがライオンのハーフの動物がいました。結局最終的には7匹位生まれ、「レオポン」自体は生殖能力が無いので、それで「阪神パーク」は、別の掛け合わせ「タイポン」(トラとヒョウのハーフ」とか「ライガー(ライオンとトラのハーフ)を作っているところを公開していました。いずれも失敗に終わったようです。今なら、動物を擁護する団体からクレームがきそうな事ですね。「阪神パーク」では、「人がピンを元通り並べるボーリング」というのもやっていました。それから、これは阪神パークとは関係ないのですが、住んでいた団地の近くに「スタントカー」という「車のサーカス」が来たのを、母の知り合いの家のベランダから見た記憶があります。片輪走行は当たり前、大砲から車が打ち出されたり、たくさんの車の上を車が飛び越えたり、厚い氷の壁を車がぶち破ったり、8の字でたくさんの車が競争したり(これは、交差するところで、必然的に車と車がぶち当たるので、一種のサバイバルレースです)、興行の要素の多い見世物でした。今は、どこに行ってしまったんだろう。三宮の駅にいた「傷痍軍人(太平洋戦争でケガをした軍人がアコーディオンみたいな風琴を弾いてお金をもらっていました)」もいつの間にか、消えていました。ところが先日、つまり2003年に新宿駅前で、「傷痍軍人」を見ました。出で立ちは、昔と一緒。疑問に思ったのは、彼がどの戦争で、ケガをしたかという事。不思議な事もあるものです。甲子園の話しにもどりますが、当時、甲子園球場は、外野席が高校野球の時はただで、僕はそこであの、三沢高校と松山商業の18回まで行って日没再試合、をリアルタイムで見ました。あの近鉄にいた太田幸司が三沢高校のピッチャーで、二日間、連投。結局、松山商業が勝ったという試合でした。僕は母に「紅茶」を水筒に入れてもらい、甲子園球場で、名物の「かち割り」(単純に氷を割ったものが入ったもの)にその紅茶を入れ、アイスティーにして、試合を見ていました。懐かしい、昭和の想い出です。
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南米に憧れて

2004年11月26日 | 旅・外国
最初は、ブラジルに行き、アマゾン川の流域の街、マナウスまでいきました。この街はアマゾン川の支流に面していて、観光船は一端8キロ位、川を下り、本流にぶつかったら、本流を遡ります。ここで面白い現象が見れます。支流の川の色は群青色、そしてアマゾン川本流はミルクコーヒーのような薄い茶色。水に溶けている成分が違うため、水の比重が違い、本流と支流の交わった地点から下流に三キロ、水面が群青色とミルクコーヒーの二つの色で二分割されるんです。すなわち、大河の真ん中に「線」が三キロ出来るのです。この現象はアマゾン川と中国の揚子江にしか起きない現象だそうです。マナウスはアマゾン河口から1500キロ遡ったところ。それでも川幅はゆうに二キロはあります。8時間の観光の終わりに船が大河の真ん中で止まったかと思うと、ガイドさんが「It’s swiming time!」と叫び、船上の観光客たちは大河に吸い込まれるように飛び込み、泳ぐのです。羨ましかったです。ガイドさんはチッチャイラジカセを出してきて、サンバをかけます。アマゾン川でも川の真ん中は深くてピラニアはいないそうです。その後、アルゼンチン、ペルー、ボリビア、チリ、そしてイースター島に行ってきました。イースター島は、快晴で、モアイ像も見たり触ったりできました。25回以上、イースター島に来ている添乗員さんがこんなに晴れたは初めてだと、旅行社のパンフレット用に写真を撮っていました。イースター島はチリ領なので、南米経由と思われる方も多いでしょうが、実際は日本からタヒチに飛び、乗り換えて、イースター島に向かいます。日本でいろんなツアーに申し込まれても、現地の旅行会社がまとめてグループを作って、イースター島観光をします。僕の参加したグループは4組の新婚さんと男性の添乗員さんと僕の10名のツアー、当然僕と添乗員さんは親しくなり、現在もタヒチのメル友です。あと、推薦の街は、チリのバルパライソ。首都サンチャゴからバスで一時間の軍港の町です。日本で言えば明治時代にできた、木製のケーブルカーのようなエレベーターのような乗り物が魅力的な、背後に山をひかえた町です。逆にお薦めできない、とっても治安の悪い町は、リオデジャネイロ(三日で60人位が射殺されて、強盗に遭います。そして、サンパウロ、もう一つはペルーの首都リマです。ここは通関から要注意!別室に連れ込まれ、税関の職員に身包み剥がれるケースもあるようで、その時はその場を動かず、「Call to ambasader(大使館・・・英語の綴りがちがっているかもしれません)」と叫ぶ事だとボリビアの寿司屋のおっちゃんに教えられました。ちなみに僕は通関する時、ベロベロの泥酔状態だったので、被害には遭いませんでした。南米の事なら、結構知っているので、これから行かれる方は何でも聞いて下さいね。リオデジャネイロのコパカバーナの端にある5000円くらいのホテルに泊まったのですが、ここの朝食のカフェオレ(ブラジルではカフェ・コン・レイチェと言います。コンはwith、レイチェはmilkです)は最高に美味かった。そして、マナウスの漁港の横にある魚市場の中の食堂の「魚の入ったトマトスープ」は安くて絶品でした。
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回転寿司と回転扉

2004年11月26日 | エッセイ・日記・意見
うちの会社のビルは回転扉がその地区で一番多く、六本木の事件の後、回転させなくしていました。今は普通の扉に替える作業が進んでいます。それを見ていて、思ったのですが、回転扉は左回り、しかし、回転寿司は右回り。何故なのでしょう。とても素朴に疑問に思いました。他によく見かけるもので「回るもの」ありましたっけ。遊園地のメリーゴーランドは左回りです。謎は深まるばかり。分かったら、答え教えて下さいませませ。
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「カッパノベルス」と父の思い出

2004年11月26日 | 本・雑誌・漫画
僕が初めて、大人の本を読んだのが、多分、父がたくさん買っていた松本清張のカッパノベルス『Dの複合』でした。中学生の頃です。そして、高三の時に、書き下ろしのカッパノベルスで読んだ赤川次郎の『三毛猫ホームズの推理』に大きなショックを受け、当時あと二冊しか出ていなかった赤川次郎の『幽霊列車』と『マリオネットの罠』を買い漁りました。初期の赤川次郎は凄い作家で、今でも角川文庫から出ていますが、『夜』という長編が好きです。西村京太郎もカッパノベルスの『夜行列車(ミッドナイトトレイン)殺人事件』が好きでむさぼるように読んだ記憶があります。父は本当に松本清張が好きで、たくさんのカッパノベルスを父の本棚から借りて読みました。今回、そのカッパノベルスが新装される事になり、石持浅海の『水の迷宮』を読んだのですが、カッパノベルスらしく面白い本でした。しかし、新装版より、昔の装丁の方が僕は好きです。おかげで、父のことを思い出し、文春文庫の新刊、宮部みゆき編の「松本清張短編傑作コレクション」全三巻を衝動的に買ってしまいました。これは、日曜日とかの午後の陽だまりの中で、ゆっくり読むつもりです。コタツがあったら、コタツに潜り込んで、顔だけ出して読むのに最適な本だと思います。
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