お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

1982年卒業旅行 16.パリ・・・フランス

2020年05月28日 | 旅・外国
1982.3.13.

8:00目覚ましで起きる。8:45朝食。9:15出発。バスにてパリ半日観光へ。まずはモンマルトルの丘。ちょっと雨。ガイドが独りよがりのジョークを言っている。パリは犬の糞でいっぱいだ。毎朝、その糞を水で洗い流してきれいにするそうだ。ビリー・ワイルダー監督の「あなただけ今晩は」を観ているので、もっときれいな街かと思っていた。

モンマルトルの丘、画家多し。画家がわざと一つの場所に集まったみたいだ。

日本人のおっさんが「紙幣」を見せて、絵を買う交渉をしている。絵の価値、分かっとるんやろうか?

この丘からエッフェル塔の見える日は晴れなのだそうだ。今日はエッフェル塔が見えている。

有名な階段で写真をパチリ。子供たちのグループがいる。みんなジプシーのスリに見えてくる。先入観というのは怖い。ローマとパリ、治安が悪いと聞いただけで、色々想像を膨らませてしまう。

風車のある「ムーランルージュ」の前を通って、ノートルダム寺院へ。パリの番地は片側が奇数だと反対側は偶数。

 

ノートルダム寺院の中は修復中で入れない。首を持った彫刻や美しいステンドグラスあり。寒い。

 
手塚らとボヤボヤしていたら、みんなとはぐれる。

土産物店で灰皿買う。ソルボンヌ大学のTシャツ買いたい。

 

コンコルド広場へ行き、凱旋門の前を通って、エッフェル塔をバックに写真を撮る。(いかにも近ツリの半日市内観光らしい)

 

シャンゼリゼでバスを降りる人とオペラ座の近くのラーメン屋の前でバスを降りる人に分かれる。僕たちは後者。昼食は味噌ラーメンとカレーライス。

手塚らはこの旅行中、日本食は食べないとの事で別の店へ。

昼食後、Duty Free Shoppersへ。ちょっと見てから、メトロでバスチーユ広場。塔の下で写真を撮る。

バスチーユ駅(メトロ)は地上駅。

植出は「バスチーユ駅(SNCF・・・フランス国鉄)があるはずだが・・・」と言う。それらしき、高架はある。しかし、架線が無い。廃線になったのかもしれない。

歩いて、リヨン駅へ。TGV停まっている。感動。リヨン駅は大きく古い造り。

恒例、切符買う。TGVの切符売り場は新幹線の様に別になっている。カッコいい。山田太一作の大河ドラマ「獅子の時代」のロケも行われた、パリでいちばん有名な駅である。

TGVのホームは柵で仕切られていて入れない。

パリの駅はその駅から出発する列車の最終到着地が駅名になっている。
すなわち、リヨン駅を出発する列車の終点はリヨンなのである。

 
メトロでオデオンへ。若者の街、カルチェラタンだ。マクドナルドある。店舗の色合いが赤と黄色ではなく、渋い茶色。スポーツ用品店多い。映画のポスター屋ある。メル・ブルックス監督の「プロデューサーズ」上映中の映画館あり。CINE SEINEの場所を訊くが、要領を得ず。

ソルボンヌ大学へ行く。最初間違って隣の高校へ入ってしまう。

ソルボンヌ大学は阪大のロ号館の様に、古くあまりきれいとは言えない。

自販機でフルーツジュース買い、飲む。変な味。

大学構内にいた女子学生にCINE SEINEの場所を訊く。地図を出して、丁寧に教えてくれる。植出、トイレへ。

大学の中は込み入っていて、出口が分かりにくい。

 

大学を出て、パンテオンへ。外から見るだけ。

道を歩いていると、アパートの3階からゴミを頭上に捨てられた。もっとよく見ろ!下を。

 リュクサンブール宮殿の中を通って、CINE SEINEの下見に行く。

CINE SEINEの辺りは中国人街なのか、中華料理店多い。「焼き鳥」と漢字で書いた店もある。

CINE SEINEの入口の女性も中国人の様だ。中国の映画やっている。

映画「プロデューサーズ」の上映開始は20:30からとの事。

 

メトロ「Maubert Mutualite駅」から「シャルル・ドゴール エトワール駅」へ。凱旋門は人の列。10フラン払って、階段で上まで上る。エレベーターがあるとは聞いていたのだが・・・

凱旋門の中は博物館。上からはシャンゼリゼ、モンマルトルの丘がよく見える。

 

オペラ座へメトロを乗り間違えながら行く。パリ三越の地下でラコステ買おうと試着するが、サイズが合わない。

パリで日本の百貨店に入るとそれだけで安心感があるし、誇らしげでもある。

 
歩いていると、もう一軒、別の場所に三越がある。まさかと思って入ると、ラコステを売っており、サイズも合った。買う。9400円位。免税額に達していないのに免税してくれる。植出、ワインカラーのラコステ買う。植出、妹の土産探すが見つからず。

大阪亭で夕食。店内はほとんど日本人。商社マンらしき4人連れいる。

何かしらんが羨ましい。

サッポロビール、日本酒、にぎり寿司定食。3000円位。

 

今日は植出と2人で行動。サノはルーブル美術館へ行った。植出はコバらと今晩宴会をしようと約束している様だ。

僕は「プロデューサーズ」見に行こうか悩んだが、明日見に行く事にする。

 

スーパーで「酒のアテ」と「ジョニ赤」を購入。

 

メトロでエッフェル塔へ。市場の真ん中通る。市場の人々、水で汚れを落としている。

着いた時、辺りはもう暗く、エッフェル塔は周りからの照明でうすぼんやりと浮かび上がっていた。

植出は「東京タワーの様に、塔そのものにライトを付けた方がいい」と言うが、僕は反対だ。エッフェル塔でコバや山ちゃんらと会う。アネゴに「ジョニ赤」をチラつかせると、フランス人のおじさんがそれを見ていて、ニヤリ。

 
エレベーターは鉄骨の中を斜めに昇っていく。途中1回止まり、昇る角度が変わる。このエレベーター、セーヌ川の水圧で動いている。

 
エッフェル塔の上から見るパリは光の海だ。凱旋門が闇に光って浮き出ている。

もっと上まで昇れるはずだが、夜だからなのか、季節的なことなのか、上へは行けない。30分近くいて、下へ。

 

目の前を流れるセーヌ川をイエナ橋で渡り、午前中に訪れたシャイヨー宮へ。日本人の若者2人に会う。メトロに乗ってホテルへ。

21:30からトランプ。ジョニ赤飲む。この夜の記憶は欠落している。

たぶん、コバ・アネゴ・サノ・植出・僕はいたはず。鈴木・高橋がいたかどうかは・・・とにかくよく飲んだはず。


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1982年卒業旅行 15.ブリュッセル・パリ・・・ベルギー・フランス

2020年05月28日 | 旅・外国
1982.3.12.

6:30モーニングコール。7:15過ぎ、朝食。8:00ブリュージュ発。

9:30ベルギーの首都・ブリュッセル到着。

グランプラスを通り、小便小僧の前へ。小便小僧の写真を撮っていると、アラレがカメラの前に飛び出してくる。どんな写真になる事やら(もちろん、この時代の写真はフィルムで、現像してみないとどう撮れたか分からない)。

王宮の方へ、植出・サノ・コバ・アネゴ・鈴木らと行きかけると雨。植出・サノ、王宮へ走って行く。残りの人々はバスへと向かう。

「失恋した時とか、こんな石畳の町、雨の中、歩くと癒されていいだろうなぁ」と僕がコバに言ったのだが、コバがそれに何と言ったかは忘れた。

 
バスのそばがブリュッセル中央駅だったとは! 中央駅は地下駅。実はトイレ探しに行ったのだが、トイレはあったが、有料トイレらしくおばさんが入口のところにいるので行くのをやめる。須賀さんにトイレの場所を教える。

ベルギー・フランスの国境を通って、フランスへ。土砂降り。国境のフランス側で、雨の中、両替所に並ぶが、人が多くて両替できず。

フランスへ入ると高速道路の標識が茶色になり、周りは畑ばかりとなる。高速道路のドライブインにて、セルフサービスの昼食。ハンバーグ。

お釣りを間違われる。(10フラン)文句を言ったが、キャッシャーはガンとしてダメ。(マネージャーは返せと言っていたみたいだが)

 
シャルル・ドゴール空港の横を通って、モンマルトルの丘を前に見ながら、パリの街へ。

16:00ホテル着。

 
ホテルはメトロのブロッチェン駅近く。16:40ちょっと服装を決めて、町へ。決めているのは、僕と久武くらいか。メトロに乗り、シャンゼリゼ・クレマンソー駅で降りる。ちょっと有名店で買い物をと、植出・アネゴ・サノ・コバ・僕、いつものグループ。パリの有名店は入りにくい雰囲気。それでも、CELINE、Christian Dior ニナ・リッチに入るがとてもとても高い。中にはほとんど人がいない。(イタリアなんか、店内、日本人だらけやったのに)

途中でコバらと分かれ、植出・サノ・僕でいろんなお店を回る。シャンゼリゼの銀行で両替。キャッシュベルトからパスポートを出すのに、一苦労。凱旋門横のドラッグストアでコバらと会う。絵はがき買う。

 
19:30頃からシャンゼリゼのレストランにて、食事。腹具合おかしい。ビールと定食。定食は中身が分からず頼んだので、何が出てくるか不安。フランス語しか通じない。メニューもフランス語。どうしようもない。シーチキンみたいなものとカレーチャーハンに貝・海老・チキンの載ったもの、コーヒーも飲んで3000円位。物価高い。フランス人は英語が喋れても、英語をワザと使わないようだ。

 
フランスに入った時、ドライブインで買った「シネスコープ」(映画情報誌)で調べてあった「メル・ブルックスの珍説世界史パート1」アネゴ・コバと見に行く。上映時間に遅れそうになり、焦る。こちらでは「途中入場」がエチケット違反の為、禁止されているのだ。やはり、文化を大切にするお国柄。

入場料はたしか26~27フラン(1000円位)。

僕が切符売り場で焦って、「メル・ブルックスの珍説世界史パート1」を見たいんだ」と言うと、「あと4分ある」と窓口の人に言われる。

案内嬢に案内されて(もちろんチップ1フラン渡す)、いちばん前の席へ。満員らしい。僕が座り、左側にコバ、右側にアネゴ。座るとすぐ始まる。予告編や映画会社のマークあったのかなぁ、憶えていない。

 

映画はいつもの「メル・ブルックス調」。ギリシャ時代・ローマ時代と世界史をたどってパロディ化するので、今回の旅をたどる様で分かりやすい。しかし、周りが笑っているのに、笑えない箇所あり。

また、画面のしたに出る「フランス語字幕」へ目が行ってしまう。

コバ、さすがに英検一級、スラング・隠語の類まで分かるのだろうか、よく笑う。

コバ、こっち見て「今の分かった」と言う。アネゴ分からず、コバに「どういう事?」と訊く。しかし、コバ、いやらしい事なので説明できず。

それなら、「今の分かった」と言わんかったらええのに。

 

明日、同じメル・ブルックス監督の「プロデューサーズ」を見たい気分。

アネゴは隣に座っていた女の子が可愛かったそうだ。何見とったんやろ。

 
映画館から出ると、22:00過ぎ。夜のパリは怖い。アネゴ・コバ、黒人に付けられていると言い出す。僕も男、2人のか弱き(?)乙女を守らねば。

僕、財布失くした。と思ったら、入れる場所を自分で変えていただけ。スリに遭ったと思い、焦る。

フランクリン・ルーズベルト駅ホーム、3人で地下鉄を待つが、事故らしく、30分待っても電車は来ない。別の路線で、ホテルへ。パリの地下鉄はタイヤで走る線があったり、電気の接収方法も線により異なる。

しかし、いずれにせよ汚い。しかも黒人が多く、集団スリに見えてくる。こちらが勝手に恐怖心を抱いているだけなのかもしれない。

 
この当時、日本で黒人を見かける事は無かった。アムステルダムやパリで黒人に恐怖心を持ったのも仕方ない事かもしれない。

フランスもオランダも国外に植民地を持っていた。それゆえ、植民地から入って来た黒人が多かったのかもしれない。

アネゴ、コバ、果物買う。僕も食べたい!

