お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

NHKさん~大丈夫?

2004年12月31日 | テレビ
あと、2004年も一時間を切りました。すごく「紅白」はオーソドックスで、いつものNHK的な「すべり応援」も少なく、「自粛紅白」と言ったところでしょうか。最後に「トリ」で、海老沢会長が生で、視聴者に謝罪してくれて、なおかつ、辞任宣言してくれれば、(もちろん、紙吹雪とかの演出ありで)とっても面白い番組になるのに。エビジョンイルはどこで「紅白」を見ているのでしょう。やはり、「トリ」は、エビジョンイル様でしょう。まあ、そんな事も無く、「紅白」は終わるのでしょう。その後の「ナイナイ」の番組が楽しみなのですが。臭い物にフタをして、放送し続ける放送局は如何なものかと思いますが。久しぶりに「紅白」を見て思った感想です。「なんでこんな人が出ているの?」、逆に、「こんなにヒットしたのに、何でこの人は出ていないの?」・・・そんな疑問を持ち続けさせる番組が毎年続いて良いものでしょうか。「国民的番組」なのでしょ・・・NHKにとっては。「紅白」の元プロデューサーが「愛人」に使った金を視聴料を支払った我々に還付してくれ。NHKの「紅白」という大看板を背負うと、「人間的」に狂ってしまうのでしょうか。「紅」が勝つか、「白」が勝つか、なんて事を、この時代に帳尻合わせで、アナウンサーが言っているNHKは、どんなものでしょうか。「郵便局」を民営化するなら、NHKを先に民営化した方が良くはねえかい。
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大晦日の「日本レコード大賞」と「紅白歌合戦」は20年ぶり!

2004年12月31日 | テレビ番組
今、「ジュピター」の演奏で、「日本レコード大賞」が始まりました。昨夜の「ザ・ベストテン」とは、お金のかけ方も違うのが明らかに分かるし、「新国立劇場」という新しい会場で、華やかさも(つまりセットや照明にかけている予算)違うし、・・・なにせ、「ザ・ベストテン」はTBSのスタジオを使って、中継はあったというものの、スタジオの裏側は見えるしで、力の入れ方が違うのでしょうね。久しぶりに大晦日に実家にいます。毎年、大学の同窓会で、この時間は実家にいないのですが、みんな仕事で忙しいのか、大阪に帰ってこないのです。今日は、墓参りに行ってきたのですが、名神が雪で不通に行きは大渋滞。昼頃出て、午後五時半頃帰ってきました。子供たち5人をナビオの映画館に連れて行ってくれた義弟(と、言っても歳は僕より五歳上)から、聞いたのですが、「Mr.インクレディブル」も満員だったそうで、来年2005年は、少しは景気が上を向いて欲しいものです。携帯電話のかかって来ない休日は良いものです。神戸の墓地は、雪がところどころに積もり、水は凍りつくように冷たかったです。蕎麦は、今日、西宮の、「蕎麦の美味しい店」で食べたので、夜は母と妹家族と、「カニすき」です。昨日は休肝日だったので、今日はほろ酔い程度にビールでも飲もうかなあ。全然、関係ない話なのですが、「紅白歌合戦」というのは、「男性」と「女性」の、それぞれの歌手が歌を歌い、どっちが勝つかを決めるという番組ですが、「男女同権」という立場では、この番組は良いのでしょうか。その年によって、男性歌手にヒットが多い場合もあり、女性歌手にヒットが多い場合もあるはずなのに、毎年男女同じ組で争うのは、不自然に感じるのですが。日本以外にも、「男性歌手」と「女性歌手」対抗のこうした歌番組があるのでしょうか。話題は飛びます。僕の場合は思いつきのみで書いているので、御勘弁を。二十数年前、会社の同期とニューヨークに年末年始、行った事があります。NYCでも「紅白」は二時間位遅れで放送されるのですが、CMが挿入されて放送されるのでず。当たり前の話ですが。この時の「ニューヨーク旅行」は最悪で、同期の友達が「音楽が大好き」なので、夜は「CAT’S」などのミュージカルを四夜、そして、「ビレッジ・バンガード」トイウ同期の友達が「音楽が大好き」なので、夜は「CAT’S」などのミュージカルを四夜、そして、「ビレッジ・バンガード」というとてもとても有名なジャズクラブにジャズを聴きにいきました。僕は音楽についてほとんど興味が無いので、昼間、メトロポリタン美術館などを歩き回って(と、いっても美術にも興味は無いのですが)フラフラに疲れ、ミュージカル四夜と、ジャズクラブの合計五夜、グーグー熟睡してしまいました。同期には、「お前とは二度と旅行しない!」と言われました。まあ、当たり前ですね。怒られても。
今年、この雑文軍団を読んで頂き、ありがとうございました。来年も皆様、良き年でありますように。そして、こんな神経質でわがままな僕を支えてくれた妻と子供たちに感謝します。では、これから「紅白」を見ます。

