和歌山駅から特急で南へ約1時間の紀伊田辺駅。田辺市の玄関口として栄える同駅周辺では地元にゆかりのある偉人による活躍の足跡を今一度見つめようとしている。
駅に降り立ち改札へと向かうと、モノクロ写真が貼られた大きなパネルが目に留まる。
「田辺市ゆかりの人々」と題され、武蔵坊弁慶に始まり南方熊楠など総勢10名が、顔写真と共に紹介されている。
南方熊楠といえば和歌山市出身の生物学者で、とりわけ菌類の研究で有名なことをご存知だろう。
1867年、和歌山市駅に程近い橋丁に生まれ、雄小学校(現、市立雄湊小学校)、和歌山中学校(県立桐蔭高校)を卒業。
その後、現在の東京大学へ進学、中退し渡米。アメリカやイギリスで生活し、1900(明治33)年に帰国。1904(明治37)年から1941(昭和16)年に亡くなるまで田辺市に住んだ。
田辺市在住時、明治政府が決めた神社合祀政策により、田辺湾に浮かぶ神島(かしま)の森林が保護の対象を外れ伐採される計画が出た際には猛烈な反対をし、「エコロジー」という言葉を用いた自然保護運動を提唱。
地域住民や研究者、役人に働きかけた結果、神島は国の天然記念物に指定され現存に至っている。
また、那智の原生林や野中の一方杉(田辺市中辺路町)の保護にも尽力するなど、和歌山県が誇る世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する上でも大きく貢献されている。
先月10日、田辺市上屋敷町1丁目のNTT西日本田辺別館の壁面に南方熊楠の肖像画と説明文が設置された。
【写真】設置された南方熊楠の肖像壁画(NTT西日本田辺別館)
観光客の散策コースに位置し、南方熊楠の自宅近くであることから、田辺商工会議所が田辺市やNTT西日本和歌山支店などに働きかけ実現。肖像画は田辺市出身で南方熊楠とも交流があった楠本龍仙(くすもと・りゅうせん)の作品。
地元に根差した活動を通し地域に貢献した偉人の栄誉を称え、現在も市民や観光客に向けその足跡を伝えるという、地域コミュニティの奥深さに触れることができた。
(次田尚弘/和歌山)