昨夜、あの黒澤明監督と話す「夢」を見た。
黒澤作品、全てを観ている僕は、「『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『天国と地獄』も好きですが、いちばん好きなのは、監督の奥さん・矢口陽子さんが主演された『一番美しく』です」と答えた。
さらに、僭越ながら、「木下惠介監督が好きで、デビュー作の『花咲く港』『破れ太鼓』『二十四の瞳』が大好きです」
そこで、「夢」から目が覚めた。「世界の黒澤」が怒ったのかも。
朝6時だった。
木下惠介監督には、俳優の渡辺文雄さんから聞いたこんな撮影現場の撮影裏話があった。
渡辺さんとは、旅番組「遠くへ行きたい」で御一緒した。
渡辺さんは、映画界の「五社協定」(それぞれの映画会社同士、そしてテレビに専属の俳優を出さないという協定)に抵触せず、自由にいろんな映画会社の映画に出演していた。
灼熱の太陽の光が照り付ける暑い夏の日、渡辺さんは木下惠介作品のロケに参加していた。
主演は高峰秀子さん。
突然、ロケバスが止まり、出演者・スタッフ共々、野原にいる様に監督からの指示。
暑さに耐え切れず、着物の前を肌ける女優さんも。長い長い時間が過ぎていった。
「土手に上がれ!全力で走れ!そこで右を向いて!」
木下監督から高峰さんへの指示。
このシーンが映画で最も感動し、涙出来るシーンになったと渡辺さんは言う。
「日本の雲を撮れる監督である」と。
映画「笛吹川」のクライマックスのワンシーンである。
「凄く怖いヤクザの親分を演じるにはどうしたらいいと思う?」
と渡辺さんは僕に訊く。
僕が首を傾げると、こう言った。
「親分の周りの子分が相手に凄んだり、吠えまくるんだよ。親分はじっとしていて、無言のままでいい。余計な芝居はいらない」。
赤坂で「遠くへ行きたい」のナレーション録り」が終わると、旧・TBS会館の斜め向かいにあった大衆居酒屋「正駒」で、渡辺文雄さんと僕は毎回5時間も6時間も映画談義に花を咲かせた。
そんな渡辺さんがオススメのヤクザ映画が深作欣二監督が撮った「県警対組織暴力」。
観てみたら、とっても面白かった。
ある年の12月。渡辺文雄さんとテレビマンユニオンの大貫昇ディレクターと僕は、京都・上七軒の「置き屋」のコタツに入っていた。
京都ならではの寒さが身体中を突き刺して来る。夜遅く。
大貫ディレクターは「舞妓さんを数年がかりで追いかけたドキュメンタリー」を作った。「置き屋の女将」とは親しい間柄になっていた。
そして、渡辺さんと僕と三人、「置き屋」のコタツで酒を飲もうと企画してくれたのだ。コタツで飲めば、舞妓さんも立ち寄り、話も聞けて、割安だ。
僕たち三人は、他では味わえない「置き屋」の雰囲気を存分に味わった。寒さはひとしお、年も暮れようとしていた。
「置き屋」は「常連男性のコンビニ」。
例えば、大阪伊丹空港に到着する飛行機代(たとえ、満席の便でも『置き屋』を通せば、切符を取れる)、京都までのタクシー代、「舞妓さん」と遊んだ費用、宿泊代(京都の全てのホテルが満室でも『置き屋』を通せば、必ず取ってくれる)、帰りのタクシー代、飛行機代、全て「置き屋」が肩替わり。常連さんは1円のお金も持つ事無く、遊べるシステム。まさに、コンビニだ。
そして、遊んだ半年後、巻紙の和紙に墨で書かれた請求書がお客さんの元に届くのである。
僕ら三人の場合は、半年後に来る巻紙の請求書では困るので、普通の紙の領収書をもらったが。
それからも月一で来る渡辺文雄さんのナレーション録りの日を僕は楽しみにしていた。
本当に映画の話をたくさんたくさん、渡辺さんとはした。
渡辺文雄さんは2004年、74歳で亡くなった。通夜・告別式共に、お手伝いに行った。
青山葬儀所を渡辺さんの御遺体を乗せた車が出て行く時、僕は涙が拭いても拭いても止まらなかった。
僕の肩にそっと手を置く人がいた。振り返ると、後に社長になる越智常雄さん。僕に向かって頷いてくれた。その目は、まるで渡辺さんと僕の関係を知っているかの様に温かかった。
今でも映画を観終わると、渡辺文雄さんとその映画について、語り合いたくなる。でも・・・。
渡辺さんはそんな僕を天国から優しく見守ってくれているに違いない。
撮影ちゅ😎💓
— 橘 メアリー (橘瑪麗)🐻🍌 (@mary_tachibana) November 25, 2022
すんごいむっちむち! pic.twitter.com/2NVxBcgPbi
ああ、吸い付けられる