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「大晦日」に考えた事

2004年12月31日 | エッセイ・日記・意見
大晦日の大阪は、冷たい雨です。でも、新潟県中越地震で被災されたかた、タイを中心として、津波に合われた方々の事を思うと、少し位の寒さで四の五の言ってられません。今年はいろんな事のあった一年でした。日本人の多くが「命の尊さ」「死」について考えさせられた一年かもしれません。大阪の実家の窓から、雨の向こうに「ローソン」の青い明かりが見えます。明日がお正月なんて、大晦日だと言うのに、実感が湧きません。2005年、僕は45歳になります。子供を持つようになってから・・・そして、父が亡くなってから、・・・44歳の時、父は何を考えて仕事をしていたのだろう。と考えます。父は昭和3年生まれでしたから、44歳の時は、昭和47年。僕が中学校に入学した年で、桜田淳子や山口百恵がデビューした頃でした。日本の社会は順調に成長を続け、僕の家にもカラーテレビが来たり、もう少し後ですが、クーラーが付いたりしました。父は、自宅では仕事の話を一切しない人だったので、その頃、どんな思いで、会社と家を往復していたのでしょう。そんなにギャンブルにはまるでも無く、時々は泥酔して帰ってきましたが(今の僕の様に・・・僕の方が回数は多いけれど)、父の実態は見えませんでした。家では寝転がって巨人戦ナイターを見ている事が多く、父も息子に対してはシャイだったのかもしれませんが、そんなに会話する事も無く、時間は流れていきました。あとで聞いた話ですが、僕が中学受験をし、その合格発表を母と見に行き、合格している事を母が電話で知らせると、父はとてもとても喜んだそうです。いつもニコニコ笑っていて、無口だった父。外は雪になりました。大雪です。これで墓参りに行けるのかなあ。タイが30℃気温があって、大阪は大雪。地球は広いですね。2004年、最後の日に考えた事。「モーニング・ページ」はやって良かったと思います。約三ヶ月間続き、文章を書く力が湧き上がって来たように思います。このブログも「死」に関する事を書くとコメントが多いですね。日本人が「どうやって生きる」「どうやって死ぬ」という事を真剣に考え始めているのではないでしょうか。
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今年の「ザ・ベストテン2004」

2004年12月31日 | テレビ番組
今、「ザ・ベストテン2004」を見終えました。「カルト性」と「演出のTBS的すべり方」は、物凄かったです。それに加え、今年は、スイッチングミスなどもあり、とてもとても僕にとっては面白い番組でした。ただ、二時間半にしては、内容が無かったのでは・・・と思いました。アイドルのAは、躁状態の様で異様に笑ったり、突然腰を曲げて司会者の前を通ったりと、ちよっとビックリものでした。例年は大晦日、大学の同窓会が夕方からあって、「レコ大」も「紅白」も見れないのですが、明日は久しぶりに見れそうです。年越しの「ナイナイ」の番組が好きなので楽しみにしています。
今日の「ザ・ベストテン」で、田原俊彦がNHKの「レッツゴー・ヤング」の話を出していましたが、僕はこの、毎週日曜日の午後6時から始まる番組が好きで、ずっと見ていました。後にこの番組からアイドルになった歌手もいるし、声優になった○○みなみさんという僕の好きなアイドルの卵もいました。司会は確か、太川陽介で、彼の「ルイ・ルイ」という曲が好きでした。まだ、民放に、アイドル番組の無い時代だったのかもしれません。そこで、今日の「ザ・ベストテン2004」を見て思ったのですが、「テレビ東京」が大晦日にやっている「年忘れにっぽんの歌」という今年、第37回目になる午後五時から九時半までの番組があるのですが、この番組と「ザ・ベストテン」の出演者が年々、次第にかぶってきて、やがて同じ様な番組になるのではないかと、おせっかいな危惧をしています。あまり、深く考えて読まないように。
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「顔」は「生き様」を表す

