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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『レディ・バード』

2018-06-16 | 映画レビュー(れ)

アカデミー賞で作品賞はじめ5部門にノミネートされた『レディ・バード』は監督グレタ・ガーウィグの個性がつまった愛すべき小品だ。女優としてノア・バームバック作品等に持ち込んできた柔らかいヒューマニズムが本作の持つ“優しさ”へと結実している。サクラメントに住む少女“レディ・バード”の高校生活最後の1年を描いた本作は多分にガーウィグの実体験を反映していると思われるが、人間の営みを見つめた繊細な視線は誰もに過ぎ去った日々を思い出させてくれるだろう。北海道の山奥にある高校に通っていた僕はしばしば通勤途中の母に車で送ってもらったし、父は家にいて時に友達をもてなしてくれた。クラスには作詞、作曲を手掛けるベーシストの同級生がいて、周りとは違う空気を出していた。映画を見ている間、僕はそんな事を思い出していた。

そして僕の奥さんとお義母さんの会話はレディ・バードと母のやり取りそっくりだ。
仲の良い姉妹のように笑い、ケンカをする母娘を演じたローリー・メトカーフとシアーシャ・ローナンがいい。ローナンはようやく現代の等身大少女役を手に入れ、快演。メトカーフは最後に大きな(しかし静かな)見せ場があり、泣かせてくれる。この気の強い二人の女性の間に入るのがトレイシー・レッツ。大家族の呪縛のような関係を描いた『8月の家族たち』の原作者であり、彼が落伍しながらも家族の潤滑油となる父親を演じているのが面白い(随所にある演劇へのオマージュはガーウィグが演劇少女であった事に由来するようだ)。

 本作で単独監督デビューとなったガーウィグが演出家としても一流のセンスの持ち主である事は明らかだ。ルーカス・ヘッジズ(『マンチェスター・バイ・ザ・シー』)、ティモシー・シャラメ(『君の名前で僕を呼んで』)ら若手男優ツートップはじめ、親友役ビーニー・フェルドスタイン(ジョナヒルの妹!)らキャストアンサンブルは充実。劇中曲なのか、劇伴なのか判然とせず有機的に映画へ融け込むジョン・ブライオンのスコアも心地良い。

 本作の精神的続編はマイク・ミルズ監督の『20センチュリー・ウーマン』だろう。この映画でガーウィグが演じたのは髪を赤く染め、主人公にパンクとフェミニズムを教える“20代後半のレディ・バード”だ。ガーウィグは自身を構成するあらゆる要素を切り貼りし、掛け合わせ、再構築することで演技と映画を創造していくアーティストなのである。


『レディ・バード』17・米
監督 グレタ・ガーウィグ
出演 シアーシャ・ローナン、ローリー・メトカーフ、トレイシー・レッツ、ルーカス・ヘッジズ、ティモシー・シャラメ、ビーニー・フェルドスタイン
 
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『レディ・プレイヤー1』

2018-04-26 | 映画レビュー(れ)

こんなデタラメなスピルバーグ映画は初めてじゃないだろうか?冒頭『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンと『AKIRA』の金田バイクがカーチェイスを繰り広げ、その行く手に『ジュラシック・パーク』のT-REXとキングコングが立ちはだかる。何だそりゃ?

全編この調子でポップカルチャーネタの絨毯爆撃だ。
本筋に絡む重要キャラもいれば、セリフで言及されるネタ有り、そして画面の隅々にまさにイースターエッグの如く隠されたキャラも多数だ。これは舞台となるヴァーチャル空間OASISの創設者ハラデー(マーク・ライランス)が自身の生まれ育った80年代アイコンを盛り込んだからだ。目も眩まんばかりの勢いは中盤スタンリー・キューブリック監督
『シャイニング』の狂気的とも言える徹底再現でピークに達し、思わず「凄い」と息が盛れた。3D-IMAXで鑑賞したのだが、まるで映画の世界に入り込んだような錯覚である。
ネタの1つ1つが一丁噛みで終わらない“わかっている”仕事っぷりであり、ゲームファンも映画ファンも思わず頬が緩んでしまう。そのクライマックスを飾るのがメカゴジラVSガンダムというまさかの2大日本アイコン。「オレはガンダムで行く!」の名台詞についつい「オレもガンダムで行くよ!!」と応えてしまうほどだ(しかもRX-78ガンダムなのにポージングはなぜかZZガンダム)。そこまでジョン・ウィリアムズ調のスコアを披露していたアラン・シルヴェストリもここは伊福部サウンドをフォローだ。