23:15ホテル着。入浴後、25:00就寝。

 

サノと植出・生田は、ハードコアを見に行ったのだ。僕より遅くホテルに帰って来た。

植出・サノ、ハードコア行くのに、コバ・アネゴに散歩に行くと白々しいウソをついていた。生田がハードコアを見て、「もう1本見に行こうぜ」と言ったとか・・・






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1982年卒業旅行 14.ブリュージュ・・・ベルギー

2020年05月28日 | 旅・外国
1982.3.11.

7:00モーニングコール。7:50朝食。8:30前、出発。

 
ハーグ平和宮前で写真を撮る為、停車。オランダ・ベルギー国境で両替の為、停車。20ドル替える。サノに借金返す。深沢添乗員、ケーキ食う。アントワープの横を通り、13:30、ブリュージュのホテル着。

 

すぐ昼食を食べに町の中心へ。サノ・植出・僕。僕とサノ、ステーキ食う。植出、値段見て中に入らず。

「何の肉か分からん」と先に行ってしまう。
とにかく切り難い肉。2000円ちょっと。

 

上まで316段ある鐘楼に登る。らせん階段。しんどい。風強し。風景良い。上で植出に会う。風車見て来たとの事。小野、登ってくる。

「上までまだ半分以上あるよ」とウソをつく。

ノートルダム寺院でミケランジェロの彫刻見る。その後、道に迷いつつ駅へ。

切符はすぐ買える。ホームにて写真を撮る。サノ、何故かパンツ買いたがる。

 

この町の道は石畳み。駅よりバスにて繁華街へ。アネゴ・アラレ・アカネ・先生が道を歩いているのを見て、バスから飛び降りる。

 

サノ、パンツ探すが、恥ずかしくて店員に、

「パンツ下さい」とは言えないとの事。

レコード店で、「メル・ブルックスの珍説世界史パート1」のレコード見つける。

スーパーの前で渋谷らに会う。19:00からホテルで夕食パーティーとの事。僕たちもと、植出と2人でスーパーの地下へ。ジョニ赤(5000円位)買う買わないで、植出と喧嘩。

僕が「アネゴもウィスキー飲みたい言うてるし、ジョニ赤買おうや」というと、

植出、「俺、ウィスキー飲まへんから、おまえ金払え」
もっと言い方があると思うが・・・。

腹立って、店を出ようと思うが、出口分からず泣き寝入り。

 
それでもパーティーの材料買って、マクドナルドへ。入口で小野と会う。中から手を振ったとの事。そんな事、分かるか! まだ怒っている僕。
アップルパイとコーヒー。

 

ホテルへ。ホテルの手前の店で、手塚・松山と会う。

19:00から生田・小野の部屋で夕食パーティーとか。隣の生田・小野の部屋に寄ってみると、11人来るから、ちょっと一緒にワインパーティーやるのは無理じゃないかとの事。

 
ホテルで絵はがきを書く。植出は洗濯。

19:00過ぎ、ホテルから5~6分の中華レストランへ。東洋系(日本人と変わらぬ)の娘さんが注文を取りに来る。スープ・春巻き・焼き飯。日本の中華料理の方が美味しい。夕食食うのに、1時間半くらいかかる。日本と違って、料理が出て来る時間がゆっくりだ。日本が急ぎすぎなのか?

20:50ホテル着。コバ・鈴木・高橋、待ちかねた様に、部屋に来る。

植出・僕と5人で、パーティー始める。隣の部屋では、11人が19:00からパーティーをやっていて、もうできあがった様子。途中で、サノ・アネゴ・二宮来る。高橋・鈴木帰り、アネゴ、日本へ電話しに行く。

トランプ(ナポレオン)を二宮さんに教えつつやる。コバ、ナポレオンが余程好きらしい。

ぶりっ子トランプのダイヤのエースはコバに似ている。

25:30就寝。

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1982年卒業旅行 13.アムステルダム・・・オランダ

2020年05月27日 | 旅・外国
1982.3.9.

6:30モーニングコール。7:15朝食。8:00出発。

アウトバーンを通ってケルンへ。ケルンにて昼食。10人位と、駅構内の食堂で。
豚肉ステーキとビール。食堂の便所閉鎖で、公衆便所へ行く。ドイツの若者が自分の入った後の有料トイレを譲ってくれる。彼は出る時に、扉が閉まってしまうとお金がかかるので、扉が閉まらない様に押さえていてくれたのだ。先日もザルツブルクでコバがおばさんにトイレを譲ってもらった。よくある事らしい。

中に入って用を足そうとするが、譲ってもらった個室は中から鍵がかからない事が判明。30ペニヒケチって、トイレの扉を中から引っ張りながら、用を足す。

 
西ドイツ・オランダの国境にて両替。(20ドル→47.65ギルダー)

オランダのギルダー紙幣は一色刷り。先生が両替所の横の旅行案内所の女性に
「コーラないか?」と訊いている。ある訳がない。僕も女性に「アムステルダムの無料の地図はないか?」と訊いてみる。無かった。

 
バスの中で、古き良き時代の歌をパッパラバーズ、アラレ、アカネらと歌う。僕の印象が変わったとの事。

 
アウトバーンの終点みたいなところにあるモーテルが今夜のホテル。モーテルと言っても日本のモーテルとは違う。車で乗りつける、運転手用の安ホテルといった感じ。各部屋のドアが表に面している。シャワーしかない。町中まで遠い。地図に載っていない。近ツリのいつものパターンだ。

 
18:00、ホテル出る。サノ・植出・コバ・鈴木・高橋・渡辺。橋を渡って、市電乗り場へ。コバと話しながら歩く。市電はNo.25。終点から乗る。女連中、特にコバ、「飾り窓」行きたがる。市電にて中央駅へ。

駅構内は汚く、目つきの悪い人間がウロウロしていて、ハーレムの様だ。切符、自動販売機で買う。市電の切符か国鉄の切符か分からん。

植出が地図を見ながら、みんなを飾り窓へ。

川沿いにぼんやり光る赤い灯。ショーウィンドウの中に下着姿の女たち。
カーテンの閉まっているところは「作業中」だ。

ここにアボさんが、ここに山ちゃんが、と言いながら通る。

ストリップ小屋有り。呼び込みの男が日本語で「女性器」の名前を叫んでいる。

日本人がどれだけたくさん来るのか、容易に想像がつく。同行している女性たち、黙っている。特にコバ。コバと僕、飾り窓地区を出たところで、車に引かれそうになった。

 
夕食はイタリア料理店(No.25の通る市電通りに面している)にて、スパゲティとオムレツ。夕食後、コバに頼まれて、エロ本買いに行く。すげえ本がある。「獣姦」「放尿」・・・。白人ってすげえなぁ。コバにはビニールに入った三冊セットを買う。1000円位。

コバ、友だちの彼氏にあげるとか。実はイタリアで、既にもう一冊ご購入済。

コバらと待ち合わせたコーヒーショップで合流し、アボさん、山ちゃん、岡本らと市電No.25(黄色の三両編成)にてホテルへ。途中で二宮が消えたとか消えないとか・・・。

ホテル着22:30。トランプwithサノ・コバ・植出・僕、後にアネゴ・小野・生田。26:00過ぎ、終わる。シャワー、洗濯後、就寝26:50。

 

※この日か次の日か忘れたがサノは二宮さんとバーで飲み、アネゴは角野さんと酒を飲む。サノ、アネゴの部屋の鍵を手に入れ、アネゴの部屋で待ち伏せ。

アネゴ、鍵無いと僕らの部屋に来る。この日、アネゴはどこかおかしかった。

コバとアネゴは僕から見ると「水と油」。血液型もB型とA型。アネゴの気持ち、コバ分からず、アネゴ、コバの気持ち分かる。コバって気持ちが行動に出るんだよなぁ~植出くん!(僕、ジェラシーの鬼と化す)

この辺の夜、よく植出を責める。サドの傾向あり。

1982.3.10.

8:00頃、渋谷の電話で起きる。8:40朝食。9:10出発。

市電No.25にて、植出と2人でダム広場の近くへ。1つ手前の停留所で降りてしまう。ひどい雨と風。傘が折れそうになる。水曜日なので市庁舎が見学できるのだが、13:00からなので、半ばあきらめる。郵便局へ行き、絵はがき買う。

 

2人位に道を訊き、アンネ・フランクの家へ。道を訊いたおじさんによると、「今はよく雨が降るが、もうすぐ晴れの日々が来る」との事。

運河沿いにあるアンネ・フランクの家は「観光化された感」が強い。

教科書で読んだ、有名な隠れ家の入口の本棚あり。コバ、鈴木、高橋と会う。花市場、良かったとの事。歩いて、花市場へ。

チューリップの球根買う。10個7.5ギルダーを5セット。

 

改装中のマクドナルドで昼食。ビッグマック、ハンバーガーロイヤル、コーヒーで8.8ギルダー。

国立博物館、ゴッホ美術館と回るが、僕には絵は分からぬ。分かったのは「夜警」ぐらいか? 足が疲れる。

ゴッホが江戸時代の日本画をコレクションにしていたのには驚いた。

 

市電No.2にて、アムステルダム中央駅へ。先生に駅で会い、風車のある所へ行く方法を訊く。しかし、乗った電車は行こうと思っていた駅には止まらず、車掌に訊いて、国電黄色の終点デン・ヘルダーまでの切符を買う。2人で1枚。(ホテルへ帰ってから半分に切った)

 

デン・ヘルダーの町はニュータウンのショッピング街という雰囲気。WIMPYの前を通り、北海を見に行く。

「海岸はどう行ったらいいですか?」と訊くが通じない。後で考えてみると、北海には「砂でできた海岸」は無いのだ。

 

北海は青くはなく、茶白い海。大きくて高い堤防に上ってみれば、海面よりデン・ヘルダーの町の方が圧倒的に低い。オランダが国土を広げる為に干拓をしてきた事がよく分かる。

堤防の上をジョギングしている人がいる。寒くて強い風が吹いていた。風上に向かって走る人はしんどいだろうな。

 

町へ戻り、WIMPYでアップルパイとコーヒーのセット。

その後、駅の手前で自動販売機で1ギルダーを入れて、コロッケを買おうとするが、何故か出て来ない。横にいたオランダ人が1.5ギルダーという事を教えてくれた。

 

