長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『20センチュリー・ウーマン』

2017-07-03 | 映画レビュー(と)

感触は確かに憶えているのに、それを言い表す言葉が見つからないことがある。
少年時代に好きだったあの娘のこと。自分に新しい世界を教えてくれた年上のひと。そして、母親という存在。近すぎるばかりにわからなかったが、思春期を過ぎる頃には母も女であり、1人の人間である事が急に見えてくる。

マイク・ミルズ監督はまるで思い出したままかのように1979年の15歳を振り返り、彼女らに好きなように喋らせる。ミルズの回想かと思えば、彼女たちの一人称となり、しかも自分が死んでからを振り返ったりもする奔放な筆致だ(アカデミー賞ではオリジナル脚本賞にノミネートされた)。この私映画を彩る3女優は彼女らのフィルモグラフィの中でも格別に魅力的に撮られており、ミルズは忘れられない人々をスクリーンへ焼きつける事に成功している。

愛情過多で進歩的な母親役はアネット・ベニング。近年、ハリウッドでこれほど理想的に年齢とキャリアを積み重ねてきた女優は稀ではないだろうか。時代の荒波に立ち向かい、ワーキングウーマンとして独立独歩で生きてきた逞しさの陰には、間もなく時代を去ろうとする者の寂寥感も滲む。そんな自らの老いを臆する事なくフィルムに残した彼女のパフォーマンスにはキャリアの集大成とも呼べる味わいがあり、アカデミー賞に見落とされたのが惜しまれる。

写真家アビーに扮したのはグレタ・ガーウィグ。
『フランシス・ハ』の印象が強かったせいか、どこかあか抜けない美人のイメージだったが、ここではデヴィッド・ボウイに憧れるパンキッシュなアーティスト役でクールで鮮やかにイメージカラーの赤を纏った。『ジャッキー』でも実に控え目な助演ぶりだったがこの人、正統派美人で“役者”である。今後の飛躍が楽しみだ。

主人公が恋する相手であり、おそらくミルズにとって誰よりも想い入れの深かったのがエル・ファニングが演じたジュリーではないだろうか。ファニングは自身が持つ16歳の被写体としての刹那、特別性に自覚的であり、スラリと伸びた手足は15歳から見ればたった2つの年の差でありながら、幾分も大人びて見える。そんな少女期と大人の狭間にある美しさがエルには備わっており、多くの観客はもちろん、作家監督たちを魅了するのだろう。

 1979年、カーター大統領は「アメリカの自信の喪失」というTVスピーチを行った。その言葉はいみじくも混迷する現在(=いま)をこそ指すものであり、フェミニズムの興盛はレイシズムへのカウンターとして今再び勃興する2016年の景色と重なるものがある。本作の素晴らしさは単なる私小説の域を超え、現在へと時代をつないだ20世紀の女達への讃歌なのである。


『20センチュリー・ウーマン』16・米
監督 マイク・ミルズ
出演 アネット・ベニング、グレタ・ガーウィグ、エル・ファニング、ルーカス・ジェイド・ズマン、ビリー・クラダップ
 

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