2004年12月30日 | エッセイ・日記・意見
「顔」は、その人の「生き様」を表している様に思います。政治家に「柔和な顔」の人がいるでしょうか。NHKの海老沢会長は、どうしてあんなに「ヒール(悪役)顔」なのでしょうか。その人の「生きてきた道」、そして、現在の「心模様」が「顔」に表現されるのですね。「さゆり」という京都の舞妓を主人公にした映画をスティーブン・スピルバーグが製作します。オーディションをやって選ばれたのは、日本の女優ではなく、あのチャン・ツィイーでした。チャン・ツィイーといい、韓国映画「僕の彼女を紹介します」の主役をやった女優といい、やはり、良い意味での上昇志向がとても強いのだと思います。プロ意識ですね。日本の映画やドラマを見ていると、やはり名前優先主義で、ちゃんと演技の勉強をしていない人が多い様に思います。かつて、高峰秀子、田中絹代、阪東妻三郎、三船敏郎、志村喬、などなど、出ているだけで、「顔」から、オーラが出ている俳優が日本にもたくさんいました。そういう人達が現在なかなか出てこないのは、先程も書きましたが、「良い意味での上昇志向」(飢餓感)が「今の日本」にはないからだと思います。アメリカでも、そういう意味では、出てくるだけで、オーラが振りまかれる、それだけの「芸」を持った俳優は少なくなっていると思います。だから、大作は多いけど、ちゃんとした脚本の小品の映画が少なくなった様に思います。ケリー・グラント、グレゴリー・ペック、キャサリーン・ヘップバーン、ヘンリー・フォンダ・・・そして、リー・マービンやアーネスト・ボーグナインの様な個性派も少なくなってきている様に思います。
ドラマの現場にいた時、思ったのですが、僕がドラマの仕事を初めてした20年位前と、最近では助監督のモチベーションがかなり変わっているのですね。前は、「監督」になる為に「助監督」をしているんだという「狼」のような「上昇志向が強い奴」がいましたが、最近は「監督」になりたい、というより、「ドラマの現場」にいて、俳優さんと一緒に仕事してるんだ、というミーハー助監督が増えている様に思います。そういう助監督を怒るとすぐ辞めてしまうんですね。特に、男はすぐ辞めてしまいます。助監督のセクションだけでなく、どこのセクションも女性が進出してきて、女性の方が怒られても辞めないですね。何か、話題がいろいろ跳んでしまいました。
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「携帯」の新しい「形態」

2004年12月30日 | 携帯電話・電話
「携帯電話」は、今では完全に必需品です。写真が撮れたり、音楽が聴けたり、いろんな付加機能がついていますが、「通話」以外の機能でこんな機能がついていたら面白いなあと思う機能を考えてみましょう。まず、とても現実できですが、「懐中電灯」。これは遭難した時、携帯で連絡を取って助かったという例が最近多いので、便利かも。ただ、バッテリーを食うので、光ファイバーの様な電力の消費量が少ないものが必要かもしれませんね。それか、電波時計の様に、携帯に「ソーラー充電機能」をつけるとか。FAXとの複合機はできないですかね。多分、現在も、FAXプリンターを携帯に接続すると「携帯に来たFAX
をプリント・アウトできるとは思うのですが。「携帯電話」と「たまごっち」が合体した「携帯っち」というのはどうかなぁ。つまり、友達がいない、恋人がいない人でも、「携帯っち」という友達といつでも行動を一緒にでき、友達を「育てていく」という「孤独な人用アイテム」です。「ストーカー機能付き携帯」というのはどうかなあ。これは、GPSを搭載していて、同じ「ストーカー機能付き携帯」に電話すると、いちばん最短時間で会える様に、ナビになっているのです。「恋人同士」で遊ぶのも良いし、これはお奨めしませんが、好きな人が「ストーカー携帯」を持っていれば、その携帯の番号を入力するだけで、好きな人のいるところまで、ナビしてくれるという優れもの。お店に「ストーカー機能付き携帯」を置いておけば、お客さんが迷わず、お店に来れるという使い方もあります。あとは、「体温計」や「血圧計」と合体させた「健康携帯電話」。これは良いでしょ。それから、子供に持たせる携帯電話には、「非常ベル」がついていて、その「非常ベル」が作動すると、携帯電話会社のアラームが鳴り、すぐさま、携帯のGPS機能が作動し、誘拐などの犯罪を減らす携帯。
車の運転中に携帯で通話する事が禁止になったので、「スピード違反取締り」や「オービス」に近づくと知らせてくれる携帯。「お財布携帯」以外にも、いろいろあるでしょ、携帯の未来は・・・。
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「スポーツ」と「賭け事」に興味が無い!

