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今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

ワンクリックで参加 ~アニマルポリス設置運動~

2018年01月27日 | ノラたちの幸せを願って
「書きたいエピソードは山々あれど遅々として進まず」の状況ではあるのですが、この話は優先事項かな、と思って筆をとりました。あまり時間がないようなので。

杉本彩さんってご存知かと思います。自分も時々ドラマやバラエティー番組でお見かけしていました。この方はEvaという動物愛護の協会の理事長も務めてまして、現在「日本にもアニマルポリスを設置する」運動を推進しています。自分は本ブログのシリーズ「ノラたちとの共存を目指して」の次編(闘魂編)を書きながらいろいろ調べているうちに、この運動に出会いました。

その主旨は下記に添付しますので直接確認して下さい。そして、ニャンコの幸せを願う人たちは、是非ともクリックしてほしいのです。2月10日までと書いてあります。

動物虐待事犯を厳正に処罰するために法の厳罰化とアニマルポリスの設置を求めます!

個人的には上記の内容よりもっと過激なことを考えてまして、悪戯に殺傷を行った者は(無条件で)自分の命をもって贖うべきだと。なぜなら極刑というのは、該当する犯罪が起こらないことを前提にあると思うからです。

いずれにしても、市民を巻き込んだアニマルポリスをしっかり設置して、しかるべく権限を与えることが先決です。さもないと、何を決めても実効のないザル法になるからです。

特に重要なことは、厳罰化や監視強化を駆使して、日本における捨て猫、捨て犬を徹底的に撲滅することだ。なぜなら、それが諸悪の根源であることは明白だからです。

そしてもうひとつ。
先日(24日)のクローズアップ現代で犬猫の殺処分問題が取り上げられました。ペット産業が本質的に抱える"余った商品"の問題です。動物愛護法が改定されて、行政による余った商品(犬猫)の引き取り処分が廃止されました。それ以来「引き取り屋」という闇ルートの人々が暗躍し、犬猫たちがとんでもない迫害を受けています。

政府や役所はそんなこと100も承知の上で、愛護法の上辺だけの体裁を取り繕っている。しかし本質的な問題は、ペットショップに買いに行く"消費者"が大勢いることでしょう。目の色や耳の形など、消費者の"ニーズ"は年々厳しくなっていると番組は語っています。

下記に番組内容です。以前に紹介した、「引き取り屋」についての放送分も再掲します。

クローズアップ現代「どう減らす? 犬・猫の殺処分」

クローズアップ現代「ペットビジネスの闇」

さすがはNHK、問題の掘り下げが深いと思いました。でも何か問題提起型で、解決策を提案してない。ちょっと物足りなく感じる人もいるかもしれません。

それは結局、ペット業界でも生体販売に関わっている人たちが相当数いて、その人たちの生活がかかっているからでしょう。実際、販売店の多くの人たちはとても動物好きで、やさしい人が多いのです。

もちろんそんな人たちの生活を奪うような提案(例えば不買運動)はできないだろう。一方このビジネスが、本質的に動物迫害の問題を抱えていることも事実だ。では、どんな人がペットショップで買うのか。大雑把の批判を恐れずに言えば、以前に書いた「ニャン好き恋愛論」(昨年8月)に出てくるAタイプの飼い主ではないかと思うのです。

だからお金に糸目はつけない。そうなんです。今より"商品"の値段をぐっと上げて、収益の一部を売れ残った"商品"の終生飼育(もちろんまともな環境下)に当てるのはどうだろう。

とにかく、そんな思い付きを皆で出し合ったらどうでしょうか。今このときも、殺処分され、迫害を受けているニャンコやワンコがいる。その1匹1匹に、このブログに書いているようなドラマがある。時間の猶予はありません。


        ~~「おーい、オレたちゃどうやってクリックするんだ?」~~
                (こっちは寒くて死にそうだぜ)

        ダイフク             モドキ               カブキ

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迷い猫掲示板

2017年09月14日 | ノラたちの幸せを願って
カブキやコン、それにモドキの姿を見なくなってから2ヶ月近くが経ちました。特にモドキは、あれほど我々スタッフに何かを訴えかけていたのに、対応できなかったことが悔やまれます。もちろんまだ諦めたわけじゃないけど。

