今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

ノラたちとの共存を目指して 番外編・6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足)

2023年07月31日 | シリーズ:ノラたちとの共存を目指して
これはとても難しい問題です。
当シリーズの「その2」と「その6」を読み返すと、いろいろ書いてはいるけどまとまりがなく、趣旨不明瞭だったと反省しております。その2では価値観の多様性の下で、「誰かを好きになって守りたいと思う気持ちを他人に説明する必要はない(プライベート問題)」という考えを前提としつつ、実際に守るという行動はそれが無償の愛に基づくものであれば、もっと社会に認知され必要に応じてサポートされるべきだと主張しています。(最近問題視されているストーカーなどは独占欲に起因するもので、まったく次元が違います。)

その6の記事はもっとわかり難いかもしれません。根底に流れているテーマが複数あるからです。それらを読み解くと、「(人間を含めた動物の)命に優劣はない」「(人間を含めた動物の)生活権は平等」「自然の法則として(人間を含めた肉食動物は)生きるために命を奪う(食べる)」。開発で住処を追われた熊や猪が街に出れば害獣として殺し、金儲けや自分の好みで飼育した猫が要らなくなったらその辺に捨て、エサをやるな(殺せ)と言い散らす。一方で人間は肉を食らう。猫が鼠を食べるように、人間が牛や豚を食べることは自然(神)が決めたことと肯定しつつ、だからと言ってその生活権を奪うことには繋がらない。これは特に日本における養鶏場や劣悪な家畜の飼育方法を問題にしました。同様のことが、参考資料の2番目記事にも書かれています。

その6では、食肉文化における西洋と日本の違いもテーマにしました。以前に、英国では家族のように育てた牛や豚をある時期になると別れを偲んで、そして解体して食べる昔からの文化があるとの記事を紹介しました。殆どの日本人は、いま口にしている肉の生きている姿を想像できないと。

わが妻は農家の出で、野菜果物中心だが牛も1頭飼っていて大きくなったら市場に出し、一部の肉を引き取って食べていたそうだ。1頭市場に出せばまた子牛を1頭仕入れる。食べるのが精いっぱいの家庭で妻は兄弟のように育った牛を、その命の有難みを噛みしめながら食べていた。実は自分にも同様の経験があります。入社直後の研究所で、部署は違うが豚の飼育実験を始めた。3匹の子豚は中庭で楽しそうに暮らし、自分たちはそれぞれ名前を付けてかわいがった。しかしそれから1年近く経って、大きくなった子豚たちが突然姿を消した。しばらくして、その豚たちの食肉パーティーが開かれたのです。解体し分析測定後のお肉でした。それはショックなことではあったけど、全員が参加してその3匹を弔いました。(実際にお墓も作った。) そのときは命を頂くということを身をもって知ったけど、食肉を否定しようとは思わなかった。何かを否定したり何かを肯定したりとは違う感覚。ただ3匹との楽しかった日々が、いつまでも心に残ったのでした。尚、参考資料の1はタイトルのインパクトが大きいのでリンクしましたが、この記事も同様で、この問題にすっきりした答えはないのだと思います。



智恵を身につけた人間が神のように奢ることなく、地球上の他の動物たちと対等に暮らす。そして生きるために最小限の命を頂く。これが本来の自然(神)の決めごとなのではないでしょうか。そうは言ったって野生動物は危険? いえいえ、野生動物たちにとって人間こそが危険なのです。智恵ある人間ならば、野性動物との共存を図ることは十分に可能なはずです。ノラ保護のボラさんたちが奔走するのも自然の流れ(神の意志)に沿ったもの。固有種を守るために外来種を駆除すると言うのは、道理があるようだけど実は人間の行為の結果を外来動物のせいにしているに過ぎないのです。

人類は神(自然)の使い手となるのか、神をも恐れずむしろ新しい神(悪神)として地球上に君臨するのか。人間が自然を破壊する行為と、動物たちを虐げる行為は同じ次元のものです。その6でいきなり人間性の話を持ち出したのは、それが悪神にならないための抑制剤と思ったからです。後段はノラ保護活動の+-ファクターについて書いていますが、その根底に流れているのは人間性という尺度です。その行為が人間性に合致していますか?と言いたかった。ところがです。それがこの記事をわかり難くしているもうひとつの要因なのではないかと後で思うようになった。

と言うのも、自分の若い頃と較べて人間性という言葉の意味が、いや人間性という言葉そのものが色あせてきてるように思えるのです。自分が持っていた人間性のイメージは仏教の三徳のようなもので、不幸なものを哀れみ弱きを助ける心ではなかったか。それが色あせてるとすれば・・、いま必要なのは、敬愛するわが坂口安吾の「堕落論」なのかもしれません。

「オジン、今日もがんばったね」(ニャー)

参考資料;
現代ビジネス:日本の動物飼育の「重大な問題点」…このままでは「アニマルウェルフェア後進国」に

「ノラたちとの共存を目指して」目次  ※予告編(期日未定)含む
その1  資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題) 2017.2.27
その2  現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち) 2017.5.31
その3  エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの) 2017.8.31
その4  一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常) 2017.11.30
その5  闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」 2018.4.29
その6  原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動) 2018.8.31
その7  形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う) 2020.1.31
その8  地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)2022.11.30
その9  理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存)
その10 最終章「共存の終焉」(ノラのいない社会)
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性) 2019.3.29
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質) 2019.10.31
番外編3「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)」(特別加入) 2020.6.30
番外編4「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)」(特別加入) 2020.8.31
番外編5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち) 2021.1.31
番外編6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足)
場外編
場外編1 猫の煩悩とはこれ如何に 2021.7.10
場外編2 続・死刑に処すべし? ~死に体・動物愛護法の復活を期して~ 2021.7.21
場外編3 どうしてこんなに軽いのか <続・続・死刑に処すべし> 2021.11.10
場外編4 メディア批評、の・つもりが・・(国民の鏡としてのメディア) 2021.11.24
場外編5 社会の闇 (残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」) 2022.6.29
場外編6 ジレンマ(猫捨てを補完するノラ保護活動)2022.7.31
場外編7 ノラたち自身のためのTNR ~命と生活を守るには~ 2022.12.8

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