世界中で大熱狂をもって迎えられたシリーズ30年ぶりの新作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』から早9年。フュリオサを主人公とするプリクエル『マッドマックス:フュリオサ』に心のV8エンジンを鳴らして待ち侘びたファンは多いだろうが、まずはその回転数を抑え、偉大なるジョージ・ミラーの声に耳を傾けてもらいたい。『フュリオサ』は狂騒的な『怒りのデス・ロード』と全く異なるタイプの映画であり、こちらのチューニングを誤ればその真価を見失いかねない。全米ボックスオフィスでは期待値を大きく下回り、シリーズの終了が事実上確定したかのような報道だが、たった週末3日間で映画の価値を決めてしまうハリウッドの悪しき慣習には困ったものである。
『フュリオサ』は『怒りのデス・ロード』で創り上げられた世界観を補強・拡大し、壮大な叙事詩として語りあげようとする野心作だ。人類最後の楽園“緑の地”に生まれた幼いフュリオサは野党集団に誘拐され、故郷への旅路は壮絶を極めることとなる。全5章、2時間28分を物語るミラーのストーリーテリングは泰然自若。それでいてアクションシーンは老いてなおタイトであり、『マッドマックス2』で既に完成していたメソッドを反復、さらなる過剰化を遂げている。砂塵にまみれた顔をさらす俳優たちは誰1人として映画の神話的スケールに引けを取っておらず、序盤を並々ならぬ迫力で牽引するフュリオサの母ジャバサ役のチャーリー・フレイザーはいつまででも観ていたいほどだ。
そして凶悪バイカー軍団の総長ディメンタスを演じるクリス・ヘムズワースは嬉しい驚きである。マーベル映画では一切、耳にすることのなかったオーストラリア訛で演じられるこの狂った雷神は、面白いことにイモータン・ジョーのような巨悪ではない。人心を掌握するために奇矯な行動にこそ出るものの、有象無象を束ねるカリスマ性には乏しく、この世の狂気に抗いきれないのだ。MCU初期メンバーは近年、『オッペンハイマー』のロバート・ダウニー・Jrを筆頭に、『哀れなるものたち』のマーク・ラファロ、『グレイマン』『ナイブズ・アウト』のクリス・エヴァンスらが喜々として悪役を演じ、新境地を開拓。本作のヘムズワースもまたスターバリューを得たからこその出演であり、地元の伝説的シリーズでヴィランを演じる彼にはオージー俳優としての本懐とも言うべき輝きがあった。
映画が約3分の1を過ぎた所でようやくアニャ・テイラー=ジョイが登場するも、なんとセリフは30個しかない。フュリオサが長きに渡って耐え忍んできた怒りを表現するために言葉は必要ではない。常に反逆者を演じ続けてきたアニャの鋭い眼光が多くを語り、限られたセリフ(ほとんど叫びといっていい)には爆発的なエモーションが宿っている。復讐の果てに流す涙には心引き裂かれずにいられないではないか。もちろん、『怒りのデス・ロード』でのシャーリーズ・セロンを補強することにもなり、あらゆる場面でキャラクターに蓄積と情感をもたらしている。
そしてこの復讐劇こそが1979年に始まった『マッドマックス』第1作の主題である。原題“Furiosa:A Mad Max saga”と題された本作はシリーズを現代の神話へと昇華させ、原点へと回帰。伝説の環を閉じるのである。
『マッドマックス:フュリオサ』24・米、豪
監督 ジョージ・ミラー
出演 アニャ・テイラー=ジョイ、クリス・ヘムズワース、トム・バーク
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