ところで最近、コンに関してある進展がありました。ネット上の迷い猫探し掲示板にとっても良く似たニャンコが載っていたのです。いや、"似た"なんてもんじゃない。掲載されている名前は違うけど、あれはまず間違いなくコンです。

              
            コン (またしても再掲ですみません)

GoogleやYahooで「迷い猫掲示板」を検索してみて下さい。
たくさんのサイトが運営されています。地域別なので、自分の近くだけの投稿を見ていればいい。愛猫を探す人はもちろん、飼い主を探す人が投稿できるサイトもあります。別に投稿しなくとも普段からチェックしていれば、不幸なニャンコを救う一助となるかもしれません。

自分も周辺の市町村含めて、近くで迷ったニャンコの情報を"お気に入り"に入れています。先日久々に更新チェックしていたところ、「あれ、こりゃコンだ。」  同じ町内で、写真が似ているだけじゃなく特徴の記述も一致、それに保護者の必死で探している様子もわかりました。ただ、掲載日が昨年でかなり古い。

投稿者の名前は匿名。サイト運営の管理者に問い合わせ、保護者にこちらの連絡先などを送信してもらいました。しかし、保護者さんからの連絡はまだありません。

              
      こんな子ニャンが寒い冬を生きながらえたとは・・(再掲)

迷い猫や保護放棄された猫の数に関して、根拠を示した推定値は見当たらない。
しかしいろいろな推定値(信頼できる機関の公表値)からさらに推計してみると(「ノラたちとの共存を目指して」シリーズ)、ノラの自然繁殖と同じくらいの数が発生しているという実態が見えてきた。

シリーズその3で述べたように愛猫派も嫌猫派も思いは違うが目的は同じで、ノラの数を減らすこと。しかし猫捨て防止にはさらなる法整備が必要で時間がかかる。直ぐにできること、それは迷い猫を減らすことだ。表記のような掲示板が、もっと広まって有効活用されることを願う所以です。

ニャンコの脱走対策としては、日頃からの注意点検とともに標識の装着が不可欠です。また首輪の外れた迷い猫が多いことから、猫の安全も大事だが外れ難い首輪の開発も望まれる。(特にワンタッチ式の首輪は外れやすい。)

              
           モドキ(再掲)この2ヶ月ほど見ていない

ネットに限らず、スーパーの掲示板などで迷い猫の張り紙に心当たりがあったら、迷わずすぐに連絡しよう。もし間違っていたら保護者を落胆させてしまう、と躊躇してしまう人も多いと思います。でも、はっきり言って保護者よりもニャンコの身を案じて下さい。

「ニャン好き恋愛論」で述べたように、Aタイプの保護者には、初めは必死になって探すけど時間とともに代替を考え始める人も少なくない。だからと言って責めるわけにはいかないし、人間社会としては、代替がノラであれば結局同じことだ。つまり、悲劇を背負うのは当のニャンコの方なんです。

また、ニャンコは自由を求めるからと、理解を示すやさしい保護者もいるだろう。かつての自分もそうでした。過去記事「ノラの矜持」や「ノラの本懐」の中で、自由を求めることがニャンコの本分のように書いてきた。でも、自分をあれだけ信頼してくれたシャッポを手離してしまった強い後悔を経験して、その考えは変わりました。いや、正確にはシャッポの失踪直前に書いた「変わるノラ頑張るボラさん」の中で、既に変わっていたのです。

確かにニャンコは自由を求めるけど、彼らは自由と安心安全を天秤にかけたことがない。何故なら彼らの思考には、安心安全とか安定といった概念がないからです。迷い出て捜索を諦められたニャンコは野垂れ死にか、運よく生きながらえてもノラの過酷な運命が待っているだけなのに、彼らにはわからない。彼らには、未来や過去に思いを馳せる思考がないのです。