2004年12月30日 | エッセイ・日記・意見
「スポーツ」と「賭け事」にほとんど興味が無いのは何故でしょう。子供たちも「サッカー」や「柔道」を習いに行っているし、僕自身、「バスケットボール」を中学・高校・大学と11年(大学を一年留年しているので)やったにも関わらず、たまに、「マラソン中継」を見る位で、プロ野球は「巨人ファン」なのですが、昔からそれ程、熱狂した事は無く、「文系」だからでしょうか。唯一、去年のワールドカップバレーの女子チームの闘いぶりには、早く家に帰ってきて、一喜一憂しました。それぞれの個性が際立った面白いチームという事もあったのでしょう。サッカーは「ベッカム」が来日しても興味は無いし、話はグーンと飛びますが、「韓流ブーム」でいろんな人が来日しても、興味が沸きません。
「賭け事」の方は、自分自身が参加してやる「麻雀」(もちろん、賭け麻雀などはしてませんよ)以外の「競馬」「競輪」「競艇」「オートレース」などには、全く関心がありません。だって、そうした賭け事でいちばん儲かるのは、「胴元」にきまっているのですから。「競馬」は中でも、「馬の美しさ」が好きという理由で、廻りにも「競馬ファン」は多いのですが、話についていけません。「パチンコ」も今、ブームですが、パチンコ屋に入りたいという欲望がないのです。なんと、自分は「無趣味」な人間だと思ってしまいます。「読書」「映画」「旅」・・・入る店は「本屋」「DVD・CDショップ」「薬局」位でしょうか。あとは、「病院」は土曜日なんか、三軒掛け持ちして廻って、「自己負担金」は結構払っています。何かに熱中できる人は素晴らしいし、羨ましいと思います。「バイク」「ゴルフ」「スキューバ・ダイビング」・・・めんどくさがりやさんなのです。電気製品を買っても、基本的に説明書は読まない人ですから。たくさん、知らない機能が眠っているんだろうなあ~と思いつつ、いつも使っています。「賭け事」をしないのは、根本的にケチなのかもしれません。それと、はまると熱くなり、どんどんいってしまう自分が怖いんだと思います。
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「タイム・カプセル」

2004年12月30日 | エッセイ・日記・意見
子供の頃、近くの公園とかに、「さくまのドロップ」のカンカンにいろんなものを入れて、タイムカプセルを作った事はありませんか。大阪万博の時、松下館がタイム・カプセルを展示し、万博終了後、大阪城の天守閣の前の土地に、二つのタイム・カプセルを埋めました。一つは、2000年に開封するもの、もう一つは1970年の2000年後の3970年に開封されるものなのです。このタイム・カプセルに入れた中身が大阪城の目の前の、博物館の二階に、「タイム・カプセルの部屋」として、展示されていたのです。2000年にすでに一つ開封していますから、今でもその展示を続けているかどうか分かりませんが、いろんなものが中に入っているのです。「テレビの台本」「学校の通信簿」「コンドーム」「ハエ」「新聞」・・・これらを見ているだけで、番組ができそうな、ありとあらゆる分野の物がありますので、是非一度、大阪城に行った際は立ち寄って見て下さいネ。1970年、日本は「高度成長期」の真っ只中にいました。こんな社会で2005年を間もなく迎えるとは一体、誰が想像できたでしょうか。奈良の女児殺害事件の犯人が逮捕され、新潟中越地震が起こり、タイを中心に大きな津波被害が出て・・・悲しいニュースが多すぎます。
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「日本の美しい雲」と「監督の贈り物」