16:41発の電車に乗り、途中下車して、風車を見に行く。風車は5つあるがすべて運河の向こう側。風車はロープで止めてあり、今は使っていない様だ。

 

17:39発ハーレム行き電車に乗り、途中で乗り換えて、アムステルダム中央駅。

駅で両替後、地下鉄で「はね橋」を見に行く。地下鉄はただ乗り。

「はね橋」へ行く道を訊くと、ひげのおにいさんが親切に教えてくれた。

「はね橋」を見た後、地下鉄に再び乗り、アムステルダムの繁華街へ。

飾り窓を通って、SEXSHOPにて、買い物。植出はエッチなトランプ2組。僕はエッチな1ドル札を購入。

 

19:12コバ、高橋、鈴木と待ち合わせしたハンバーガー屋へ。少し遅れる。

「私たち、食事代ちょっきりしか持ってないの。ノド乾いたなぁ~」

暗に約束の時間に遅れたので、ジュースおごれとの事。

植出、なかなかおごろうとせず、僕はやきもき。いかんなぁ。

ツーリストメニュー食べる。魚フライ、グリーンピース、アップルパイ、ビール。

コバ、おごってもらったお礼を植出に言う。僕は金の支払い。なんちゅう、そんな役目。

夕食後、ホテルに帰ってワインでも飲まないか、という事になり、ワインを探してアムステルダム中央駅まで行く。ワイン見つからず。1年間、世界を旅しているというボサボサ頭でひげ面の日本人に会う。

ベルリンにタダで行く方法や日本人観について話す。これから、イギリス・アメリカと旅する。そして、ハワイの海岸から海を見たいのだそうだ。

女の子、植出、嫌がっているみたい。

 

市電No.25にてホテルへ。今日1日、雨や風で寒かった。

 

21:15ホテル着。ビールを自販機で買って、鈴木・高橋が持って来たたくわんで飲んでからトランプ。

コバのぶりっ子トランプには、ハムの油は付くし、たくわんの臭いは付くし、いい想い出となる事だろう。

きゅうりのキューちゃん食べる。ど貧民する。調子悪し。

23:40コバ、高橋、鈴木帰る。

サノ、植出、僕でうだうだ女の話。僕とサノが

「コバは植出に惚れているよ」というと、

「もうそんなこと、言わんとってくれ。ほんまに惚れそうになってるのに」

植出は単なる友だちでいたいらしい。

僕は、惚れそうになるんやったら、惚れたらええやんと思ったが・・・。

26:00過ぎ、就寝。
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1982年卒業旅行 12.ハイデルベルグ・・・西ドイツ

2020年05月26日 | 旅・外国
1982.3.8.

6:30モーニングコール。7:15朝食。8:00出発。バーゼルにて、スイス・西ドイツ国境を通過。西ドイツ側の国境係官がバスの中へ入って来て、一人一人パスポートを点検。厳しい入国審査。トイレ休憩。アボさんがここの自販機でコンドウさんを買ったとか・・・。

 

アウトバーンを通ってハイデルベルグヘ。アウトバーンはセメント舗装だ。ナチスドイツの時代、ドイツの戦闘機がアウトバーンに着陸できるよう設計されたらしい。

途中、ドライブインにて昼食。ハンバーグ、ホウレン草をすり潰したもの(あまり気持ちいいものではない)、ふかし芋、スープ、アイスクリーム。

 
再びアウトバーンを通ってハイデルベルグへ。30分位。

ハイデルベルグ城見学。ワインの蔵でワインを飲み、グラスを持ち帰る。蔵でハンドボールの日本女子チームに会う。

城から見るハイデルベルグの町はきれいだ。ちょっとイタリアのフィレンツェに似ている様な気もする。

15:00過ぎ、ホテル到着。用意ができていない部屋多し。このホテル、昔は修道院だったそうな。ライン川沿いに位置している。

ホテルでアラレと目が合う。渡辺、コバと18:00にウールウォースの前で会う事を約束。川沿いを歩いて、「哲学者の道」へ。早大のオーケストラの人々に会う。演奏旅行中だとか。

 
駅へ。町の西の端。遠い。切符は自動販売機で買う。ホームで列車の写真撮った後、路面電車でビスマルク広場へ。

18:00、待ち合わせた渡辺、コバらに会うが、再び分かれる。

植出・サノ・僕。須賀さん(女性)に会う。1人。

僕が須賀さんっていいなぁ」というと、

植出らが「追いかけていったら?」と言うので、

「今はレストランに入って、クソしてえ」と言ったら、

「今村は女よりクソや」と言われる事となった。

大学の食堂へ行くが閉まっている。食堂を教えてくれた紳士はヨーヨーをやっていた。

映画「メル・ブルックスの珍説世界史パート1」をやっている。旅のどこかでこの映画が観られれば最高。

ヨーロッパ各地でやっているのだ。パンフレットあるかと映画館の人に訊くが無いとの事。

 
少し歩くと「SEX SHOP」というお店があり、左見て右見て、誰もいないのを確かめ、サッと中に入る。山ちゃんとアボさんが中にいた。

女性たちは、「SEX SHOP」の隣のチェーン店で夕食を食べているとの事。

 
5人でレストランに入る。シュニッツェル(トンカツの様なもの)、ビール。トイレに行く。

 
レストランを出て歩いていると、マルクス兄弟の映画を上映している映画館があるではないか!!

 
ハンバーガー屋で、ハンバーガーとアップルパイ、コーヒー。


ビスマルク広場で記念撮影。凱旋門を通り、ダムの所で船を上げる装置を見て、ホテル20:20着。

 
21:10小野さんに借りたポットで「赤だし」「日本茶」飲む。

21:40植出・僕・サノ・コバ・アネゴ、ホテルのバーでワイン2本飲む。

1本はサノ(ドラえもん)のおごり。コバは僕たちが「サノがアネゴにキスしようとしていた事」を知らないと思い、「ドラえもん、ドラえもん」とサノをチクチク刺す様な事を言う。

1本目のワインは高いだけあって美味い。

 
22:50、部屋で植出と女の話。テーマは「男と女は友だちでいられるか?」

植出は「いられる」、僕は「いられない」

23:45、小野・生田やって来て、話に加わり、25:00前帰っていく。

風呂に入り、25:15就寝。

僕たちの部屋の2つのベッドの中央に修道女の絵がかけてあり、その目が植出のベッドの方を向いていて、生きている様なのだ。

僕が「この部屋で自殺した修道女の絵じゃないか」と言ったら、

植出が「眠れなくなるから、そんな話はやめてくれ」と言う。

コバ、映画案内もらってきてくれる。マルクス兄弟大会やっている。

※ここのホテルの電話帳にサノ、アネゴへの手紙挟む。うまくいけば、掃除の時、手紙を挟んだ電話帳からポロリと手紙が落ちるかも。それを係の人が見つけ、投函してくれるかもしれないと言う。
だったら自分でポストに投函するか、アネゴに直接渡した方が早い様に思うが。
恋する男の子の切ない思いなのかもしれない。女の子はもっと現実的ですよー
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1982年卒業旅行 11.ユングフラウヨッホ・・・スイス

2020年05月26日 | 旅・外国
1982.3.7. 
 6:30モーニングコール。7:00朝食。7:30出発。ユングフラウの麓、グリーンデルバルトへ。グリーンデルバルト発10:40の登山電車(予約必要)で、途中一回乗り換え、アイガーへ。アイガーの壁に開けられた穴から外を見る。

ヨーロッパ1高いユングフラウヨッホ駅へ。行く途中にスキー場有り。登山電車にもスキー客多し。

 
ユングフラウヨッホ(ユングフラウの山頂という意味か?)に着いてすぐ昼食。肉料理、スープ、サラダ、アイスクリーム。近ツリにしては良い。食後、植出と氷の宮殿へ。床も天井も壁も氷。氷の車あり。

ドアを開けて、外へ出てみる。吹雪。悪天候。むちゃ寒い。展望台へエレベーターで上るが濃霧の為、全く何も見えず。郵便局で絵はがき出して、14:40の電車で下山。バスにてチューリヒへ。スイスのど真ん中と言われる教会見る。往きと帰りは別ルート。

19:15位にチューリヒの湖畔に着く。小泉が昨日行ったというチューリヒ駅近くの店で「フォンデュ」を食べる。「フォンデュ」は苦くてまずい。植出、コバ、アネゴ、僕。今日、サノはオプショナルツアーに参加せず。どこで何していることやら。

駅へ行き、口直しにフランクフルトとハムサンド、そしてコーラ。

21:38、昨夜と同じ列車にてホテルへ。22:00過ぎ、ホテル着。

入浴後、24:00過ぎ就寝。

 

就寝後、廊下で渡辺のおばちゃんの声。

「あら、ドアが開いているわ」

と言って、ドアを閉めるのではなく、何故か開けていったのだ。

植出がぶつぶつ言って、閉めに行く。

 
※スイス国鉄は3つの言語で表示がしてある。フランス語、イタリア語、ドイツ語である。
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1982年卒業旅行 10.ノインシュバンシュタイン城〜チューリヒ・・・西ドイツ・スイス

2020年05月26日 | 旅・外国
1982.3.6.

6:30モーニングコール。7:15朝食。朝食はホテルの隣のレストランにて。トイレ行く。8:00出発。2台のバスでつるんでいく。

10:00過ぎ、ノインシュバンシュタイン城の下に着く。雪景色。城まで歩いて20分。馬車もある。手塚らは馬車に乗る。ディズニーの「白雪姫」の中に出てくる城のモデルになった城である。これで雪がもっと積もっていれば綺麗だろうな。

 

ここは、日本で作って来た「学生IDカード」が使える。このカード、ほとんどの施設で使えないので、「役立たずカード」と呼んでいた。

待合室でちょっと待ち、ドイツ人が日本語テープを持ってガイド。らせん階段、台所はあるものの、中は大した事無し。

下山途中、フランクフルトを食う。馬車道を下りればいいのに、「人道を下りよう」と植出・サノが言うので、人道を下りる。何度も何度もこけたり、滑ったりする。下の駐車場に着き、「ここでこけたらアホや」と言った後、「しまった」と思ったが、案の定こけそうになる。

道で犬と遊んでいる子供たちと写真を撮る。撮る寸前にバックしていてこける。

レストランにて昼食。トイレ行く。腹おかしい。こんな不摂生な生活をしていれば、腹がおかしくなっても仕方があるまい。

 
12:00過ぎ、みんながレストランを出て来るのを待って出発。国境を2度通る。(ドイツ⇔オーストリア、オーストリア⇔スイス)

チューリヒへ。バスの中で寝ている事多し。スイスに入って、アウトバーンのドライブインにて休憩。最初、公衆便所行くが汚くてとても使えない。売店のトイレを使う為、スプライトを買って(マルクのお札で買い、お釣りをスイスフランでもらう)、スプライトを持ってトイレへ。トイレはドアにお金を入れないと開かない。コバによると、イタリアのリラとか別の貨幣を入れてもダメだったそうだ。トイレの中でスプライト飲む。

 

ホテルはチューリヒ郊外のド田舎。どうなっているんだ、近ツリは!

