今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

テンちゃんの幸せを考えるの巻

2018年10月15日 | (故)テン
書くことがないほど、あまりにも穏やかな日常を過ごしているテンちゃんです。
狭いけど暑すぎないよう寒すぎないよう、テンちゃんのために空調を効かした事務所で暮らしています。3mリードの使い方も覚えて、外に出たくなれば出してもらえる。移動したいときば人を呼ぶ。動きたくないときはしっかりと意思表示。スタッフ全員が気に掛けてくれるし、もちろん飲み食いの不安なんて感じたこともないだろう。


テンちゃんの周りにはお花がいっぱい

ノラ時代は食べ物探しに明け暮れていたはずのテンちゃん。今はあちこち漁る必要もなく、漁りたくても自由に動けず自分では何もできない。そんな生活ではおよそ猫っぽくない猫になるのも無理がない。お客さんにかまってもらうのが数少ない刺激。だからそのときは全身で喜びを表現します。人との付き合い方を覚えたテンちゃんの仕草がかわいいと、遠くからわざわざ会いにきてくれるお客さんも増えました。テンちゃんは、何人ものファンを持つ押しも押されぬ看板猫になったんです。

その一方で、テンちゃんが妙に無気力に見えるときがある。特に最近は食欲も落ち、外には行きたがるけどその場に座り込んで歩こうとしません。歩いてもとぼとぼと覇気がない。今年の記録的な猛暑で夏バテなのか、でも涼しくなっても元気の出ないテンちゃんです。いつも書いているように、ニャンコは不満を言いません。嫌なときは黙って去るのみ。でもテンちゃんは去ることもできず、それで厭世的になっちゃった??


商品の間でも平気で寝ちゃいます

8月に紹介した耕論「動物福祉、ペットの5つの自由」の中で、養老猛さんが動物をリードで繋ぐことは虐待と同じだと警告している。もとより自分にはお泊りのできないシャッポのことで悩んでいた時期があって、それは過去記事「ノラの矜持」や「ノラの本懐」に綴られています。しかしそうして悩んでいた最中に、シャッポは突然姿を消した。

去られて初めて、保護者は何かに気付きます。自分の場合も、ショックを受けて何ヶ月もシャッポを捜し続けながらその理由を考えたけど答えはでなかった。結局、チビを亡くしシャッポを失った反省から、テンちゃんにはリードの生活を強いることになったのでした。でも、そこまでテンちゃんの自由を奪うことに大義はあるのか。

「ノラの矜持」の中で問いかけた「安心・安全」か「自由」かの選択。ノラ保護活動には必ず付きまとう命題で、このブログでも何度も論じてきました。しかしこのような価値観はまったく人間的なもので、しかも対比させてどちらかを選べというのは傲慢以外の何物でもなかった。どうして我々は両方与えることができないのか。動物福祉として考えれば、安全を提供する代償として自由を奪うことがおかしいのだ。保護当時は瀕死の状態だったテンちゃんだからリード生活に甘んじてくれたけど、これは極めて稀なケースだろう。


おねだりテンちゃん、疥癬の後遺症で目が完全に開きません

テンちゃんのリードは、保護者である自分にとっても重いものでした。テンちゃんが何も言わないだけに余計に重い。実際問題として家に引き取るにも、エイズキャリアで好戦的だったテンちゃんがニャーやみうとうまくいくとはとても思えなかった。でも、あれだけ好戦的だった番張りテンちゃんが、今では随分穏やかに見えるのです。

実はこれまで、テンちゃんを引き取りたいと希望するお客さんは大勢いました。しかしペット不可だったり家族に反対されたり、何よりテンちゃんのもうひとつの顔(凶暴性)を知る者としては厳しい譲渡条件を出さざるを得なかった。そのひとつが一頭飼い。結局、先まで進んだ話はありませんでした。まあ、お店で会えるからいいやと。ところがどうしても諦めきれないお客さんがいるのです。そのお宅には、若い先住ニャンコが3匹。


ハロウィンギフトーコーナーを探検中

お店の常連さんで、とにかくテンちゃんを気に入ってくれています。そのお宅の3匹のうち1匹がやはりエイズキャリアだけど、3匹分け隔てなく暮らしているそうです。食事の共有だけは気をつけていてそれで今のところ移らないと。そのお客さんは、テンちゃんの方が年齢的にストレスを感じてしまうのではと気にしています。でも、テンちゃんにとってはリードから解放されるチャンスだ。

テンちゃんの里親探しは、わが家のように後がつかえているわけじゃないので急ぐ必要はないと思っていました。今は、そのお客さんとじっくり検討しています。その一方でテンちゃんを振り返ってみると、看板猫としての役割だけじゃなくちび太やテリーのお迎えに一役買ったり、貢献度も随分高かったんだなあと感心しきりのこの頃です。


