

『グッド・タイム』『アンカット・ダイヤモンド』のサフディ兄弟によるデビュー作だ。2014年の本作にはなんと東京国際映画祭がグランプリを授与している。権威があるのかどうかは怪しい所だが(いや、30年もやってるんだからあってくれ)、この才能を見出したのは近年最大の功績だろう。サフディ兄弟は既に浮遊感ある電子音、事故的に転がるプロット、都市の息吹を撮えた荒々しいカメラとスタイルを確立しており、作品を重ねる毎にそのエネルギーを増幅している事がわかる。
このデビュー作は後の2作品に比べると血気盛んさは控え目だが、彼らにとって今のところ唯一の女性映画である点が見逃せない。本作は主演アリエル・ホームズのホームレス体験を基にしており、今にも壊れそうな彼女の繊細さと暴力性が映画の大きな駆動力になっている(若い頃のフィオナ・アップルに似ている)。現在の兄弟のエネルギーに拮抗できる女優が現れれば、さらなる傑作をモノにするであろう期待が高まった。
映画は明日の希望も持てずにドラッグとアルコールに依存する若者たちを描いていく。まるで70年代ニューシネマのような絶望感と閉塞感だが、経済格差によってワーキングプアのホームレスは急増しており、その深刻さは現在の方がより深い。
『神様なんかくそくらえ』14・米
監督 ベニー・サフディ、ジョシュア・サフディ
出演 アリエル・ホームズ、ケイレヴ・ランドリー・ジョーンズ
主人公ヨシカは20代も半ばになるが、未だ中学時代の片思いの相手”イチ”の事が忘れられない。今日もかつてのイチを脳内に召喚しては恋の妄想に悶える日々だ。そんなある日、会社の同僚”二”から告白されて…。
趣味は絶滅した生き物について調べること、仕事は経理で数字とにらめっこ、という公私共に自閉しきったヨシカの中で10年モノの片想いだけがどんどん醸成されていく。だが、報われない恋で暴走した事がある人なら決して彼女のイタさを笑う事はできないだろう。イチカの目から見た日常はまるで映画の世界だ。喫茶店の可愛いウェートレスも、駅員さんも、川釣りをするオジサンも、コンビニの兄ちゃんも、バスで隣り合うオバサンもみんな彼女の恋を応援してくれる。これこそ好き過ぎて拗れに拗れた片想いの脳内そのものじゃないか!ヨシカは自分の人生を生きることよりも、イチを好きでいる事が人生の目的になってしまっている。
そんな片想いが終焉を迎える中盤、映画は突然ミュージカルへと変貌する。あまりの突拍子のなさに大笑いし、そしてたまらなく悲しい歌詞に涙が出た。片想いというアイデンティティを失い、ボロボロに心が折れて玄関にうずくまる彼女の姿は見る者の胸を締め付けるだろう。
イチカを演じるのは松岡茉優。インタビュー等を見る限り、このフルスロットル演技はどうやら地ではないかと思えるが、4文字ワードをこれだけ可笑しく言える日本の女優は他にはいないだろう。今後、コメディエンヌとしても要注目の会心のブレイクスルーである。
『勝手にふるえてろ』17・日
監督 大九明子
出演 松岡茉優、渡辺大知、石橋杏奈、北村匠海
![]() |
勝手にふるえてろ |
白石裕菜 | |
メーカー情報なし |