渋谷ら誘うが、ホテルの近くで夕食を食べるとの事。

植出・サノと共に、バス(1.2スイスフラン)にて国鉄の駅へ。Dietikonという駅。売店で訊いて、切符買う。往復4.8スイスフラン。(700円位)。高い。

スイス国鉄はめちゃんこ飛ばす。一等車へ行って記念撮影。

チューリヒに着いて、チューリヒ湖へ。寒い。映画「レイダース/失われたアーク」やっている。旧市街地で夕食。ビール、チーズヌードル。(カップヌードルの麺を焼きそば・スパゲティ風にしたもの)、チキン(気持ち悪い)、コーヒーで一人3000円近くかかる。物価高し。

 
チューリヒには「銀行」と「大人のおもちゃ」と「ポルノショップ」が多い。駅の地下に200種類以上の商品が出て来る自動販売機があった。

アイスティーとコーラ買う。アイスティーは炭酸入り。21:00前、駅に着くが21:38まで列車なし。植出、インフォメーションが閉まっているので、インフォメーション前の時刻表で一生懸命調べる。

僕はというと腹の調子、極度におかしく、我慢できそうもないので、駅のトイレへ。20サンチーム入れて、トイレのドアを開けると、トイレは詰まっていて使えず青くなる。

こっちの気も知らず、植出、サノ、アメリカ人とスタンドバーの前で話している。

僕は列車が入線して来るやいなや、列車のトイレに駆け込む。駅で停車中なので、車掌が来るのではないかとひやひや。おかげで、チューリヒ駅の15番線はクソの山。

 
小泉らに会い、一緒にホテルへ。

 
ホテル着22:00過ぎ。

この時、サノはアネゴにキスすると意気込んでいた。

 
※サノの後日談

アネゴ・コバの部屋。コバ、入口で鈴木と話している。

ベッドの上にアネゴとサノ。サノ、アネゴに毛布をかけ、乗りかかる。毛布を少しめくって、キスしようとすると、アネゴの笑った顔が見える。キスする気、なくなる。そこへ、コバ入ってくる。「ワァワァワァ、ドラえもん、何してるんだーー!」

 

※サノの後日談2

同室の二宮さんがパンツ一枚でいるところをサノ「いいもの見せたる」と鈴木・高橋(神田外語学院の女子)にドアを開けて、二宮さんのパンツ姿を公開。二宮さん怒り、サノ、部屋に入れてもらえず。サノ、アネゴ・コバに頼んで、二宮さんの御機嫌を取ってもらおうとするが、2人トランプへ行ってしまう。二宮さん、アネゴの部屋に来るが険悪な雰囲気変わらず。二宮さんもアネゴ好きだそうな。ああ、ややこしい。

 
腹おかし。絵はがき5枚書いて、24:00過ぎ就寝。

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1982年卒業旅行 9.ザルツブルク〜ミュンヘン・・・オーストリア・西ドイツ

2020年05月25日 | 旅・外国
1982.3.5.

6:30モーニングコール。7:15朝食。8:00バスでホテル出発。

車中、眠っている

 11:30ザルツブルグ到着。下痢気味。植出に2シリング借りて、トイレに飛び込む。城に2人で歩いて登る。下痢でしんどし。城に感慨無し。なにせ下痢。上で添乗員の深沢さんと会う。ケーブルカーで下山。下でサノと先生に会う。歩いて登って、ケーブルカーで降りたと言うと、「それ逆じゃない?」と先生に言われた。腹が立つ。

 
銀行にて両替。植出と2人で10ドル。川を渡って駅へ行く途中で昼食。ホットドッグ、ハンバーガー、紅茶。シリング足らず。チップ払えない。植出、僕に支払いをまかせる。ノー・チップで店のおばさんの顔が引きつる。おばさん、ゴメンね。

オーストリアは日本車が多い。ドイツだと自国のメーカー、BMWとかアウディがあるが、オーストリアにはそれが無いからなのか。

 
歩いて15分、ザルツブルグ駅に切符を買いに行く。2人で300円の切符一枚しか買えず、バスに戻って二つに切る事に。

コーラを買って、2人で飲む。金の無いのが侘しい。

 

※両替をすればいいじゃないかという話になりそうだが、1982年当時は「米ドル」はともかく、エジプト・ヨーロッパ諸国の通貨は日本に持ち帰って、日本円に戻すのがとても難しかった。まだドイツが東ドイツと西ドイツに分かれていた時代だから、当然「ユーロ」などあるはずもない。

この旅では、各国の通貨を各国滞在の最終日に使い切るという作業もあったのである。

 

モーツァルトの生家及び家に行く。トンネルのところで、コバ、アネゴに会う。

バスの手前に1シリング入れて回すとカプセルの出る機械あり。植出の1シリングでコバやる。ガムが出てくる。まずいガム。14:50、バスへ帰着、サノ、現地の人にビール5杯奢って貰って20分遅れる。

 

バスは一路ミュンヘンへ。小野・玉井はバスの中ではウォークマンばかり。植出・僕、睡眠。ミュンヘン市内を通り、BMW本社、オリンピック・スタジアム等を見て、ホテルへ。市内からめちゃんこ遠い。

部屋はまあまあ。ホームバー付いている。

 

18:40、植出、サノとホテル発。地下鉄の駅(alte heide)まで歩いて10分。ミュンヘン地下鉄もただ乗り。U6→U8と乗り継いで、ミュンヘン中央駅へ。切符が買えず、使用済みの切符を貰う。

コペンハーゲンに行くという日本人の女の子2人にどの列車がいつ出るかを教える。彼女らは柱の「arrival(到着)」の時刻表を見ていたのだ。「departure(出発)」の方を見なければならないのに。
ユーレールパスでヨーロッパを回っているそうだ。

植出によると、ホフブロイハウスには「あて」がない(僕はあると思った)というので、マクドナルド2軒に寄り、ビッグマック・フィッシュマック・オレンジジュースを買う。西ドイツのマクドナルドの飲み物はカップに線が入っており、その線まで飲み物を入れてくれる。ドイツ人らしい正確さだ。

 
ホフブロイハウスはにぎやかだ。みんな肩を組んで歌っている。ドイツ人がこんなに陽気だとは思わなかった。楽隊がホールの真ん中で明るい曲を演奏し、通路で踊っている人もいる。入口を入って左側、渋谷・小野・生田らが飲んでいる。ここに席は無く、奥へ行けと店員が言う。

アネゴ・コバ・鈴木・高橋・山ちゃん・アボさんがいて、かなり出来上がった様子。20:00頃来たという。40分くらい経っている。

ジョッキは1ℓ。飲みごたえあり。周りでドイツ人が歌を歌うので、植出・サノと負けられん言うて、日本の歌を大声で歌う。松田聖子の「赤いスイートピー」。

突然、植出とサノ、通路で踊り出す。ドイツ人のおじさん、コバを引っぱり出す。おじさん、大きな腹で赤い顔して、すごくいい感じ。照れが無いのがいい。

僕も乗って来て、コバを連れ出しホフブロイハウス狭しと踊る。最後は楽隊の前で踊ったのだ。うれしがり半分、はずかしさ半分。

踊り終わって席で飲んでいると、ドイツ在住の日本人がやって来て、

「今、踊っていたのは君でしょ? 一緒に飲みませんか?」と誘われる。みんなで行く。植出トイレへ。楽隊のすぐ近くの席。ドイツ在住の子。慶応法学部。春休みで遊びに来ている。ドイツ人の若者。その彼女らしい日本人の女性(ドイツに来て1ヶ月・神戸の垂水出身)、コバ・山ちゃん・アボさん。

植出、トイレから戻って来て、コバに帰ろうという。遅いので女の子を送っていくのやそうだ。

コバ、2人を乗り越えて帰る。

「僕らより植出の方がそんなにええんかい」という気持ち。

山ちゃん、アボさん、僕残る。

「聖者が町にやって来た」「リパブリック讃歌」をみんなで肩を組んで歌う。

楽しい。コバの事なんか忘れた! (というのは嘘)

ドイツに在住している日本人青年は19歳で、16歳の時、こちらへ来たという事。日本では「自分」が潰されると思ったという。僕が16歳の時、そんなこと考えられなかったなぁ。でも、日本にいて、「自分」が潰されると感じるのには同感。

ドイツ人のおじさんとタバコを交換。フィルター無しの方が美味いとの事。

 

23:40、ハウスを出る事になり、トイレに行く。めちゃんこ広い。きれいなトイレ。僕はひどい下痢。トイレに座っていると聞こえて来るではないか、あの名曲「リリー・マルレーン」。しばし、聞き惚れる。

ハウスを出ると、同じツアーの連中が10人くらい。どこで飲んでいたんだろう。

地下鉄のホームで酔っぱらいと両手をつないで踊る。手の甲にキスされた。気持ち悪い。24:00過ぎホテル着。小便したくて、急いで11階へ上り、部屋のドアを叩くが、誰もでない。植出が寝てしまったのかと思い、アネゴの部屋へ行く。コバ帰っておらず・・・あいつら、何してるんや!

 

フロントにキーを取りに行き、やっと部屋に入れる。クソをして、風呂に入り、くつろいでいると、植出帰ってくる。

「なにしとったんや?」と聞くと、

「まず駅に行き、ポルノ見ようと思ったが、やめた。

地下鉄乗ってホテルに帰ろうと思ったが、間違えてオリンピック・スタジアムへ行ってしまった」との事。

サノの後日談。「地下鉄の駅で植出とコバに気ぃ遣って、トイレに行くと言って、陰から見ていたが、植出は何もしようとしなかった。でも、いちゃいちゃはしていた」との事。

25:00就寝。

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1982年卒業旅行 8.ウィーン・・・オーストリア

2020年05月21日 | 旅・外国
1982.3.3. 
6:30ウィーンへひた走る寝台特急のベッドで起床。同室の5人、既に起きている。7:00頃ウィーン着。いよいよゲルマン民族だ。僕のイメージではゲルマン民族は真面目でおっかない。駅の表示もドイツ語。気温が低い。

 
今日からバスが変わる。ドイツ人の運転手だ。雰囲気が六甲高校の武庫先生に似ている。愛想は、イタリア人のアンジェロさんほどよくない。車体には「KINTETSU INTERNATIONAL」の文字。まずはホテルで朝食。トイレに駆け込む。腹具合おかしい。トイレは地下。「大」のスペースは広い。

 
バスにて、ホテルの隣、シェーンブルク宮殿へ。大きい。黄色い。中はきれい。豪華だ。庭は広い。庭にある丘まで走って登る。野生のリスを見つける。コバとアネゴも走って登る。競争。

 
「ウィーン会議はどの部屋で開かれたんですか?」とガイドに訊くと、「もう説明しました」と言われた。

バスにてヘルベテル宮殿へ。中には入らず庭だけを見る。いろいろ回るがバスを降りず、ホテルへ。今日は本当によく晴れている。

 
ホテルでは、最初間違えて、他の棟のエレベーターに乗ってしまう。部屋はいちばん奥の角部屋。応接セットもあり、無茶苦茶広い。そういえば、ウィーンで久武の友達、六甲の34期の人にあった。ホテルで歯磨き、シャワーを浴びて正装する。小野・生田・コバ・アネゴ・鈴木・高橋、正装。正装すると違って見える。小野なんか、ギンギンの三つ揃い。先生がカウンター横、いつものダウンで待っている。気付かれない様にホテルを出ようとしたが、小野・生田が見つかってアウト。

 
地下鉄(ただ)でkarlsplatzへ。昼食は地下鉄の出口そばのSIAMというタイ料理店。僕は焼き飯食べる。植出、ラーメン頼んだつもりが出てきたのは八宝菜ヌードル。小野・生田は別の店へ。

 
女の子が嫌がるので、先生を連れてウィーン中央駅へ地下鉄で行く。切符を買い、先生が両替している間に走って逃げる。植出は黒い犬に追いかけられ、オーストリア人に笑われる。

植出が新聞を買おうとすると、新聞売りのおじさん、ヌード雑誌を押し売り。植出の顔、スケベか?