店内を一望できる場所が大好きです



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子ニャンの勇気・partⅡ ~チビを偲んで~

2018年10月13日 | (故)チビ 
久しぶりでチビのカテゴリーを更新します。
チビは、このブログを始めるきっかけとなった子猫でした。
一周忌追悼文を書いて以来なので、前回からもう1年以上経ってます。
当然ながら、自分の中でチビはいつまで経っても子猫。
そしてチビのことを思うたびに、あの事故の悔しさが蘇ります。

半年ほどの短い付き合いだったけど、本当にたくさんの感動をもらいました。
忘れもしない2度の救出ドラマ。
真夏の夜にSCの駐車場で戯れた思い出。
ニャーやシャッポも一緒だった。
チビカテゴリーの「かわいい理由」や「続・子ニャンの賛歌」に、自分の思いが溢れています。


      チビ          チビとニャー(じゃれ)     チビとシャッポ(休憩)
いずれも再掲写真

今日のタイトルはpartⅡとなっていますが、実はpartⅠはありません。
チビを亡くしてからの2年間に、自分が出会った子ニャンのすべてがpartⅠです。
コン、ちび太、ミセミケ、イエチビ、テリー、キー、クウ・・・
それにソトチビやハリーも初めて出会ったときは子ニャンだった。
他に、ちらっと見かけただけで結局会えなかった子ニャンも数匹。

1才生存率が10%程度というノラの子たちの過酷な運命。
自然増に匹敵するくらい後を絶たない猫捨て。
捨てられた子ニャンの運命は、ノラの子以上にはかない。
ボロボロになって朽ちていく。
捨てた人間は、その子たちと同じ運命を味わってみるがいい。
死に支配された運命を、味わってみるがいい。
絶望的に愚かな人間たちの非道に天罰を。

一方で子ニャンを見ていると、その一生懸命さに頭が下がる。
絶望的な状況の中でも、彼らは生きることを諦めない。
最後の最後まで、自分が微塵も動けなくなっても、彼らは決して諦めない。
彼らの行動は、すべてが生きることを前提としているのです。


SC夜の駐車場で:手前からシャッポ、チビ、奥の車の前にニャー

人間の年齢にすれば小学校以前の子猫が、命を賭けた旅に出る。
あらゆることに興味を持ち、一見遊んでいるようだけど、
彼らにとっては生きるための修行。
だからみな真剣で、必死なんだ。

人間の幼児と言えば、母親が何でもしてくれる。
駄々をこねて泣き喚けばそれで済む。
周りの大人たちも、それが当然だと思っている。

ノラの子ニャンは独りで生きていく。
誰も頼る相手はいない。
どんなに怖くても、怯えている余裕はない。
店に来た子ニャンも、家に来た子ニャンもみなそうだった。
その勇気と懸命さに人は心を打たれ、
そして彼らの運命に光を差すのは、これもやっぱり人間なのです。

チビよ、お前はそのことを教えてくれた子猫だった。
お前のおかげで、ちび太をはじめ何匹かの子ニャンを救うことができたよ。
チビよ、お前も悔しかったんだよな。
だからお前の一周忌追悼を書いた直ぐ後に、ちび太になって戻って来た。
輪廻転生。お前と瓜二つのちび太を見て直ぐにわかったさ。
お前は、もっと我々と一緒にいたかったんだよな。

そうか、ちび太があの気難しいニャーにひたすらくっつくのも、
ちび太の里親さんが決まりそうになると流れたのも、
チビよ、お前の気持ちだったのかな?
もしかして、このままいればいつしかシャッポにも会えるとか?

なるほど、お前(ちび太)がいれば、ニャーとシャッポもまたうまくいくかもしれないね。


チビがいた時代:左からチビ、ニャー、シャッポ(再掲)


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えっ? ドキッ! 浮いちゃってる?

2018年10月10日 | ニャー
ニャーです。
最近出番がなかったです。
というのもオジンと距離ができちゃって、出たくても出れなかった。
オジンに書いてもらってる身分なんでつらいとこなんだニャ。

オジンと距離ができた?
そうなんです。
オジンがあまりにもニャーばかり怒るから、やんなっちゃった。
あの怒り方は普通じゃないよ。
恐怖以外の何物でもないです。
だから後で元に戻ってケロッとされたって、
ああそうですか、ってわけにはいかないんだニャ。
くっついたって落ち着かないし、何となく避けるようになった。


オジンを避けるようになった頃

オジンがどんなときに怒るのかはわかってます。
他ニャンに目をつけると注意、
追いかけると怒鳴られて、
飛びかかると爆発、あの恐怖の状態になります。
ニャーは大好きなこの家を守ろうとしてるだけなのに、
何であんなに怒られるのかわかりません。