2004年12月30日 | 映画・DVD・ビデオ
ある俳優さんから、聞いた話です。彼が木下恵介監督の映画に出ていて、実際に体験した事です。夏でした。木下監督は「雲」にこだわります。「雲待ち」と呼ばれる、「良い形の雲が来るまで待つ」という事も多かったようです。その日のロケも、「雲」を待っていました。暑い夏ですから・・・今みたいにロケバスに冷房がついている時代でもないので・・・キャスト・スタッフとも、着物をはだけて、監督の指示を待っていたそうです。長い時間が経ち、みんなだらけていたところ、急に木下監督は、主演の若い女優に、「すぐ、あの土手に上がって全力で走れ!」と指示を出しました。着物をはだけていた女優さんも、訳も分からず、土手に上がり、全力疾走です。「そこで止まれ!!!」監督が叫びます。続いて、「右を向いて!!!」「はいっ、OK!!!」。そのシーンが出来上がった映画で一番泣けるシーンになったそうです。マカ不思議。
次の話は、木下監督の助監督の書いた本に載っていた話です。木下監督と言えば、宝塚映画で撮影をする事になり、関西での撮影は初めてで、役者も知らないという事で、オーディションをする事になりました。いよいよ、明日がオーディションという日、監督のところに行った助監督に、木下監督は「オーディション、やっといてよ」と言い出すではありませんか。助監督が慌てて、「監督、そんな事言わずに、来て下さい」と頼んだら、「じゃあ、僕はいかないけど、オーディションに来た人の顔写真と住所を聞いといてよ」と木下さんは言うのです。助監督は監督の指示通り、オーディションに来たすべての人の顔写真を撮り、住所のリストを作りました。そして、監督のところにそれを持っていくと、まず、写真を二つのグループに分け、そのうちの一つのグループの人たちの住所録を作り、助監督にこう言うのです。「これから、日本橋の高島屋に行きますよ」。助監督は、監督とともに高島屋に行き、高島屋でも最高級品の「海苔のセット」を住所録に載った人達に送ったのです。「今日はオーディションに来てくれてありがとう。お疲れ様でした」と監督の自筆の感謝状を付けて。当然、巨匠・木下恵介監督から、最高級の「贈り物」が届くのですから、送った人、全員から、木下監督の自宅に礼状が届いたそうです。
そして、監督は、写真とその礼状で、出演する人を決めたのです。監督の意図は、こういう事でした。やはり、映画に出るのですから、ある程度の外見(顔)は必要です。それで、全員の写真を撮らせたのです。外見がOKになったら、今度必要なのは、「知性・感性」です。それを「贈り物」に対する、礼状の文面を読んで判断し、出演者を決めたのでした。「優雅な時代」と言ってしまえばそれまでですが、木下監督の才覚の一端を垣間見た様なエピソードでした。
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「花魁ショー」と「ヘビ花火」

2004年12月30日 | エッセイ・日記・意見
浅草の「花魁ショー」は、言問通に面した、浅草寺の裏手の「浅草5656会館」だと思います。行ったのが四年位前なので、もうやっていないかもしれませんが。
子供にとって、「お正月」とは結構「苦痛の時間」でした。もちろん、「お年玉」を貰えるのは嬉しいのですが、貰ってしまうと、大人たちは、酒を飲み出し、延々と話に花を咲かせます。当時は、テレビゲームのようなものもなく、持って行った本を読んで「早く、大人の会話」がおわらないかなぁ~と、思っていたものでした。その自分が今、大人になり、酒を延々と飲んで、酔っ払っているのですから、「光陰矢の如し」です。それとグルグル世代は回っているのですね。当時の「お年玉」は五百円だと少なく感じ、千円でまあまあ普通かなと思い、三千円くれると嬉しい気持ちでいっぱい・・・といった相場でしょうか。大阪万博の頃の話です。それと、今みたいに、正月2日位から、営業している店は皆無に近く、せっかくお年玉を貰っても、好きな本を買いに行けなかった想い出があります。今は、百貨店やスーパーも2日から開いている所がありますから、便利になったものです。それに、「コンビニ」というスーパー便利なお店がたくさんありますから。ここでも、飢餓感が失われ、なおかつ、「日本」という四季のある素晴らしい国から季節感を奪ってしまったのです。そういえば、ゲイラ・カイトという外国製の凧が流行った時期かぎありましたが、今では見かけません。ゲイラ・カイトはどこに行ってしまったのでしょうか。それと、季節は違いますが、「ヘビ花火」という火をつけると、黒い錠剤状の「ヘビ花火」がモコモコと増殖していくというものですが、皆さん、憶えていますか。
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「紅白歌合戦」の応援メッセージ

2004年12月30日 | テレビ番組
昔の「紅白歌合戦」の応援電報で、「南極の昭和基地」から必ず毎年来ていて、「外は白いっぱいの南極です」という電文だったのを憶えています。昨日の過去の紅白歌合戦を振り返る番組を見ながら、そんな事を思い出しました。確か、「昭和基地」は無人化されたのですよね。富士山の山頂測候所も無人化されましたが。年末年始、禁酒を誓いましたが、昨日、焼酎のお湯割りを飲み始めると、ボトル一本、空けてしまいました。意志の弱い事。それにしても、特番をやっていますが、なかなか見たいと思う番組が無いですね。今日は「ザ・ベストテン2004」です。
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あなたは、いつから「死」を考えましたか?