 

市電にただ乗りして、オペラ座へ。オペラ座前で久武、角野、六甲高校の先輩に会う。ちょっと待っていると、アネゴら来る。ただし、先生も一緒。駅から必死でタクシーを飛ばしたのだそうだ。負けた!

 

150円の「3階立席券」で中に入ると、守衛がバーにハンカチを結び付けて、もう一度開演の5分前に来いという。

植出と2人で、地下鉄駅前の店でビール飲む。

 
オペラは全編ドイツ語なので、内容が全く分からない。3階からは舞台の三分の一しか見えない。ああ、しんどー! でもすごく大きな劇場。側面の客席が幾層にもなっている。1時間ほどで、音を出さないよう静かに出る。

オペラ座前で、ウィーンが発祥の地であるザッハトルテ(チョコレートケーキ)食べる。想像以上に美味しい。

 

18:00に渋谷がオペラ座前に来るというので、15分くらい待つが来ず。

先生がいるから、アラレ、アカネが嫌がったのだろう。

植出と相談して、先生をまく事にする。女の子、小野・生田、植出・僕、3つに分かれてそれぞれ別方向へ。

先生はサノと飲みに行ったという事だ。

僕が大好きな監督メル・ブルックスの最新作「メル・ブルックスの珍説世界史 パート1 」をやっている。この時、日本でのロードショーはまだだ。パンフレットは売っていない。

 
地下鉄U2の駅で、19:00再集合。明日行く「ホイリゲ」への乗り換え駅までU2で行って、夕食。牛のカツレツとビール。美味いーーー!

U2とU4を乗り継いでホテルへ。21:40頃着。

ホテル隣の食堂で、2ℓ入り赤ワインを購入。店にいたオーストリアのおじさん達がこっちを見るので、「これからワインパーティーや!!」と言ってやった。

なんか喜んでくれた。ワインは160s。あの植出が酔っているのか、100s出す。僕は60s。

小野・コバ・アネゴ・植出・僕・高橋・鈴木で飲み始めたが、最後(25:30)には植出・コバ・僕の3人で話していて、アネゴがソファーで寝ているという悲惨な状況になった。ああ。酔っ払った。

 

1982.3.4.
  8:00起床。グズグズして、9:00ちょっと前、朝食。先生がついて来ないか怖いのだ。U4にてウィーン中央駅へ。腹具合おかしい。

「中央墓地」行きの切符を買い、ホームでおばさんに訊くと、「次の駅まで国鉄で行き、そこから市電に乗れ」との事。僕らのルートと違っている。国鉄だけでは行けないのだろうか?しかし、初志貫徹。

 
1時間に1本の国鉄、10:31の空港行きに乗る。サノ・植出・僕の3人組。乗車早々、僕はトイレに駆け込む。検札あり。切符買っておいて良かった。

10分ちょいで着く。

どうも国鉄の駅は墓地の裏手になるみたいだ。

25万人が眠っている巨大墓地。名画「第三の男」のラストシーンはここで撮影された。

ベートーベン、モーツァルト、シューベルトの墓を探して正門の方へ。いろんな人に訊くがなかなか見つからず。最後に掃除夫のおじさんが教えてくれた。

見つかってみると、特に感慨も無く、記念撮影。

 
いろんな人の墓石に刻まれた年号を読むとその人の人生が浮かんでくるようだ。

20代で死んだ人。3人が同じ年に死んでいる墓(戦争だろうか)。妻が夫より20年以上も長生きしている夫婦。いろんな形の墓があり、スペースも広い。土葬の様だ。緑が多く、リスを見かけた。

 

国鉄の駅に戻ると、ちょうど1時間に1本の列車が出たあと。仕方なく、2キロほど歩いて、市電の停留所へ。市電に乗っているとマクドナルドがあり、飛び降りる。ビッグマック、チーズバーガー、アップルパイ、オレンジジュース、コーヒーの昼食。トイレに行く。胃腸の調子が悪いのに、よく大量に食べられたものだ。トイレに行く。

 
再び、市電、国鉄と乗り継いで「ウィーン北駅(Wien Nord)」へ。

有名なプラウダ遊園地があるのだ。ここの大観覧車も映画「第三の男」のロケ地として、有名になった。人が乗る時は、日本の観覧車と違って、観覧車全体が止まるのだ。1周15~20分。途中、3~4回止まる。ゴンドラは木製。歴史を感じる。景色が遠くまで見え、ワクワク。

遊園地は大観覧車だけかと思ったら、思いがけず広い。ジェットコースターに乗る。日本で「マウス」と言われるジェットコースターを少し大きくした様なもの。直角近い角度で降下するところがあり、度肝を抜かれる。植出、ジェットコースターは嫌いとかで乗らない。「恋のジェットコースター」は大好きなのに。

 
絵はがき買い、ウィーン北駅でフランクフルトとコーラ。フランクフルトにつけるからしの様なもの美味い。このコーラを絵はがきにこぼして、びちゃびちゃにする。

 
ドナウ川の川岸へ。サノが犬(アーニャ)を連れた少女に声をかける。
通りすがりのおじさんに「ジャップ!」と罵倒された。
町中に戻り、途中植出と分かれ、カタコンベのある大きな寺院を見る。

ウィーン1の繁華街からオペラ座へ。植出を待っていると、コバ・アネゴ・鈴木・高橋来る。プラウダの話すると、「ジェットコースターに乗りたい!」という事になり、ホイリゲ(ウィーンの郊外にある居酒屋。その年に穫れたブドウで造ったワインと食べ物を出す)へ行く時間を30分遅らせて、16:00とする。

 
女性たち、プラウダへ行き、僕ら3人はホフブルク宮を通って、美術館の前へ。ここでサノが女の子2人に声をかけ、一緒に写真を撮る。声をかける技術を持っていて、うらやましい。サノは中学生の集団にも声をかけ、
「好みのタイプだぁ」
とご満悦。

 

ウィーン大学へ行く。喫茶室の場所を女子学生に訊くと、わざわざ三階から一階まで降りて来て、説明してくれる。大学は古い伝統的な建物。

植出は喫茶室で、「ウィーンのウィーン大学でウィーンナーコーヒー」を飲んだ。

これは、「ピサのピアッツァでピザ」を食う、と同じパターン。

16:00過ぎ、市電乗り場へ行くとコバ・アネゴ来ていて、

「先生があのカフェにいるから・・・」との事。鈴木・高橋は疲れてホテルに帰ったらしい。

 
僕たち5人、隠れて市電No.38に飛び乗る。グリーンツィッヒで、No.38Aのバスに乗り換える。

車内でおばさんに訊く。

「バスの切符はどこで買うの?」

「今乗って来た市電の切符を運転手に見せればいいのよ」

僕たち、市電「ただ乗り」して来たんですが・・・

しかし、バスの運転手からのお咎めも無く、バスの切符を買えてひと安心。

あとは先生が追ってこない事を祈るだけ。

バスはウィーンの森展望台へ。時期が悪いのか、ウィーンの森は枯れ木ばかり。

でも、ウィーンの街、ドナウ川の雄大な流れ、プラウダの大観覧車の灯りがよく見える。寒い。

レストランにて、ケーキとコーヒー。

「赤いスィートピー」口笛で吹く。

サノ、ポルシェに乗ったアベックにポルシェ運転させてくれと頼む。

植出と僕、寒いので、駐車場1周走る。

18:00のバスで下山。

 
グリーンツィッヒのホイリゲに飛び込む。民家を改造した居酒屋。暖炉で薪が燃えている。温かい。ろうそくの灯り。2人の音楽家の生演奏。僕たちが入った時には他のテーブルにお客はいなかった。

席に座るとワインが出る。ホイリゲの表に旗が出ていれば、今年収穫されたぶどうから作ったワインを置いてあるという事なのだ。じっと待っていても何も出て来ないので、聞きに行くと、料理は自分で取りに行くセルフサービス。ハムとか豆とかいろいろ。

客が増えてきて、10のテーブルのうち、3つのテーブルに客がいる。

安い。いい雰囲気。こういうところで愛を語れたら、きっと成就するのに・・・。

 

1時間くらいいて帰る。地下鉄のホームで、コバ・アネゴ、足をからませる。足の愛撫。快感なんだって。

22:00ホテル着。22:40残っていた2ℓのワインをみんなが飲みに来てくれる。

小野・生田・渋谷・手塚・東大コンビ他は、ホイリゲでもいちばん古い由緒ある店に行ったそうだ。ちゃんとウェイターもいて・・・。

僕はホイリゲに大切なのは由緒ではなく、素朴さだと思う。

手塚は今日、大学の単位のテスト結果が出るので東京の自宅へ電話していたそうだ。結果は合格。大学を卒業し、内定をもらっている住友銀行へ行く事が決まった。そんな事があったので、ホイリゲには行けなかった。

24:00就寝。



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1982年卒業旅行 7.ベネチア・・・イタリア

2020年05月20日 | 旅・外国
1982.3.2.
  6:30モーニングコール。7:15朝食。8:00ホテル発。

10:00ボローニャにて休憩。パン、ファンタ。胃の調子おかしい。イタリアに入ってからだ。BAR(バール)のトイレ故障。クソ! エジプトからずっと見てきて、男子より女子の方が胃腸は強い。

 
13:00前、ベネチアのローマ広場到着。

 
手塚は姉の事を「お姉さま」、父を「パパ」、母を「ママ」と呼んでいるそうだ。ええとこのボンボンなのか?

