先週の木曜日と金曜日、キジロがやって来なかった。
出会った頃は別として、この2年間で2日続けて空けたのは初めてのことだ。
殆ど皆勤賞だったキジロです。
ノラと付き合っていると、そういった異変が突然不意にやって来る。
1日だけならたまにあったけど2日続けてとなるとやはり気になる。
事故か事件か。確認したくとも3日目からは週末だ。
ノラと付き合っていると幾度となく味わう、ただただ待つしかないせつなさ。
こんな思いをするくらいなら、やはり家に迎えた方がいいのかな。
ところがキジロは3日目の夜になって、冷たい雨と風の中をやって来ました。
何事もなかったように。

何はともあれ、よかったよかった
自分は当ブログで「ノラの暮らしには明日がない」と度々書いてきた。明日はどうなるかわからないという、人間には耐えられないほどの不安(予期せぬ変化の連続)の中に彼らはいるのだと。しかし、まったく違う見方をしていたのが養老先生でした。
その養老先生のまるが、昨年暮れに心臓病で亡くなった。享年18才。NHKのネコメンタリーをはじめTV番組や記事に度々取り上げられたまる。写真集も出たほどの有名な存在でした。養老先生はネコメンタリーの中で「変化は猫の生活そのもの」と言っていた。「同じということを理解しない」動物と人間の世界観の違いを究明し、学者特有の冷徹さの中にも、猫らしく生きるまるをやさしく見守る。そんな先生の包容力のもとで、まるは本当に幸せそうだった。
シャッポを失って以来探求し続ける猫族の幸せ。動物福祉先進国の英国からやって来た考え方「動物の5つの自由」を支持する養老先生は、「日本人は動物と暮らすとき、まず繋ぐか閉じ込めることを考える」と指摘する。人間の都合ばかり考える自分には、まだまだ猫族への理解が不足しているのだと痛感させられる。しかしその一方で、自由とはいえノラ暮らしのあまりにも不条理で過酷な現実を見過ごすことも、これまたできないでいるのです。

キジロ:昨年の夏
最近のインタビューで先生は言っています。
『猫なんて、役に立つわけではなくて、迷惑をかけるだけの存在なんです。でも、多くの人がそんな迷惑をかけるだけの存在を必要としているとも言える。私もその一人でした。だいだいうちのまるときたら動かないし、ネズミを獲れるはずもない。でもね、だからこそ、あれでも生きているよ、いいんだよねって思える。4キロちょっとの存在なのに、そう思わせてくれました。そういう存在にどれだけ心を癒やされているのか。これだけ飼っている人が多いのは、役に立つか儲かるかといった存在ばかりが重視される社会で、実際の人間関係の辛さの裏返しではないかと思う 』(「デイリー新潮」より)
そうか、猫族を攻撃する人たちは世知辛い人間社会で路頭に迷った人たちなんだ。養老先生は今、結構なまるロスに見舞われているそうです。自分もテツロスが癒えるのに3年以上かかった。立ち直ろうとしないで思い切り思い出に浸るのも、一法だと思っています。

明るいうちに見ることが殆どないキジロの写真は少なく、当記事の写真はいずれも再掲です
※1月29日にNHKBSPで「まいにち 養老先生、ときどき まる(冬編)」を放送予定。まるの遺作です。