だから、ニャンコは自由を選んでいるわけじゃなく、自由に固執しているわけでもない。「野生のプライド」が「愛猫として生きる生きがい」に変わることだってできるんです。しかも過去を背負わない分だけ、その変わり身は人間よりもスムーズのようだ。わが家に入って4ヶ月のみうは、これまで見たこともなかった天真爛漫さを見せるようにもなりました。

ニャンコの安心安全は保護者が考えてあげるしかないのです。そしてノラの場合は、やさしい人に出会えるかどうか、それがすべてです。

              
                    (再掲)
              シャッポが失踪してから9ヶ月
             どこかで達者に暮らしているだろうか

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ニャン好き恋愛論

2017年08月22日 | ノラたちの幸せを願って
恋愛論?
人間、異性を好きになるとその人が気になって気になって、いつもその人が自分のそばにいてほしくなる。これは独占欲ですね。(Aタイプ)  一方、その人が楽しそうで満ち足りた様子でいてほしいと願うのは、その人に対する敬意です。(Bタイプ)

どっちもその人を大事に思う気持ちに変わりはないけど、好きという気持ちの大部分は独占欲だと言われています。確かに、その人が恋敵と楽しそうにしていたらいい気持ちはしないよね。

でもだからと言って、その人を本当に独占するなんてことはできません。相手が基本的人権を有する人間だからです。相思相愛でもない限り、ひたすらせつなくつらいだけ。いや、Bタイプの愛なら話は別かな・・。 あっ、このトシで恋愛論だなんて、大変失礼致しました。

              
            「おれも若い頃はモテたんだぞ」(テンちゃん)

でも相手が人間じゃない場合、つまりニャンコの保護者さんたちはどうだろう。
実は気になっていることがありまして、投稿サイトで「猫は室内で飼うもの」という紋切り口調の意見がよく見られるんです。殆どの育猫マニュアル本も、公的機関や猫ボラさんたちもそう教えているので無理もない。その理由は事故や病気に巻き込まれたり、他人に迷惑がかかるから。うん、ごもっともなことです。

自分はここで室内飼いに反対するつもりも、外飼いを奨励するつもりもないです。ちょっと観点が違っていまして、ニャンコの保護者(飼い主)には前述のAタイプとBタイプがいるということです。

Aタイプの人は自分の気持ちを優先します。そして、
猫を飼う=ペットを飼う
ペット(愛玩動物)=自分だけの宝物

もちろん、意識してそう思っている保護者はいません。
でも愛猫にはいつもそばにいてほしいし、猫種や見栄えも気になるし、猫の生態はマニュアル本で学習できるし、自分だけの○○ちゃん、何しろ法律上は器物だし・・。

安全第一なら、家から出さなければ間違いない。お出かけのときは、いたずらしないようケージに入れておく。朝から夜まで一日中ケージの中。それでもニャンコは文句を言わない。たかがペットの身分だから。飼い主様に合わせるしかないんです。

でも、以前に「自然に抱かれて」で書いたように、ニャンコはもともと自然の申し子。彼らが心底猫らしくしている姿にこそ、我々人間は癒される。だから、彼らが何をしたいのか、何をしてほしいのかを考よう。知能に勝る人間であれば、ここはひとつBタイプに徹して、愛するニャンコに敬意を示そうじゃないですか。そうです、パラダイムを変えるのです。

              
           「いつになったら外に出れるのかニャン」(みう)

自分はAタイプを否定はしません。いや否定とか肯定とかじゃなくて、そういう保護者さんが多いのが現実なんです。ニャンコへの思い入れはむしろBタイプよりも強く、お金も使うし、愛猫の具合が悪そうだからと夜中に起きて遠くの病院に連れて行く。

でも、Bタイプにならない限り、それは本当の愛情とは言えないんです。Aタイプの保護者は今はまさかと思っても、都合が変わったとか飽きたとかそんな理由で、ニャンコを平気でXX(許されないこと)しちゃうことがある。もちろん終生大切にする保護者もたくさんいるけど・・。

人間社会に生きるニャンコは基本的権利(猫権?)を持っていません。だからこそBタイプのような無償の、そして社会通念に束縛も制限もされない、真の愛情にすがって生きるしかないのです。