先生に両親の事を何て呼んでいるか訊くと

「用が無いから呼ばない」

との答え。

サンタルチア駅前から船でレナルト橋へ。歩いてサンマルコ広場へ。ベネチアングラスの工場見学後、昼食。イタリアでは前菜として食べる「スパゲティ」を2つ食い、メインを頼まなかったら、イタリア人に笑われた。昼食代で感じたのは、ベネチアは物価が高い。観光都市のせいなのかなぁ。

 

サンマルコ広場にはゴンドラの船頭がたくさんいて、ゴンドラに乗らないかと誘う。値切る為、最初の言い値で「No thank you !」と言って、立ち去るふりをする。すると、別の船頭が追いかけて来て、また交渉。

最終的には、40分6ドル。2隻借りる。小野・生田・植出・コバ・アネゴと渋谷・鈴木・高橋(神田外語学院・・・海外が怖くて、ギリシャでは一歩もホテルから出られず、カップヌードルを食べていた女の子二人)・僕・先生。なんでこうなったんだ。先生がゴンドラのいちばん前に陣取る。先生の白いダウンが目障りで、みんな写真を撮る気が失せる。水汚い。水位が上がって、家々が沈んだのがベネチアだそうだ。「一方通行」とか「コーナーミラー」なんかもある。しかし、住むには湿気が多すぎるのだろうな。船頭はコーナーでクラクション代わりに「オーエー」と叫ぶ。

有名な「ためいき橋」の下を通る。夕暮れ、鐘が鳴る時、この橋の下でキスをすると「永遠の愛」を手に入れる事ができる。映画「リトル・ロマンス」にこの橋の事が出てくる。

 
ゴンドラから降りて、「ためいき橋」を渡ろうと思うがもう夕方で閉まっていた。

植出と2人で駅に向かう。サンタ・マリア・グロリオーサ・デイフラーリ教会(長い名前付けるな!)で、とっても親切なイタリア人のおじさんに会う。教会が閉まっていても、「この人たちはわざわざ日本から来たのだから」と言って、なかば強引に中へ連れ込んでくれる。

おじさんも駅に行くというので、同行させてもらう。道中、いろいろ話をしようとするが、おじさんはイタリア語しか話せず、こちらは日本語、お互い苦笑い。記念撮影。

このおじさん、僕らと出会った後、手塚と渋谷に会い、二人を飲みに誘ったそうだ。

 
植出と僕は切符を買いに駅へ。

夕食は駅の近くで、飯島さんらの入っている店で、小野・生田・植出・僕・先生と。スパゲティ、ステーキ。食べていたら、コバが窓に張り付く。
「お金が無いから食べ物買って、列車の中で食べるよー!」と言っているらしい。

食べ終わり、駅へ行くとみんな集合している。

深沢添乗員「好きなもの同士、6人のグループ作れ!」と言う。

植出らのところに行くが断られる。クソッ! 彼らはコバ・アネゴ・渋谷・植出・小野・生田。

結局、僕・手塚・東大コンビ・アラレ・アカネの6人組。

ウィーン行きの寝台特急に乗り込む。寝台は日本より天井(下段)が低い。スーツケース6つ入れるといっぱいだ。いちばん上がアラレとアカネ、真ん中が手塚とタケチャンマン(東大)、そして下が角野(東大)と僕。

先生は添乗員と2人で寝る事になり、一言、

「おまえら、ええなぁ。女いて。俺にも一人回してくれ」
どういう性格や!

コインが余っていたので、コーラ買う。後ほど、500リラ札があまっ余っていた事に気付くのだが後のまつり。みんな食糧、飲み物買っている。

パッパラバーズ来て、トランプ。ど貧民大会。国境付近は雪。なかなか寝付けず、24:00就寝。

夜中、腹おかしく、一回トイレへ。日本の寝台特急にもあった「便がそのまま外へ排出される方式」のトイレ。座っていると山岳地帯の冷たい冷気がお尻に直接当たり、思わず「寒っ!」と言ってしまう。

ウィーン行き寝台特急は雪の中をただひたすら疾走する。


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1982年卒業旅行 6.フィレンツェ・ピサ・・・イタリア

2020年05月20日 | 旅・外国
1982.3.1. 
8:00、起床(渋谷のモーニングコール)。8:30、朝食。9:00ホテル出発。バスにて、ドゥオーモへ。メヂチ家の廟、ドゥオーモ観て、10:00過ぎ駅へ行き、ピサまでの往復切符(4000リラ)買い、チンザノ飲み、構内の写真撮る。植出、渋谷、トイレ。列車の運転手に運転席に乗せてくれと頼むがダメ。ローマの地下鉄では、僕と植出がいちばん前で見ていると。運転手が運転席に入れてくれ、運転中に三人で記念撮影したのに・・・

 
ピサ行きの列車はフィレンツェ・セントラル駅の1番線より定刻10:58より遅れる事10分、11:08発車。(もちろん発車ベルなど鳴らない)

遅れの原因は、ピサから来た列車が遅れたので、機関車が使えなくなってしまった事。

 
2等は8人がけのコンパートメント。

メンバーは植出、小野、生田、先生、渋谷、僕、松山、手塚。

手塚、渋谷、植出、僕は4人の会のメンバー。

※この日の夜、フィレンツェのホテルで結成された。

列車のトイレは広くてきれい。連結器は鎖で、緩衝器付だ。乗り心地良し。ピサに7~8分遅れで到着。駅構内で、アラレ、アカネ、東大と、駅前で渡辺おばちゃんとアボに会う。バスNo.1にてピサの斜塔へ。

 
ピサの斜塔は思ってたより傾いている。(入場料1500リラ・・・ピサの斜塔はこの後、傾きがひどくなった為、傾かない工事をした) 

バチカン以来、よくらせん階段を登らされる。

屋上以外、柵無し。植出、渋谷、気分を悪くする。落ちる人もいるそうだ。日本なら、どこもかしこも柵にするのだろうが、イタリアは自己責任を重んじるお国柄なのだろう。

ピザとワインの昼食をバス停前の売店で。ワイン残す。ピザ3つ食う。

 
バスにて駅に戻り、14:45の列車でフィレンツェへ。渡辺おばちゃんも一緒の列車。僕らと同席するのを嫌がる。先生がいるかららしい。

 
フィレンツェに着き、Valentino、Gucciと回る。

コバ、アネゴらに会う。先生、そっちに付いていく。僕ら、スポーツ店でFILA見つけ、手塚と僕、ペアルック。値段は6000円位。ちょっと、色が渋かったかなぁ。渋谷が考えていたものは品切れ。

 
ドゥオーモの横でコバ、アネゴ、先生に会う。

コバ「助かったぁ!!」

ドゥオーモ近くの、コバが前日行ったレストランにて、スパゲティ、ステーキ、サラダの夕食。植出、コバ、渋谷、手塚、サノ。
 

ホテルへ帰り、FILAを生田、小野に見せに行く。生田いつも通りホメてくれる。ナポリへのオプショナルツアー以来、植出・今村、生田・小野の部屋割りは変わっていない。

自室に戻ろうとすると、アラレ、アカネの声がするではないか! 声の聞こえたドアを開ける。東大コンビにアラレ、アカネ。

お邪魔虫という感じ。でも負けずにFILAを見せまくり、居座る。タケチャンマン、帰ると言い出し、僕も帰る。笑われたかな? 人の事など気にしない様にしよう。

部屋に帰り、改めて植出と2人で中央大(渋谷、手塚)の部屋へ。いろいろ、くっついたウワサする。川久保・薄葉⇔生田・小野、東大2人⇔アラレ・アカネ等。

そして、僕ら4人は結局余る。だから、「4人の会」を作ろうと・・・。この先、訪れるウィーンの森を女の子の肩を抱いて歩きたかったなどとブツブツ言う。

※渋谷も植出も彼女がいた植出なんか、旅行中、何回彼女から手紙もらっていた事か・・・アホくさ!)

部屋へ帰り、入浴後、就寝。

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1982年卒業旅行 5.アシジ〜フィレンツェ・・・イタリア

2020年05月20日 | 旅・外国
1982.2.28. 6:30、モーニングコール。7:15、朝食。8:00、出発。

高速道路を通ってバスでアシジへ。山の上の薄い黄土色の綺麗な教会。日本人の神父様が案内してくれる。もうすぐ祈りの時間との事。サンタ・クララのミイラを教会の地下に見に行く。

「ミイラが動き出したら怖いなぁー」

と思って見ていると、ミイラの後ろから顔に黒い布を垂らした修道女が出て来たので、アボさんと二人で逃げ出した。すると追い打ちをかける様に天井の電球が点滅し、我々はさらに怖くなって教会を飛び出す。帰りがけ、郵便局で切手を買う。コバとアネゴがミイラを見に行くのに出会う。

「怖いぞー!」とおどしておく。

昼食はバスの駐車場のホットドッグ。

 
クララのミイラは、バチカンの教皇のミイラ同様、黒かった。

しかし、アボさんは、

「とても綺麗な人だったんだろうなぁー」と言う。

映画「ブラサーサン・シスタームーン」でジュディ・バウカーが演じているのがクララである。映画では山頂に立っていた教会だが、実際は山の中腹に立っている。

 

バスにてシエナへ。シエナでは大きな寺院と大きな塔のある広場へ行く。坂が多い町。スパゲティを食べ、くそをした。スパゲティはコシがあって美味かった。量は少ない。

シエナを発って、フィレンツェへ。フィレンツェではミケランジェロ広場を通り、ホテルへ。ホテルはまたシャワー。しかし、部屋の向かいに共同浴場あり。

 
※ローマのホテル・エルミタージュ、朝の惨劇・・・僕の部屋のトイレは植出が使っていた。サノが「今村、うちの部屋へ来て、トイレ使いな」と優しい言葉。サノの部屋のトイレへ僕が入る。サノ、トイレの外で待っている。アネゴ、サノの部屋に入って来る。イイ雰囲気。僕、用を足し、水を流そうとするがうまく流れない。サノとアネゴ、もうすぐキスできそうな様子。そこへ僕が「やばい、クソが流れねえ」と言って出て来る。結果は・・・

ホテル到着後30分くらいして町へ。僕は、東大コンビ、手塚、アラレ、アカネ、パッパラバーズと歩く。うわさ通りの遅さ。途中、川べりでbitterを飲み、二階建てのベッキオ橋へ。橋の上は、市場になっていて、商人達でごった返している。橋を渡り、ピッティ宮殿を観る。

夕食を取ろうと町の方へ戻りかけると、ピザの店に植出らがいる。ピザとビールの夕食。

シニョーニア広場で、この後ホテルで洗濯すると言う手塚や女の子たちと分かれ、GUCCIやCELINE、VALENTINOの前を通って、駅へ。

駅にたどり着く。普通の駅。改札は無い。ピサ行きの列車の時刻表を見つけるのに一苦労。切符は無事買える。

 
ドゥオーモまで行くと、小野、野沢、玉井らがいる。ドゥオーモからNo.14のバスに乗る。植出がおじさんに降りる停留所を訊くと、僕たちと一緒にバスから降りて来て、「ドゥオーモ行きのバスに乗りなさい」と言う。

僕たちは降りた停留所がホテルの最寄りだと分かったから、ホテルに向かおうとすると、おじさん追いかけて来て、「この停留所にいろ!」ときつく言う。おじさんが行ってしまうのを待ってホテルへ。入浴(共同浴場)、洗濯、絵はがき書いて、23:20就寝。
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1982年卒業旅行 4.ローマ・・・イタリア

2020年05月19日 | 旅・外国
ローマへ向かう飛行機の中。僕の前は久武。うしろは手塚。横(これが問題)が渡辺のおばちゃん(東京外国語大学のロシア語科卒業、Mobil内定。このツアーが終わって親しくなり、横浜の渡辺さんちで焼肉パーティーをした)。その隣がコバ。まず、おばちゃん、オレンジジュースをSONYのマイクロカセットの上にこぼす。マイクロカセット故障。おばちゃん、コバにマイクロカセット直せと言う。(コバはSONYに内定をもらっている)

僕はおばちゃんの血液型が絶対B型だとにらむ。聞いてみると、B型との事。コバもB型。僕の抱いていた「お茶大生」のイメージとは違っていた。

※コバ、お茶大に行くのにバイクで通う。ドロドロに汚れて原色を留めぬダウンを着ている。のちの話だが、GUCCIで買ったバッグにチョコレートを落とす。(食べるのに夢中になっていたんだって!)

