長内那由多のMovie Note

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『ファントム・スレッド』

2018-06-23 | 映画レビュー(ふ)


鬼才ポール・トーマス・アンダーソン監督(pta)の最新作『ファントム・スレッド』は面妖かつ幽玄な逸品だ。時は1950年代、ロンドン。オートクチュールドレス“ハウス・オブ・ウッドコック”を手掛ける天才デザイナー、レイノルズの朝から映画は始まる。身だしなみを整え、特段手をつけるでもない食卓でスケッチに勤しみ、お針子達の出勤を待つ。pta自ら手掛けたカメラはまるで漂うように住居兼アトリエを縦横移動し、美しくたゆたうようなジョニー・グリーンウッドのスコアを相手に踊っているかのようだ。

そんなレイノルズの居城にヒロイン、アルマがやってくる。寒村でウェイトレスをしていた彼女をレイノルズが見初めたのだ。だが、そこに性的欲求はまるでない。自身のドレスが引き立つべき凡庸な体形の持ち主としてアルマは理想的だったからだ。デート初日から一晩かけて彼女の採寸を計りまくるレイノルズの異様が際立つ(しかも常に姉が随伴している)。

『ファントム・スレッド』は男女の恋愛の不可解さを時にブラックなユーモアを交えて描いている。吹き出していいのかわからない終幕は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でボウリングピンを振り回したptaならではの演出だ。
だが、本作の根底にあるのは愛を渇望するアーティストの彷徨ではないだろうか。自身の創作のため日常生活の全てをコントロールしようとするレイノルズは役作りのために何年も時間をかけ、撮影中は完全に役になり切って生活するという俳優ダニエル・デイ・ルイスの神経質かつ繊細な姿とダブり、そしてやはりリサーチに何年も時間をかける寡作の巨匠pta自身ともダブる。1957年生まれのデイ・ルイスと1970年生まれのptaが『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で意気投合し、本作で企画段階からタッグを組んだのは互いの資質を理解し合っているからではないだろうか。

エレガントだが、どこか風変りなレイノルズはデイ・ルイスのハマリ役だ。それは近年の『ギャング・オブ・ニューヨーク』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『リンカーン』で見せた時代そのものを体現した大芝居とは違い、かつて英国から現れた若きカメレオン俳優の姿を思い起こさせる。金満夫人からドレスを奪い返すシーンでは『マイ・レフトフット』で車イスながらダブリンの酒場をメチャクチャにしたパンクさも彷彿とさせた。

結婚生活よりも自身の芸術、そんな思い上がった男達を引きずり下ろすアルマ役ヴィッキー・クリープスが素晴らしい。無名ながらダニエル・デイ・ルイスに臆さぬ名演だ。禁欲的な50年代オートクチュールはやがて来る60年代フリーセックスによって終焉を迎え、女性達はまず服飾から解放される事となる。極めて私的な筆致の本作に、ptaはヒロインの目線を借りる事で同時代性を持ち込む事に成功している。レイノルズの心と“胃袋”を掴んだ彼女はやがて彼につきまとう母親の亡霊と入れ代わり、オートクチュールの女将となっていくのだ。

 孤高の極みにあったデイ・ルイスもptaもそれぞれのアルマと出会った事によって求め続けてきた愛に到達したのではないだろうか。繊細かつ緻密なこの傑作が、ptaの「インフルエンザにやられた時、妻のマヤ・ルドルフがやけに嬉しそうだった」という極私的なエピソードに端を発しているのが微笑ましい。ゆえに僕は彼のフィルモグラフィーの中でもとりわけ本作を愛おしく感じたのである。


『ファントム・スレッド』17・米
監督 ポール・トーマス・アンダーソン
出演 ダニエル・デイ・ルイス、ヴィッキー・クリープス、レスリー・マンヴィル
 

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