              
                「ここが終の棲家です」(ニャー)

追伸)
小生遅い盆休みを頂くことになりまして、本ブログも一週間ほどお休みする予定です。もちろんニャンコたちのお世話は続けますが。


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ノラたちの春

2017年05月07日 | ノラたちの幸せを願って
暖かくなって、店に出入りするノラたちの生活が変わりました。
前回書いた先月の中旬あたりから来なくなって、ニャーモドキは10日ほど前に一度会っただけだし、カブキはまったく見ていません。

当初はダイフクの残し餌がなくなったりと、遅い時間に来ていた痕跡があったけど最近はそれもなくなった。カブキは最後に見たとき後ろ半身の黒毛が茶色く変化していて、明らかな異常が見受けられたので気になります。しかし、会えなくてはどうしようもなくて・・。

          
       10日ほど前、最後に会ったときのニャーモドキ

もともと通いだった彼ら、流浪の生活なれば、腹を満たせる店の餌場をそう簡単には諦めないだろう。とすれば他に本拠地があるのか、もっといい餌場を見つけたか。あるいは事故か事件に巻き込まれたか、彼らの生活を推し量る術はない。この店に居着けば、家猫として安住の地を見つける道も開けただろうに残念です。

※ダイフクは相変わらず間を空けてやってくるので改めて書く予定。

気になったので、以前シャッポを知る人に教えてもらった公園にまた行ってみました。公園の奥にある丘陵のさらに奥、隣接する公民館の裏近くに小路があって、その周辺にノラたちはいます。冬は植栽の下で寒さを凌いでいるのでしょうか。ここは、ノラたちが生息する場として知る人の間では有名らしい。この公園のニャンコたちの日常がどんなものなのか、もう少し見てみたくなりました。

          
            
          公園のノラたち、まだまだたくさんいます

以前にも書いたように(「ノラたちとの共存を目指して・その1」)、ノラに生まれても1才まで生きる確立は10%少々しかない。つまり、10匹生まれてもそのうち9匹は初めての冬を越せない。統計的にそう言うのは簡単だけど、その無念の死を遂げる一匹一匹に人生(猫生)がある。かつてバス通りの植栽帯で必死のしゃがれ声で鳴き続けていた子猫。K君と探したが結局保護できなかった。あの子猫の末路を思うと胸が痛む。

それが野生動物の生き様だ、と言われればそうだろう。でも人間と、人間社会に深くかかわりながら生きているノラたちを、社会としてもう少し見守ることはできないものか。今活躍しているボラさんたちのサポートとなる有効な方法が求められているのです。

ノラの生活は孤独だ。怪我をしても病気になっても誰にも頼れない。それはあたかも、紛争地域で戦闘に巻き込まれた子供たちに似ている。親を失い兄弟を失い、ひとりで戦地を彷徨う子供たち。もちろん赤十字の救護隊もいるけど手が足りない。ボラさんたちがどんなに頑張っても手が回らないノラたちと同じだ。

紛争地域に暮す子供たちのように、自分の力ではどうしようもない運命に翻弄されるノラたち。今はノラ問題に関する過去の報道を辿っていますが(これは「ノラたちとの共存を目指して・その2」として改めて書く予定です)、感じるのは統計的に扱っている報道が多いことです。

殺処分7万匹と一口で言われても、ピンとこない人も多いだろう。それより、「紛争地域で家族を失いながら健気に生きる○○ちゃん」のように具体的な現実例を直に伝えた方が人の心は動く。ノラたち救済活動の有名人や議員さんたちも大勢いるけど、やはり、社会を変えるには報道に頼るのが一番だと思うのです。

          
        「オレにはわかるぞ、ノラの気持ち」(テンちゃん)
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頑張れ! ノラたちを守る法律

2017年02月07日 | ノラたちの幸せを願って
2週間ほど前に書いた「ノラたちを守る道づくり」の中でノラの連れ去りについて、(虐待目的の)変質者を許さない衆目監視の強化を呼びかける一方、(保護目的の)ボラさんには今のまま頑張って頂くよう進言しました。