昼食。わりと旨い。肉、ケーキ、サラダ、チーズクラッカー、コーヒー。おばちゃん、またコーヒーこぼす。ティッシュが無くなるよー!よくMobilが雇ったなぁー。

 

いよいよ、ローマ、レオナルドダビンチ空港。おばちゃん、空港の給油所にMobilがあると感激。空港のビル内に入るとさすがに緊張。なぜなら、イタリア・ローマとフランス・パリは、この旅行中、最も治安が悪いところと聞いていたからだ。先行した連中と会い、バスに乗り込む。いちばん前に赤く光るデジタル時計の付いたベンツのデラックスバス。ガイドは中年の化粧(特にアイシャドウ)の濃いおばちゃん。女性が男にからまれた時は、でたらめな電話番号を教えなさいとの事。男にからまれる様な女いるかなぁ?

運転手はアンジェロさん。イタリア人らしく陽気だ。

 

高速を通って、ローマ最初の観光は、バチカン・サンピエトロ寺院。寺院の中で大声を出したり、笑ったりすると「国外追放」になるのだ。(「国外追放」と言っても、100メートル位でイタリアなのだ)寺院は大きく、カメラに入らない。広角レンズ欲しいよ~。

中にあるモザイクは、小さな色とりどりの石を貼り合わせたもの。大理石の石像の衣の裾が本物の布の様だ。

教皇のミイラがある。黒い肌をしている。ミイラにとても興味があるのだが、やはり怖い。

45分間、バチカン市国にいて、コロッセウムへ。もうじき閉まるそうだ。ガイドさんがバスの中から、ジュリアノ・ジェンマはこの辺に住んでいるとか説明してくれる。

コロッセウムは思っていたとおり。ブルース・リーが「ドラゴンへの道」を撮ったのはどこかなぁー。

ガイドさん、声小さく聞こえない。ガイドブックを売っているおじさん、男を見たらジュリアノ・ジェンマ、女を見たらソフィア・ローレンに似ているとお世辞を言う。

 

コロッセウムの前の屋台には、日本語で食べ物名が書いてある。ここに訪れる日本人の多い事が想像される。

次に向かったのは、銀行街を抜けて、トレビの泉へ。狭いところにある。写真を撮ってもらいながら、2ドラクマを2つ投げて、恋の成就を願う。がどうやら、投げ方を間違えたらしい。これがのちのちいろんな影響を与える事になるのだが・・・

泉の周り、日本人だらけ。焼き栗を食う。

日本人の言動を見ていると恥ずかしい。おばちゃんにそう言ったら、

「いいじゃないの!」とかたづけられてしまった。

カバンをダウンの下に入れ、しっかり抱える。トレビの泉の周りはすりやひったくりが多いそうだ。

 

今日のホテルは、ローマ市内から北へ行った「エルミタージュ」

今日から植出と同室。明日、小野と生田はオプショナルツアーでナポリへ行くのでこういう部屋割りにする。部屋はホテルの端にあり、狭い。なにせ、スーツケースを一つ開けるとトイレのドアが開かない。汚い。シャワーしかない。ヒーターが壊れている。

 

チェックイン後、植出、先生、小野(日本女子大)、野沢(日本女子大)、僕で町へ。ローマの街が遠くても、このツアーには朝食しか付いていないので、出かけざるを得ない。

道で遭ったイタリア人にイタリア語でレストランの場所を訊く。しかし、この人英語しゃべれる。なんちゅうこっちゃ! この人に教えてもらった「パンダ」という店で夕食。サラダ、マカロニ、ワイン。ワインはビーカーのどでかいので出て来る。もちろん、冷えてはいない。ギリシャ、イタリアとワインは水より安いくらい。昨日の「エーゲ海クルーズ」以来、床が揺れている。

 
食後、駅へ行きたいという植出を振り切ってホテルへ。

先生が「俺が一緒に駅へ行こう」と言うが植出断る。

寝不足と疲れ。ホテルへ戻り、就寝。

※先生・アネゴ問題・・・エーゲ海クルーズで、先生がアネゴと肩組んで写真を撮って以来、先生はアネゴにぞっこん。ローマではオプショナルツアーに行くのを止めて、アネゴと行動を共にする気だ。明日はどうなる事やら・・・。

 

1982.2.27. 
TODAY IS MY BIRTHDAY! (1960.2.27.生まれ)

7:45、先生に電話で起こされる。「もうメシ食ったから、早く出かけよう」との事。やれやれ、今日はゆっくり寝るはずが・・・

 
9:00過ぎ、アネゴ、先生、植出、僕、鈴木、高橋、でバスをただ乗りしてテルミニ駅へ。切符、すぐ売ってくれる。文明圏はいいねぇ。

アボさん、渡辺おばちゃんに会う。おばちゃんに、カタコンベ(地下墓地)の場所を訊くが分からず。植出、駅のCHANGEにて両替。僕はその間、改札を入って、列車の写真を撮ったり、地下鉄を見に行ったりする。テルミニはとても近代的で綺麗な駅。「金おくれ」と言って近づいてくる男やおばさんいる。ちょっと気味悪し。

 
歩いてコロッセウムへ。途中、サンタ・マリア・マジョーレ教会、公園を通ってコロッセウム。いつもグループで歩くと一番前を歩く先生が、アネゴの後ろを歩いている。今日はコロッセウムの上に登る。入口があるのに、何故か無料。オプショナルツアーでナポリに行った人は上に登れなかった訳だ。フォロロマーノから「真実の口」へ。イタリア人に道を訊くのはいいが、どうも間違った事を教えてくれる確率が高い。5人に聞いて、やっと「真実の口」の場所が分かる。最後に訊いたのは日本人だった。

「真実の口」はホントに寂れたところにあった。「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックのあのシーンが忘れられない。

手を入れてみる。何という事はない。僕は嘘をつかない人なのだ。アハハハ。ここで2人と4人に分かれる。すなわち、僕と植出、そして残り。

アネゴたちはバチカン美術館へ。僕たちはカラカラ浴場へ。先生は朝、「俺は美術館へは行きたくない」と言っていた。そして、「真実の口」では「美術館とカラカラ浴場ではどちらがいいかなぁ」と白々しい事を僕に訊く。そして、「やっぱり美術館にしよう」と言って、アネゴに付いていく。

こちらは植出と2人で気分も軽く、カラカラ浴場へ。「真実の口」で買ったコーラを飲みながら行く。カラカラ浴場は広く大きい。何でこんなもん作れたんや。

近くのBAR(バール)にて昼食。ビール、ピザ、サンドイッチ。

バスNo.118にて、カタコンベへ。(サン・カリスト)初めてバスでお金払う。車掌がいるから仕方がない。

 
14:30まで待ち、英語ガイドと共に階段を降りて、カタコンベの中へ。

英語でよく分からなかったが、地下40メートル、ローマ市内中に20万人の人が眠っているとの事。細くうす暗い通路の両側に、縦に5~8位の人の入れるベッド状の穴が開いている。死体は取り払ってあったが、通路は入り組み、見学コース以外へも通じている。5世紀の死体を見た。白骨化し、ボロボロになっている。ああ、気持ち悪いぃー! さすがにカタコンベには日本人はいなかった。

バスNo.118に乗って、コロッセウムへ。そして、メトロを乗り継いで、オッタビオへ。バチカンへ着いたら、15:50。アネゴとの約束の時間より50分遅れた。アネゴたちを探しても誰もいないので、ピエトロ寺院の屋上へ。階段が狭く急で正直しんどい。入場料1000リラ。高い。素晴らしい景色。キューポラの上まで登れるとは思わなかった。屋上は涼しくて心地よい風が吹きつける。

オプショナルツアーに行った人達、残念だろうなぁー。

ここで先生の名言。「バチカンはどこだ?」

 
キューポラの上には、サノもいる。

屋上から降りがけ、イタリア人の女の子とお父さんに話しかけ、記念撮影。

 
歩いてスペイン広場へ。サンタンジェロ城を通る。「ローマの休日」の最後の方、船の上でのシーンでバックになった城だ。子供たちがサッカーやスケボーで遊んでいる。スペイン広場の手前で、植出とサノは郵便局へ。

 イタリアの信号は青がAVANT、赤がALT。

スペイン広場は人でいっぱい。そのうち半分が日本人。オードリー・ヘップバーンよろしく、ジェラートを食べる。周りのみんなも同じ事をしている。

うす暗がりの中で写真。昼間来れば良かった。

オプショナルツアーの人達と合流。先生はアネゴにつきまとっている。アネゴ、かなり疲れたみたい。コバ、植出のところへ来て、二人で階段を上っていく。近寄り難い雰囲気。僕、いじける。

GUCCIへ。アラレ、アカネを冷やかし、妹のバッグを探す。持って来た写真は10年前のもの。日本市場より2~3年、先を行っているモデル。

コバ、アネゴ、店員と相談。適当に買う。適当の割に高い。(215ドル)最初、トイレに行って「日本円」を出して来たら、レートが悪いから「ドル」の方がイイって言われ、二回もトイレへ。キャッシュベルトは面倒くさい。

 
GUCCIもCELINEも日本人店員、あるいは日本語を話すイタリア人店員がいる。現代、日本の量販店に中国の人々が集まって、爆買いする感じに近い。

渋谷、お店の中が日本人ばかりでショックを受けていた。

 
僕は見ていないが、GUCCIに「ノーブラの店員」がいたそうな。それを目撃した渋谷は鼻血を出す事になる。

 
駅へ行く途中で夕食。ビール、ハンバーグ、ステーキ、サラダ、パン。

店を出るとイタリア・ミラノの女子学生の集団に遭い、植出のサイン帳をきっかけに駅まで大騒ぎ。

「今日が僕の誕生日だ!」と言うと、Happy Birthdayの合唱。サインを頼むと、サインを頼まれる。PENPALになる約束。イタリア人の女性、情熱的。いいなぁ!僕、イタリアに住もうかなぁ。

 
バスでホテルへ。ホテル近くの店でワインとパイを買い込み(僕は誕生日でお金支払わず)、誕生日パーティーをアラレ・アカネの部屋でやる。13人の会。第1回。出席者はジャイアント軍団(僕、手塚、渋谷)、生田、小野、日本女子大の二人、アカネ、アラレ、久武、角野、植出、小林の13人。話は先生の事、中央大バレー部の事。

22:30~23:40くらいまで騒ぐ。

 
部屋へ戻ってお金の計算、入浴。

1:00前、就寝。








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1982年の卒業旅行 3.アテネ・・・ギリシャ

2020年05月18日 | 旅・外国
4:00、起床。辺り暗し。4:30、朝食。5:00過ぎ、カイロのホテル出発。エジプト人の日本語ガイド・ハシブさん来ている。いい人だ。空港でエジプト人にCabinを渡して、実家への絵はがき託す。日本へ着くかな? 郵便局がなかなか無いのだ。

9:10、1時間遅れ、オリンピック航空326便でアテネへ向けて離陸。僕の隣は野沢さん。生田の隣はアラレ。生田、彼女とちゃんとしゃべっているのかなぁ?

