日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

人を愛するということ

2010-07-06 11:41:29 | Weblog
プロテスタント系の施設で働き始めたので、最近よく「隣人愛」について考えるのですが、自分の家族でも親戚でもない、ましてや、友達や恋人でもないまったくの他人を愛せよと、イエス・キリストは言っているわけです。

実際の隣人なんていうのはあまりにも具体的です。

外見で容姿がいい人は少数派ですし、文句もいうし、人の陰口もいう。

隣人とは、たいがい人間の嫌なところをたくさん持っている相手ですから、愛することが大変困難な相手に、挑んで行かなければならないという本来の意味なのでしょう。

しかし、相手にとってみれば、自分もその嫌な隣人の一人なわけなのですが、不思議なことに、そんな自分を自分で愛せる人は多いようにみえます。

自分の欠点なら何度も許せるどころか、自分が他人に愛されることには貪欲であったりします。

今の日本は、隣人愛どころか、結婚して温かみあふれる家庭を持ったり、自分の親すら家庭で面倒を見られない惨状なわけです。

自分の親をみれば分かるとおり、大して美男美女でもない人間が、相手のどこがいいのか分からないままくっついて、自分が存在しているというわけなのですが、「敵を7たびの70倍許せよ」という聖書の言葉どおり、何かしら隣人愛のようなものの葛藤を乗り越えてきたのが、長年続いている家庭のような気もします。

人など愛さない方がよほど気楽ですし、実際に愛さない選択をして生活している独身者は年々増えているのですが、何かしら満たされず、魂に空洞ができたゾンビが増えているだけのような気がします。

人を愛する能力があるのに、それを使わないのが今の日本人なのではないでしょうか。

それとも、本当は愛されているのに受け入れる能力が足りないのではないでしょうか。

生産能力があるのに、愛を受容(需要?)する能力が無い。

つまり、今の日本は愛情のデフレギャップがたくさんあるのです(笑)

ならば、愛情の価値が暴落しない程度のインフレターゲットを決めて、どんどん受容していけばいいだけです。

お金と愛は、とっても似ていると思うのですが、いつまで使わないと誇りがかぶってしまいます。

いつの日か、愛情あふれる素敵な国にしようではありませんか。

以上、今日は自分のことを棚に上げて書きましたw

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