今回は補足としてその理由を書こうと思ったのですが、悪用される恐れを考えて一般論的な表現に留めています。内容は法律の話です。膨大な量のネット議論の調査と、店がお世話になっている知り合いの弁護士さんの見解を踏まえています。もちろん異論反論大歓迎。

ノラたちに深く関わる法律は遺失物法と動物愛護法です。遺失物法は遺失物とその対処の方法を規定する法律で、遺失物の届出をしなかったという理由で罰せられることはありませんが、関連する条項が刑法や民法にあるので無視していいことにはなりません。動物愛護法には前回述べた通り罰則規定があります。

遺失物法は平成19年、動物愛護法は平成24年に改正されました。この改正がノラたちにどう関わったのか、が今回のポイントです。

      
      他人事じゃないよ、この問題(ニャー)

ノラにむごくなった遺失物法;
同じノラでも、身元のわかるニャンコは遺失物になります。保護した者(拾得者)は警察に届ける義務があり、警察は2週間ほど保管して本来の保護者に連絡するが、本来の保護者が現れなかった場合は動物保護センター(保健所)に回します。そこでも引き取り手がなかった場合は数日で殺処分になる。

飼われていた形跡があっても身元がわからない場合、遺失物ではないので自分で保護管理することができ、警察が所有者探しの情報管理をしてくれます。その期間は3ヶ月で、期間を過ぎると拾得者が望めば保護者になれます。拾得者が保護を断れば動物保護センターに回され(動物愛護法35条)、そこで引き取り手がなかった場合はやはり数日で殺処分になる。

飼われた形跡のないノラには動物愛護法が適用され、届出先が動物保護センターになります。引き取り手がなかった場合は数日で殺処分です。

~なんか不快になっちゃった方、すみません。自分もまったくそうでした。~

動物愛護法の本質;
そもそも動物愛護法は動物の殺傷を禁止した法律で、その対象にはニャンコもワンコも、多くの家畜たちも含まれています。では、や殺処分は動物愛護法違反ではないのか。
弁護士先生曰く、「やったな、日本役人の常套手段」

前回添付したこの法律の文言をもう一度見てみて下さい。よく読むと「みだりに動物を殺したり傷つけたりした者は・・・」と、「みだりに」という一言がついているのです。先生続けて曰く、「この一言でどんな解釈もできる。つまり役人の運用次第ってことですね」 そう、や(保健所が行う)殺処分は、「みだりに」には該当しないという解釈なのです。

いやはや、こんな法律で本当にノラたちを守れるのか;
虐待目的の変質者から守ることはできます。遺失物法にはなくても、刑法254条「占有離脱物横領罪」、235条「窃盗罪」、261条「器物損壊罪」、また民法193条により返還を求めることもできます。 いずれも相応の罰則規定があるので、怪しい連れ去りを見たら必ず警察に通報して下さい。

現在の動物保護センターは殺処分を減らす努力をしています。ただ、それが収容数を減らすことでは意味がない。ではどうやって減らすのかというと、民間に丸投げするだけです。そこで活躍しているのがNPOやボランティアの方々なのです。でも、丸投げするボラさんたちがいない地域では、残念ながら本当に殺処分されています。

残る曖昧さ;
役所だけは何でもできる、としたいがために残した曖昧さ。それが被疑者に弁解の余地を与えてしまう可能性がある。虐待目的は言語道断ですが、(この部分以下割愛)。

そもそもの問題点を挙げればニャンコを器物として扱う法律に無理があるし、ニャンコへの愛情とは無縁の人たちが作った愛護法ということになるのだろう。でも、そんな批判をしても意味がない。運用の仕方では立派に役立つのだから、あとは我々社会人の心掛け次第ということなのだと思います。

      
      よーし、おれも頑張るぞー(テンちゃん)

<追伸>
2週間ほど前に「ニュース23」で、「殺処分ゼロの実態」という特集をやってました。殺処分ゼロの裏ではボラさんたちがパンク状態になっていると。ノラの幸せには頼みの綱のボラさんたちです。この問題は見過ごせません。


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