猫は独りで暮らすって言われるけど、
仲間といることだって多いんです。
この家もあれよと言う間にそうなったんで、
秩序を守るためにニャーは頑張ってるんだニャ。
でもオジンのおかげですっかり調子狂っちゃって、
逆にニャーの方が居づらくなったり。


一時は洗面所の棚上でひっそりと寝てました

するとオジンが言うんです。
「いじけないの、ニャー」
「お前はこの家の主(あるじ)なんだから、もっと堂々としていなさい」

で、隅っこに隠れたニャーをみんなの真ん中に引っ張り出したり。
ニャーはすぐに逃げちゃいます。
まったく何してんだか。
余計なお世話だってのに、オジンは干渉しすぎなんだよ。

でも、そのオジンがここんとこ変わってきた。
いつだったかぶつぶつ言ってると思ったら、それから怒らなくなった。
はじめは半信半疑だったニャーも、今では本気らしいと思ってます。
それでオジンとの蜜月も復活。
"仕事"の方も順調で、前ほど気張らなくてもみんな言うこと聞くようになった。
反抗的だったリンも、ふてぶてしいハリーも今では静かなもんです。


うるさいハリーを見張ってます
(手は出しません)

そんなとき、オバンが何気にひと言。
「ニャーがいないと平和なのにね」
えっ? 何それ。 ニャーは耳を凝らしました。
何でもニャーが外にいたりオジン部屋でひとり寝ているときは、
他ニャンたちが心底くつろいで和んでるんだって。
怖い猫はいないしオジンも優しいし、ってことらしい。

えええええっ!?
何かやばいかも。
世の中にはそんなことで捨てられちゃう猫もいるっていうし。
ニャーはニャーの仕事をしてるだけなのに、
猫社会の掟だから止められないのに、
この人たちはいったい全体、あまりにも理解がなさすぎる・・・・

・・・・と思ったけど、
所詮人間なんてそんなもんなんだニャ。
こうなったら、ニャーに任せてくれればうまくいくってとこ見せなくちゃ。
オジンとオバンが不安にならないように、
みんなと一緒に和んだり、
必要なときは「おしおき」もね。

猫社会のことは、何てったって猫が一番よく知ってるんだから。


いつもは平和なひとときに満ちてます
(左からリン、ハリー、ニャー、みう、ちび太)

さらにちび太の右手には・・

キーとクウだってちゃんといます


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保護活動の光と影

2018年10月07日 | ノラたちの幸せを願って
まるで報道特集のようなタイトルですが、こんなタイトルで記事を書くのは気が重いし残念です。それに硬い感じでこのブログの趣旨にも合わないし。でも、ささやかでも保護に携わる者としては、黙って目をつぶるわけにもいかないんですよね。

ボラさんや関連団体のブログ読んでいると、たまに他のボラさん(団体)を非難している記事に遭遇します。ちょっとした批判もあれば本格的な告発も。よく見かけるのは迷惑エサやりさんへの非難で、「保護活動や当のノラたちの立場を悪くしている」と。その通りなんですが、ノラを可哀相だと思う同じ気持ちが相乗効果にならないなんて、残念で仕方ない。


ニャー:オジン命は変わりません

ボラ同士でも方針の違いで言い合いしたり。そもそもボラ団体同士って案外交流がないのかな。人間同士の営みって、ことによると猫同士よりも難しいのかもしれませんね。そんな中でちょっと気になる記事がありました。「ピースワンコ」という、ある団体が行っているプロジェクトのことです。

先月の週刊新潮に、この団体への告発文が掲載されて世間を騒がせています。今は全国に広がったこのプロジェクト、もともとは広島県でワーストだった犬の殺処分数を大幅に改善したことに貢献したとされています。つまり同県に収容されたノラ犬を殺処分前に全頭引き取った。そう、このプロジェクトの目標は殺処分ゼロ。里親探しも積極的に行っているようです。

告発は収容施設の劣悪な環境(狭すぎる)と飼育方針を挙げています。不妊処置もしないで共食いを誘発している、などとかなり辛辣な内容。それに対してピースワンコはHPで反論していますので、その真偽のほどをここで検証しようとは思いません。ただ自分が気になったのは、この団体がふるさと納税システムを使って10億円近い寄付を集めている、という部分です。


みう:この家が楽しくなってきたんだニャン

本来税金となるべきお金を集めているのなら、公共団体と同じです。この団体は広島県の殺処分ゼロに向けて貢献していますが、逆に見れば広島県が(表面上の)殺処分ゼロを達成するためにこの団体を利用しているとも言えるのです。その構造はペット業界から売れ残った犬猫を引き取り、狭い部屋やケージに押し込んでひたすら死を待つあの"引き取り屋"と同じだ。