 80’sリバイバルブームがさけばれてしばらく経つが、決定打となったNetflixの『ストレンジャー・シングス』はじめブームの根底は80年代スピルバーグ映画へのオマージュである。当のスピルバーグの70年代末~80年代はTV、映画の大量生産期であり、多くのポップカルチャーアイコンを生み出した時代だ。劇中の創始者ハラデーはまさにスピルバーグそのものであり、そういう意味でも本作はリバイバルブームの総決算とも言えるだろう(現スピルバーグにとっての演技アイコンであるマーク・ライランスをキャスティングした理由もおそらくそこではないだろうか)。

 そんな時代を楽しんだ側ではないスピルバーグの一歩引いた視点は物語の舞台設定にも見受けられる。2045年の未来は経済破綻により国民の多くが貧困状態にある。ヤヌス・カミンスキーによるカメラはSFディストピア映画『マイノリティ・リポート』と同様、曇天のようにくすんだ銀残しだ。御年71歳、好き放題に遊んでみても未来を楽観視できない姿勢は同時期に『ペンタゴン・ペーパーズ』を撮り上げる創作衝動を持った御大ならではである。


『レディ・プレイヤー1』18・米
監督 スティーブン・スピルバーグ
出演 タイ・シェリダン、オリヴィア・クック、ベン・メンデルソーン、マーク・ライランス、サイモン・ペッグ
 
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『レヴェナント 蘇えりし者』

2017-01-27 | 映画レビュー(れ)

巻頭、いよいよ神がかる名手エマニュエル・ルベツキのカメラワークに圧倒される。
美しい大自然の下に収められた狩猟隊と先住民達の死闘は複雑なオペレーションでありながら、全てが
『バードマン』と同じくマスターショットとして完成された構図を持つ。曲芸的な長回しはもはやルベツキにとって難度の高い挑戦ではないのかもしれない。

おそらく最も困難だったのはマジックアワーの自然光にのみこだわった撮影コンセプトではないだろうか。
 過酷な自然環境の中で激しいスタントが繰り広げられる本作はオスカーを競った
「マッドマックス/怒りのデス・ロード」同様、カメラにありのままが収められているというエクストリーム感がストーリー云々以上に2時間40分を牽引する原動力となっている。これはここ数年アメリカ映画で着実に進んでいるアンチVFXという潮流で、主演男優ディカプリオが熊に半殺しにされ、氷河に流され、崖から転落し、ついにはバッファローの生肉を喰らうというある種の“見世物感”が異例の大ヒットにつながった要因の1つではないだろうか。

 恐れを知らぬディカプリオは「これでオスカーを獲れなきゃ何をやってもムリ」と思える勇猛果敢なスタントだが、復讐心に突き動かされた主人公を静的な心理表現で演じており新境地だ。実在の人物へのなり切り演技や熱演がアカデミー賞で大手を振るう事にしばしば首を傾げてきた筆者だが、振り返ってみれば
『ブリッジ・オブ・スパイ』のマーク・ライランスといい、円熟したパフォーマンスが評価されたオスカーだったのかもしれない。もちろん、対照的に“クサい芝居”で敵役っぷりが際立つトム・ハーディの怪優ぶりも本作を語る上で欠かせない。

頭をかすめるのはこれが誰の映画か?という疑問だ。
 ルベツキの超然としたカメラによる大自然と人間の対比は当然テレンス・マリックの映画を思い起こさせるが、ここには映画館の闇に身を沈めたくなるような瞑想的な静寂はなく、観る者を陶酔させる詩心を感じなかった(坂本龍一らが手掛けた劇判が終始鳴り響くミスマッチな音響にも問題はある)。果たしてイニャリトゥの作家性とはどこにあるのか?人間の業と情念を描くオムニバス構造は後に監督デビューした脚本ギレルモ・アリアガの手法と判明し、
「バードマン」から本作に至る“カメラ至上主義”はルベツキの作家性である。何が言いたいかって?2個のオスカー監督賞はあげ過ぎってこと!!


『レヴェナント 蘇えりし者』15・米
監督 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
出演 レオナルド・ディカプリオ、トム・ハーディ、ドーナル・グリーソン
 
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