日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

読書にいくら使うか?

2008-05-16 08:59:59 | Weblog
先週ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』をセブン&ワイで注文して感銘を受けたばかりですが、僕の趣味であるビジネス本、政治経済、自己啓発、精神世界などで良い本があると、ついついお金を使ってしまいます。

もう3千冊を超えてから数を数えていませんが、我が家の3つある本棚は本が入りきらなくて、床に積んであります。

しかし、日本史に詳しい知人の蔵書は7千冊、シュタイナー思想を教えてくれた知人の蔵書は2万冊と、まだまだ読書が足りないものと思っていました。

さて、皆さんが月々に使う本代は、いったい幾らくらいでしょうか?

先日のTBS「情熱大陸」に登場していた経済評論家の勝間和代さんによれば、日本人が(新聞・雑誌を除いた)読書に使う金額は、平均で700円だそうです。

たったの、700円? えっ、と思いましたが。

ハードカバーの新刊本は千円以上はしますし、その700円の中には、マンガ本も入っているというのですから、これでは、大多数の日本人は月に一冊の本も買っていないということになります。

そういえば、前の会社で西部邁先生の名前を知らない人がいて、たまたまその人だけだと思っていたのですが、日本経済復活の会が、ノーベル経済学賞受賞者のクライン教授を招いたシンポジウムで、主催であるケンコーポレーションの女性社員が、そこに来ていたリチャード・クーさえ知らなかったので、経済コラムマガジンの荒井さんが、大笑いしていたエピソードを思い出します。

昨日のTBSラジオで、司会の小西克哉が「世論には二種類あって、普通の大勢の人たちの世論と、評論家などのマスコミがつくる世論がる」と言っていましたが、そもそも本を読んでいないのですから、一般大衆に世論なんてないわけです。

だからこそ飲み会の席などで、僕が政治の話しをすると「政治なんて誰がやったって同じだ」なんて、アホな意見を言ってしまう人もいるわけです。本当はまったく逆で、本来、政治というものは何でもできるものなのです。通貨の発行もできますし、戦争もできますし、福祉の充実もできますし、公共事業の充実も、雇用の安定化も、平和社会の実現もできるわけです。

本を読まない人々は、現在行われている新古典派やサプライサイド的な経済政策の他に、ケインズ的な対立軸があるも知らなければ、インフレターゲットや、リフレーション、シニョリッジ政策といった景気浮揚政策も知らないようです。最近になってようやく、米国型の資本主義の他に、北欧型や、広域な欧州型の資本主義があることを知らされたくらいです。

日本の場合、借金がたくさんあるから緊縮財政しかできないというのが世論に定着されてきましたが、これは先進国では日本しかやっていないローカル政策でしょう。だから先進国で唯一長年のデフレから脱却できずにいますし、世界でいち早く自動車の保有台数がピークを迎えてしまったわけです。

その他に、死刑制度が先進国では一般的ではないことや、農業の補助金や輸入規制は先進国で普通に行われていること、保険の自由化によってどのような未来が待ち受けているかとか、オウム真理教の検証をまったくされずにここまで来た宗教的背景とか、世の中知らないことだらけで、これだけ文盲なのに、どうしてこんなにGDPの高い国でいられたのか、不思議なくらいです。

まずは庶民が、騙されないように一冊でも多く本を読むことが大切であると思われます。本なんて図書館でタダで借りられるものですし、携帯代はしっかり払っているくせに、お金がないなんて言い訳は通りませんよ。

もう一つの世論の大もとである、評論家やエコノミストの責任は、たいへん重いと思われますね。