2004年12月29日 | エッセイ・日記・意見
僕は小学校の時、「塾」に通っていて、10歳とかに「死」を考えていました。当時、まだ、受験戦争が始まる初期で、クラスで塾に通っている子供は45人中、3人位でした。夏休みも「塾」の補習に追いまくられ、「心の出口」を無くした僕は、塾からの帰り、夜、塾の最寄の駅へ歩きながら、空の「オリオン座」を見ながら、「死」を考えていました。今、周りの人に聞いても、そういう人はなかなかいないのですが、その時、考えていた「死」が現在の「鬱病」や「強迫神経症っぽい性格」に反映されているのではないかと思います。「死」は「いかに生きるか」に繋がります。これからも人生を大切に考えて行きたいと思います。
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少年犯罪、「加害者の家族」

2004年12月29日 | 家族
もちろん、少年犯罪であっても、加害者が悪く、被害者とその家族に同情が集まるのは、当たり前のことだと思います。だけど、「加害者の家族」、特に加害者が未成年の場合、親は当然、教育等の責任があるのですから、ある程度の責任は生じるとは思いますが、加害者の兄弟・姉妹などは、実はその事件で、つらい思いをしていても、本人たちに何の責任も無いのではないでしょうか。ドラマにならないかと、企画書も書いたのですが、やはり、被害者と被害者の家族がいる限り、なかなか微妙な問題で、ドラマ化はできませんでした。東野圭吾が「手紙」で、加害者の家族を描いていて、思う事は一緒なんだなあと思いました。ドラマ作りには、何がしかの枠組みが要ると思います。以前も書きましたが、それが「戦争」だったり、「韓国」だったり・・・すると思うのですが。というのは、「恋愛」だったり、「家族」だったり・・・は、ドラマより現実のニュースの方が劇的な為、なかなかドラマの企画として、成立しにくいのだと思います。あとは、「人間の生死」に関わる事ですね。「病院もの・病気もの」が確実に視聴者の心を捉えるのは、そこに「命・・・そして、死」があるからだと思います。
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都会の中の「小さな旅」

2004年12月29日 | 旅・外国
東京の「鶴見」という駅から、鶴見線というのが出ています。この線の終点、「海芝浦」という駅には、二つの特徴があります。一つは、ホームの真下まで、海が来ている事、もう一つは、一般の人は駅を降りてもそれ以上どこにもいけないという事です。なぜかというと、この駅は「東芝」の工場に勤める人の為に設けられている駅だからです。でも、海がホームのそばまで来ている駅は少なく、気軽にいけるので、「都会の中の小さな旅」として、お薦めです。僕も一回行ってみました。改札口を出ても、いくところが無く、また、切符を買って帰路につくのが、またまた、「侘しくて」良いのです。
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映画は興行だった・・・

2004年12月28日 | 映画・DVD・ビデオ
映画は昔、興行だった。それは、パニック映画が始まった頃からだろうか。「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」「JAWS」、ちょっと古くは「エクソシスト」(アメリカでの試写会で、恐怖の為、何人かの人が死んだという噂が流れ、ドキドキして見たが、たいした事はなかった。「ヘルハウス」の方が怖かった)、映画がロードショーされる半年前くらいから、ワクワクしながら、「ロードショー」や「スクリーン」という映画雑誌を読んで期待していた。もちろん、中学・高校生の時はお金も無く、正月に大作が二つダブると、どちらか一つを選ばなければならなかった。鮮明に憶えているのは、「大地震」と「エアポート‘75」の公開された年・・・センサラウンド方式に惹かれて、「大地震」を選びました・・・「キングコング」と「カサンドラクロス」が公開された年・・・「鉄道ファン」だったので、「カサンドラクロス」を見ました・・・などです。「007」も楽しみにしていたシリーズで、高校三年生の大学受験直前の正月に見た「007/私を愛したスパイ」は、今でも僕の見た映画の中でもベスト10に入るくらい面白かった作品です。友達が小さい頃アメリカで暮らしていた商社マンの家庭で、「きょう、ゼロゼロセブンを見てきました」と、友達のお母さんに言うと、「それは、ダブル・オー・セブンの事でしょ」と軽く言われ、欧米では「007」をそういうんだと変に感心したものです。今は正月でも夏でも、興行的な映画が無くて、ドキドキ感も感じません。テレビやインターネット、DVDなどがあり、映画という娯楽に集中して、魅力を見出す事ができなくなっているのかもしれません。
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