長内那由多のMovie Note

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『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』

2018-04-16 | 映画レビュー(へ)

 スティーヴン・スピルバーグのキャリアを俯瞰した時、そのフィルモグラフィに1つの法則がある事に気付くハズだ。93年『ジュラシック・パーク』と『シンドラーのリスト』、98年『ロスト・ワールド』と『プライベート・ライアン』、2005年『宇宙戦争』と『ミュンヘン』、そして2017末~2018年春『レディ・プレーヤー1』と本作『ペンタゴン・ペーパーズ』(原題『The Post』)。そこには娯楽作を手掛ける“映画少年”スピルバーグと、語るべき言葉を持った“映画作家”スピルバーグの共存がある。いくら早撮りの名手とはいえ、膨大なポストプロダクション作業の合間に撮れてしまうのかと驚くばかりだが、そんな何が何でも撮りたいモノがある時のスピルバーグ映画は熱い。本作は『レディ・プレーヤー1』のポスプロ中に脚本と出会い、何とそこから7か月で公開に漕ぎつけた。その原動力はもちろん反トランプであり、何より歴史改竄主義はじめポストトゥルース時代へのカウンターだ。

舞台は1972年。国務長官マクナマラによってまとめられたベトナム戦争分析リポート“ペンタゴン・ペーパーズ”がNYタイムズによって暴露される。それは開戦初期の段階で米国に勝機がない事を既に見通した詳細な記録であった。ベン・ブラッドリー率いるワシントン・ポスト紙もすぐに後追い報道に取り掛かるが、政権批判を恐れたニクソン大統領は機密保持を盾に新聞各社へ報道規制を強いる。果たして報道の自由を守る事ができるのか?

巻頭の機密文書を持ち出す緊迫、銃弾の如くタイプ音が飛び交う中、オフィスを縦横無尽に駆け抜けるヤヌス・カミンスキーのカメラワークと相も変わらずスピルバーグのサスペンス・アクションの達人としての才気がみなぎる。そして近年、より顕著になった役者の芝居を本位とした演出はTVドラマ俳優オールスターズによって熱量を帯び、魅せるのだ。だが、そこには『ミュンヘン』『リンカーン』のような内省的な複雑さはなく、リズ・ハンナとジョシュ・シンガーによる明快な脚本によって気負いなく政府と国民、政府と報道の在り方を説き、僕らに改めて民主主義の正しい道理を知らしめてくれるのである。それは(哀しい事に)現在の日本においても眩い。これまでのスピルバーグ・ドラマ映画と違うのは言いたい熱量は高いのに、ランニングタイム2時間を切れてしまうウェルメイドさであろう。

そしてこのオールドスタイルのジャーナリズム映画にはもう1つ現代的な視座がある。報道の自由を守る大英断を下したのは当時のワシントン・ポスト紙社長キャサリン・グラハムだった。女が先頭に立てない時代、誰からも相手にされてこなかった彼女が立ち上がる瞬間をメリル・ストリープは驚くほどさり気なく、感動的に演じており、近年の彼女のベストワークと言っていいだろう。

本作のたぎる“ブン屋魂”の根源は1976年のアラン・J・パクラ監督作『大統領の陰謀』に遡る。『ペンタゴン・ペーパーズ』のラストショットはかの名作の冒頭ショットへ“続く”と暗示して終わるのだ。献辞を捧げられたノラ・エフロン監督はウォーターゲート事件を暴いたワシントンポスト誌の記者カール・バーンスタインの妻であり、『大統領の陰謀』の映画化へ尽力した作家でもあった。決して大上段にはならないスピルバーグのネオ・ウーマンリヴへの呼応も見逃してはならない。

『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』17・米
監督 スティーブン・スピルバーグ
出演 トム・ハンクス、メリル・ストリープ、ボブ・オデンカーク、サラ・ポールソン、ブルース・グリーンウッド、ジェシー・プレモンス、マイケル・スタールバーグ、キャリー・クーン、アリソン・ブリー
 

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