添乗員の深沢さんもエジプトを出られてホッとした様子。

11:00、アテネ空港着。12:00、バスで空港から市内へ。日本車多し。考古学美術館(あんなふうに展示されたら、彫刻を落としかねない)、アクロポリス(ちょっと雨模様。ガイドの説明、味気ない。声小さい。これがアクロポリスかぁ~という感じ)、お土産屋に寄ってホテルへ。近代的でしかも立地条件の良いホテルだった(このツアーの中でもいちばん立地は良かったと思う)。このホテルもエジプトのホテル同様、エレベーターの内側ドアが無く、「閉」のボタンも無かった。

17:15、ホテルから街の中心部、歩いて2分のオゴニア広場へ。手塚、渋谷(二人とも中央大学。住友銀行内定)、小野、生田、先生、アラレ、アカネ、etcは地下鉄で海鮮料理を食べに。

この日を境に彼らは女の子と一緒に買い物も食事も一緒に行動。関東人の行動パターン。対する植出、サノ、僕は女の子とは夕食の時に場所を決めて会う事にし、昼間は別行動をする事に。僕らは昼間自分の行きたいところを回りたいし、彼女たちは買い物等で過ごしたいので、この作戦で行く事にした。

 

僕たち3人が広場でどうしようか考えていると、日本人が声をかけてくる。添乗員の深沢さんの言葉を思い出す。これはポン引きだなぁと思い、無視しようとすると、「私はポン引きではなく、アテネでブティックをやっている」と言う。

よくこういう経験があるのだろう。

彼によれば、ギリシャの夕食は22:00頃からだという。だから17:30の今、飲食店がほとんど開いていないのだ。少し腹も減ったので、彼に教えてもらい、広場横の立ち食い屋にて、ハンバーガー、肉ダンゴ、ワインで43ドラクマ。ワイン安い。

地下鉄に乗って、国鉄の駅に行くつもりが別の駅に行ってしまう。コーラを飲み(よくコーラ飲むなぁ)、アテネ中央駅へ。途中、ギリシャ人の女性に道を聞かれたり、公園で子供たちと一緒に写真を撮ったり、大声で歌を歌いながら、駅へと向かう。

駅では案内所のおねえさんに何故か文句を言われ、散々探し回ったあげく、国際列車の駅」と「国電の駅」が違う事を発見。やっと10ドラクマで切符を買う事ができた。

 

コーラを飲み、黄色のトロリーバスで、近代オリンピックが初めて開かれた「オリンピック・スタジアム」へ向かう。異国の乗り物に乗るのは変な気分。周りはみんな外国人(当たり前!)。途中でトロリーが外れ、運転手が屋根に乗り、直そうとするがダメ。

バスを乗り換える。オリンピック・スタジアムをだいぶ行き過ぎている事に気付き、ゼウス神殿を経由して、戻って来る。スタジアムは閉まっていたが警備のおじさんに聞くと、手を大きく振って「入れ!入れ!」という事なので、塀を乗り越えて中へ。植出とサノはトラック一周走る。

スタジアムはセンターの上方に五色の五輪のネオンが輝き、白色灯がトラックを照らし出していた。

シンタグマ広場へ行き、シシカバブーとウーゾワイン(白)1300円位。レストランから出てすぐ「Young Girl 20ドル」という得体のしれない外人ポン引きに出会った。

22:00、ホテル着。
22:35、再び、渋谷、先生、サノ、僕の4人でオゴニア広場へワインを飲みに行く。赤ワイン、白ワイン、一本ずつ頼み、フライドポテトを食す。1人225円程度。渋谷は10数品あるフルコースを注文。店の雰囲気はいい。

23:30、店を出て、自動販売機でジュース(10ドラクマ)を買う。ジュースの量少ない。この旅行中、自販機のあったのはアテネだけ。ホテルへ。

生田、本を読んで起きている。入浴・洗濯後、就寝。

 

1982.2.25.  
6:00、モーニング・コール。6:30、朝食。7:30、ホテル発。

8:30、ピレウス港よりエーゲ海クルーズへ出発。小雨降り、寒い。海波高く、船揺れ激しい。船酔いにかかる。船酔いにかかっている人が多いのか、ゲーゲー袋が配られる。僕は船酔いを治す為、外へ出たり歩き回ったりする。吐く寸前。こんなに船酔いしたのは、後にも先にもこの時だけ。外へ出て海を見ているおじさん、おばさん多い。もっと若者(プロミシング・ユース)を海外に出してやれ!

最初の島はエギナ島。白い壁の家が立ち並ぶ港に到着。港からアフェリア神殿へ相乗りタクシー(500ドラクマ)で行く。バスは本数が少ない。入場料IDカードを使って半額の15ドラクマ。このIDカードは日本で取得。ヨーロッパ旅行ではいろんなところで使えると聞いて来たのだが、ほとんど使えなかった。

アフェリア神殿から見る海は本当に綺麗だった。2匹の猫がいる。可愛い子猫と太ったどら猫。小林(お茶の水女子大・ソニー内定。以降、コバ)が猫を抱いて、ぶりっ子して写真を撮る。写真を撮ったあと、猫をポイっと投げ捨てる。

彼女曰く、「猫は投げてもちゃんと立てるし、体を引き延ばす事もできるよ」と。猫をびよよーーんと引き延ばす。女は怖いのか実家で猫を飼っているのか?

タクシーの運転手。クリスチャン。ハンドルを離して、身振り手振りで話してくれる。本当に怖い。

港に帰って、チョコ牛乳飲む。なかなか開けられない。穴の無いテトラパック。

船上にて昼食withコバ、サノ、植出。ビール、オレンジ、チャーハン、オリーブケーキ。船酔い少し治る。

二つ目の島はロドス島。植出が名所はポセイドン神殿しかないと言うので、タクシーでポセイドン神殿へ。車は、13年前のDATSUN。ドライバーによると、来年位には買い替えたいが1台400万円位するそうだ。
神殿、柱の跡が4つあるのみ。海を臨む丘は風強し。後から来たタクシーの渋谷、コバらに「すごいぞ!来てみろ!」と言ってダマす。全員で柱の恰好をして記念撮影。タクシー往復で400ドラクマ。後から来たタクシーは230ドラクマ。170ドラクマボラれる。港でイギリス人、オランダ人他とディスカッション。日本人は名所よく見ないで写真ばかり撮り、日本へ帰って写真で名所を見ていると指摘され、反省する事しきり。ディスカッションした中に、仙台に少しいたことのある人がいた。みんなで、日本人の好きな記念撮影。帰船。船内で、トランプ。「ど貧民」やる。メンバーは久武、コバ、植出、僕、アネゴ(テキサス インスツルメント内定)、先生。先生、最後に大富豪になれて、トランプを叩きつけて上がる。

甲板に出ると、海の上に180°の虹が架かっていた。

無事ピレウス港へ。ホテルまでバス。

 

今日はコバの誕生日(1960.2.25.生まれ)という事で、植出がワインをおごってやると約束。植出、サノ、コバ、アネゴ、松山、僕で出発。オゴニア広場にて軽く腹ごしらえ。ハンバーガー、フライドポテト、ワイン。

歩いてケーブルカー乗り場へ。

松山が酔っ払って陽気に「Come on Everybody !」

ああ大変だ。酔ってこれだけ性格が変わるのも・・・

ケーブルカーに乗って山の上へ。どうもコバは植出に気があるみたいだ。僕のやっかみか?

 

山上はいい眺めだし、涼しい。どこにアクロポリスがあるかでひと悶着。他のツアーの日本人も来ている。僕がみんなの写真を撮り、続いて植出に撮ってくれと言うとコバが「植出君が写れなくてかわいそう。誰かに頼んだら」だって。

僕の場合はどうなるんだ、ちくしょう!

他のツアーのおじさんで、僕たちの行かなかったところばかり褒める人がいて、腹が立つ。まったく腹の立ち通し。

 

山上レストランにて、なすとひき肉を混ぜて焼いたパスタを食べる。オリーブオイルたっぷり、油っこくて残す。日本人は普段あまりオリーブオイルを摂らないので余計脂っこく感じるのだろう。エジプトで弱った胃腸の具合もおかしく、下痢が続いている。エジプトの水が胃腸に悪かったらしい。男子でお腹の具合が悪くなった人多し。女子の方が胃腸は強い。

店の支払いの時、ドラクマが足らなくなる。植出曰く、「コインも持っているだけ出せ!」

ドルなんかも混ぜて支払い後、みんなに記念にコインが返される。

植出曰く、「コレクション用のコインはとってあるんや」。なんちゅう奴!

 

ケーブルカーで下山。(往復30ドラクマ)。詳しいお金の計算はコバがホテルでやるとの事。船酔いと酒酔いで地面が上下左右に揺れる。ホテルまでは、植出、コバ・・・ちょっと離れて僕・・・かなり離れて残り。

植出の速足にコバ一生懸命ついていく。人を好きになるのはええけど、もっと周りに気遣って欲しいんやなあ。

気分悪くホテルへ帰り、入浴。

そういえば、植出、コバにワイン奢るいうて、みんなで飲んだんやからなあ、話ちゃうで~!!

ホテルの部屋で、生田と26:00頃まで話しこむ。

ツアーの中で誰がええか。僕はコバ、アカネ、アラレ。(この時はアカネやったんや、本当は!)

生田、いつもの様に言いよらへん、クソッ!

1982.2.26.
 5:30、モーニング・コール。6:15、 バゲッジアウト。

6:30、朝食。バスにて空港へ。近畿日本ツーリストの手違いで、9:05のローマ行き飛行機に乗れたのは4~5名(京産+二宮+先生)。

あとの連中で海を見に行く。海は岸辺と冲では色が違っている。水切りをする。アラレ下手。植出、失敗しては責任転嫁。さすがAB型。

植出と二人でサッカー場の周りを歩き、空港へ。途中、白い箱の上に十字架のついた建物が道路沿いにある。中はガラスで、若者がオートバイに乗った写真と灯りがともったろうそくがあった。どうもこの場所でこの若者が亡くなったらしい。ろうそくの火を絶やさないのは親だろう。しんみりする。久武にドラクマを借り、空港でジュースを飲む。37ドラクマ。

 

12:05発オリンピック航空235便にて、ローマヘ向かう。窓際の席で海や山がよく見えた。





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阪神電車・魚崎の井上塾

2020年05月14日 | エッセイ・日記・意見
中学を受験した。受験勉強の為、小学5〜6年生、神戸・魚崎の井上塾に通った。元・灘中学の教師の井上先生が経営する個人の塾だった。

入塾に際しては、500円程度の万年筆を購入。万年筆に憧れていた僕はとても嬉しかった。プリントは昭和45年当時、コピー機は無く、先生がガリ版で印刷したものが使われた。

成績上位二十人は成績表に名前が出された。僕は一度も名前が出る事は無かった。

夏休み、塾帰り、ラムネを飲むのを楽しみにしていた。最初にラムネを飲んだ時はビー玉の引っかけ方が分からず、冷房の付いた列車を乗り過ごした。

阪神電車はまだ全ての列車が冷房化されている訳では無く、決まったダイヤの列車のみ冷房を装備していた。
まだ冷房が「あたる」という感覚だった。ストーブに「あたる」ように。
阪神電車の冷房は、冷凍庫の様に寒かった。僕はそんな寒さが好きだった。後年、阪急沿線に住む事になるのだが、阪急の冷房は阪神ほどには冷えておらず、それが少し不安だった。
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