動物愛護法の理念を守るべき行政や保護を標榜する団体が疑われたなら、他の保護団体にとって看過できないのは当然だ。ピースワンコは、そのHPによれば既に2,400頭ものノラ犬を引き取っているという。その飼育には労力も要るしお金もかかるだろう。それに野犬が多ければ殺し合いを防ぐのも大変だ。他団体からの開示要請には真摯に対応して、直すべきは直してほしいと思います。

さらにこの団体の収支報告(ネット)を見たところ、詳細な経費報告(お金の使途)はわからなかった。殺処分ゼロを掲げて集めた寄付金(税金)が、どのように使われたのか明確にするべきだ。 どんな団体でも寄付を集めたり助成金や補助金を受け取っているなら、政治家以上の詳細な収支報告が欠かせません。


ちび太:ただ今取り込み中だい!(右にキー)

個人ボラさんにしても団体(NPO法人など)にしても、同じ目標を掲げた言わば身内同士。特に組織力のある団体には自分のような個人活動ではできないこと、つまり保護活動の裾野を広げたり行政に働きかけたり、特に猫捨てなど反動物愛護的な行為を抑止する使命を強く意識してほしい。身内同士の負のやりとりが不要だとは言わないが、この本来の大きな目標使命に向かって少しでもエネルギーを結集してほしいと思うのです。


テンちゃん:おーい、最近出番が少ねーぞ



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大人になってもまだ"ちび太"

2018年10月05日 | ちび太
小さいときに付けた名前に大きくなってから困る。よくある話ですね。
ちび太は仕草こそまだ子供だけど体型はすっかり大人。痩せ型ですが、身長はニャーを抜いてわが家で一番になりました。まあ本人(猫)が名前を気にするとは思わないけど、名付け親としては失敗作丸出しで気になるところ。そもそも新しい里親さんのところに行く予定だったんだよなあ、などとボヤいております。

ちび太はニャーやテツのように、保護者とのコミュニケーションを図る意思はなさそう。でも、とにかく人懐っこいニャンコです。自分の気持ちで動くのでこっちの精神状態にはおかまいなしのツンデレ。というか殆どいつもデレデレ。店時代からの特技は人(猫)見知りをしないことで、相手が猫でも人でも、誰とでも仲良くなろうとすることです。


誰も相手をしてくれないときは・・アンニュイなちび太

ちび太は大人になりました。キーとクウより2ヶ月ほどお兄さんなので、特にキーには慕われています。ご飯やおやつのの順番待ちや、おもちゃを譲ったりもするようになりました。立派な大人への階段を順調に上っているちび太は微笑ましい限り。一方そんなちび太が、騒動の火種になることもしばしばです。

ちび太は追いかけっこが大好き。追うのも追われるのも楽しそう。相手は選びません。誰もが神経使う気難し屋のニャーだって、どんどん追いかけ回しちゃう奇特な存在です。ちび太が求めるのは逃げてくれる相手。相手が嫌がろうが怒っていようがおかまいなし。結果としてちび太の相手は、専らニャーとリンになりました。


まだまだ仕草は子供です

ニャーは嫌がってひたすら逃げまくり。リンは本気で怒るほど警戒するけど、とにかくちび太はしつこい。リンがトイレに入ると出口で待ち続けるので出られなくなることも。先日はとうとう流血の事態に。左前足から出血したリンをちび太が追い続け、1階2階の床が血の滴だらけになって大騒ぎに。まあリンの怪我はたいしたことなかったけれど、直ぐにちび太の爪を切りました。


一見危ういちび太の抱きかかえ、最近はキーの方から「やってぇ」

ただし、だからと言ってちび太が警戒されることはまずありません。ちび太の追いかけが敵意を伴った攻撃とはまったく違うからです。「遊んで~」といった駄々っ子のようなもの。だからその表情には敵意も邪気も一切なし。それが相手にわかるんですね。普段は和気藹々と平和そのもの。運動したくなったときだけ、誰かを強引に巻き込むわけです。


外のシロキや新顔ちゃんにも興味津々

店時代は自由に店内を駆け回り、草も食べ放題だったちび太。家猫になって何が違うかと言えば、とにかく運動量と日光と草食べが圧倒的に少なくなる。追いかけっこのちび太には、あの頃の自分がどこかに残っているのかもしれません。

ちび太よ、お前は好きなようにやればいい。保護者の望みはただひとつ。チビの分まで幸せになってくれれば、それでいい。


キーに甘えられてお兄さん顔のちび太
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