長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『フェイブルマンズ』

2023-04-20 | 映画レビュー(ふ)

 アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA』以後、相次いだ映画監督による自伝映画ブームの真打ちと見られていたスティーヴン・スピルバーグ監督作『フェイブルマンズ』は、想像と全く異なる映画だった。幼少期よりカメラを持ち、映画を撮り続けてきた彼ならではの映画愛に満ちた作品ではない。幼いスピルバーグ少年(劇中の名前はサミー)は初めて観た映画『地上最大のショウ』の列車と車の衝突シーンに恐怖と衝撃を受け、それを自宅のミニチュアとカメラで再現していく。自身を極度の怖がりだと語るスピルバーグはあらゆる恐怖を映画にすることで内包し、コントロールしてきたのだ。多くの監督が自伝エッセイ映画で映画への愛を謳う中、スピルバーグは創作衝動が人間の恐怖、破壊、欲望といった仄暗い奥底から生まれてくることを描いている。サマーキャンプの夜、陽気な母親はヘッドライトの逆光を背にクルクルと踊り、その美しさに父はもとより彼の親友ベニーも見惚れる。しかし薄手の生地に身体のラインが浮かび上がっていることに気付いた長女は「見ちゃダメ」と遮る。スピルバーグは母親の性的な面が露わになり、不倫相手であるベニーが明らかに欲求を抱いているのを感じながらも瞬間の美しさに抗えず、カメラを回し続ける。またある時は両親が離婚を決めた家族会議の修羅場で、いったい何処にカメラを置けばこのドラマを捉えられるのかと考えずにはいられなくなる。サーカスで旅回りを続けるボリス叔父さんは言った「君は家族と芸術の間で引き裂かれる」。それは他人と同じ生き方ができないアーティストの業でもある(短い登場時間ながらも映画のテーマを鮮烈に体現したジャド・ハーシュはオスカー助演男優賞にノミネートされた)。とかくクリーンなものが求められ、作家の人間性から過去の名作自体が否定されることもある昨今、芸術が暗い情動から生まれ得ることもあると描いた本作は、やはりキャンセルカルチャーへの反証である『TAR』と並んで2022年のアメリカ映画で最も重要な1本と言っていいだろう。

 スピルバーグはフィルムの持つ魔性に魅せられている。ファミリーフィルムの片隅に映った、おそらく現場では誰1人気付かなかったであろう母とベニーおじさんの親密さ。卒業記念フィルムで輝かんばかりに映されるジョックスの同級生。『フェイブルマンズ』のクライマックスは全く思いもよらぬタイミングで訪れる。同級生は自分が自身を超越した存在としてフィルムに映されている事にひどく狼狽する。時にフィルムは被写体すら知らぬ本質を映し、映像編集という技術が事実と異なる像を作り上げることができる。スピルバーグから過去の思い出を聞き出し物語を構成した脚本のトニー・クシュナーは、アメリカを代表する芸術家の半生を通じて彼と共に発展してきた映像メディアの魔性を批評する事にも成功している。

 最もパーソナルなスピルバーグ映画において、キャスティング慧眼にも曇りはない。“科学と芸術”というスピルバーグを象徴する二面性を授けた両親に扮するポール・ダノとミシェル・ウィリアムズは、映画史に新たな足跡を残す偉大なパフォーマンスだ。ベニー役のセス・ローゲンは今後、どんなバカをやっても許されるキャリア史上最高に格好いいサポーティングアクトである。終幕にはあっと驚く配役でデヴィッド・リンチ監督が登場。リンチ節炸裂の天然芝居を披露し、共に60年代から活躍するスピルバーグとの貴重な結節点が生んだ。

 スピルバーグは両親が他界するまで本作の製作を踏み止まり続けてきたという。それは誰よりもフィルムの恐ろしさとフィルムを操る自身の魔性を心得ていた故ではないだろうか。そして『フェイブルマンズ』は彼のキャリアの終焉ではない。スピルバーグは生きている限りフィルムと共に在り続ける。


『フェイブルマンズ』22・米
監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 ポール・ダノ、ミシェル・ウィリアムズ、ガブリエル・ラベル、セス・ローゲン、ジャド・ハーシュ

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