インターネットのビデオチャットで裸を見せたり、性的なやり取りをする“セックスチャット”。世の中にはこんな物まであるのかと驚くばかりだが、さっそくこれを取り入れた映画が現れた。低予算ならではのアイデア勝負が気持ちの良いホラー映画だ。
主人公ローラはビデオチャットでセクシーなパフォーマンスを配信する所謂“ユーチューバー”だ。裸同然の下着姿や自殺を装った過激パフォーマンスは見せても、セックスはやらないという自分なりのルールを科して日々の投稿に余念がない。今は人気ランキング50位内に入る事が目標だ。より注目を集めようとついに公開オナニーに踏み切ってしまった翌日、アカウントが何者かに乗っ取られる。リアルタイムでより過激な実況をしているのは自分と瓜二つの誰かだ。
僕はオンラインゲームをやっている時、こんな感覚を抱いた事がある。深夜も過ぎた頃、仮想空間は自分以外にアバターの姿はない。そんな無人の街を歩いていると、ポツンとひとり誰かが立っている。彼は何をするでもなく、ただただこちらを見つめている。単にプレイヤーが離席しているだけなのだが、僕はうすら寒い物を感じてしまった。モニターの向こうには本当に誰かいるのだろうか?人を模したアバターが幽霊のように思えてしまったのだ。
それはあながち突飛な考えでもないだろう。電気技術の発達に伴って人類は幽霊の存在も探求してきた。写真は霊の姿を撮らえ、電波はあの世の声を拾うと信じられてきた。ネットが普及した今、光の向こうに人ならざる者の存在を感じても不自然ではないだろう(SNS時代の心霊ホラーがオリヴィエ・アサヤス監督の『パーソナル・ショッパー』だ)。
『カムガール』は理屈で考えると全くつまらなくなってしまう。これはインターネット時代のドッペルゲンガーを描いたモダンホラーだ。主人公は一度、自分を殺す事で成長する。低予算ホラーの慣例に倣ってヒロイン役マデリーン・ブルーワーが捨て身の奮闘。既に『ハンドメイズ・テイル』にも出演するなど、注目株だ。覚えておこう。
主人公ローラはビデオチャットでセクシーなパフォーマンスを配信する所謂“ユーチューバー”だ。裸同然の下着姿や自殺を装った過激パフォーマンスは見せても、セックスはやらないという自分なりのルールを科して日々の投稿に余念がない。今は人気ランキング50位内に入る事が目標だ。より注目を集めようとついに公開オナニーに踏み切ってしまった翌日、アカウントが何者かに乗っ取られる。リアルタイムでより過激な実況をしているのは自分と瓜二つの誰かだ。
僕はオンラインゲームをやっている時、こんな感覚を抱いた事がある。深夜も過ぎた頃、仮想空間は自分以外にアバターの姿はない。そんな無人の街を歩いていると、ポツンとひとり誰かが立っている。彼は何をするでもなく、ただただこちらを見つめている。単にプレイヤーが離席しているだけなのだが、僕はうすら寒い物を感じてしまった。モニターの向こうには本当に誰かいるのだろうか?人を模したアバターが幽霊のように思えてしまったのだ。
それはあながち突飛な考えでもないだろう。電気技術の発達に伴って人類は幽霊の存在も探求してきた。写真は霊の姿を撮らえ、電波はあの世の声を拾うと信じられてきた。ネットが普及した今、光の向こうに人ならざる者の存在を感じても不自然ではないだろう(SNS時代の心霊ホラーがオリヴィエ・アサヤス監督の『パーソナル・ショッパー』だ)。
『カムガール』は理屈で考えると全くつまらなくなってしまう。これはインターネット時代のドッペルゲンガーを描いたモダンホラーだ。主人公は一度、自分を殺す事で成長する。低予算ホラーの慣例に倣ってヒロイン役マデリーン・ブルーワーが捨て身の奮闘。既に『ハンドメイズ・テイル』にも出演するなど、注目株だ。覚えておこう。
『カムガール』18・米
監督 ダニエル・ゴールドハーバ
出演 マデリーン・ブルーワー

名匠アニエス・ヴァルダがストリートアーティストのJRと組んだこのドキュメンタリーはユーモラスで、人間の多様性に対する温かな視点が心地良い作品だ。彼らは移動撮影車でフランス各地を回り、人々のポートレートを撮影して壁やコンテナ、列車等に貼りだしていく。御年90歳ながら才気煥発、矍鑠としたヴァルダと、四六時中サングラスと帽子を手放さない36歳JRのデコボココンビのやり取りは珍道中コメディとしても楽しく、そんな2人にほだされて出会う人々も実に楽し気にカメラに収まる。“難しいことはわからないけど、芸術は必要な存在”という認識が浸透しており、アートと生活の親和性の高さ、文化レベルの高さが垣間見えた。キャンパスとなる建物はどれも歴史があり、何の考証もなしに旧きを潰す我が国の文化レベルを省みる思いだ。
旅は多様な人間の表情と共に、多様な人間の在り方を撮らえていく。何十年も変わる事なく配達を続ける郵便局員、昔ながらの手作業でヤギを飼う酪農家と、機械化を進めヤギの角を焼き切った酪農家、港湾地区を支えてきた女性達…。それらが乱反射しながらヴァルダというアーティストの人生も映し出す。そんな旅の終着点はなんとゴダール宅だ。アポは取ったものの、果たして彼は本当に待っているのか?途端にナーバスな表情を見せるヴァルダに映画のサスペンスがある。ゴダールファンなら大いに想像がつくだろうが、緊迫のクライマックスに注目あれ。
旅は多様な人間の表情と共に、多様な人間の在り方を撮らえていく。何十年も変わる事なく配達を続ける郵便局員、昔ながらの手作業でヤギを飼う酪農家と、機械化を進めヤギの角を焼き切った酪農家、港湾地区を支えてきた女性達…。それらが乱反射しながらヴァルダというアーティストの人生も映し出す。そんな旅の終着点はなんとゴダール宅だ。アポは取ったものの、果たして彼は本当に待っているのか?途端にナーバスな表情を見せるヴァルダに映画のサスペンスがある。ゴダールファンなら大いに想像がつくだろうが、緊迫のクライマックスに注目あれ。
『顔たち、ところどころ』17・仏
監督・出演 アニエス・ヴァルダ、JR

昔からジジイみたいなルックスだったせいで気付かなかったが、ウディ・アレンも82歳。立派な“ジジイ”である。同じことを何度も話し、「昔は良かった」と懐かしむ様はそこらの老人と何ら変わりない。
恋のさや当てというお馴染みのテーマを繰り返すが、一筆書きかと見紛う気のない脚本(ヤクザの兄のサブプロットは機能していない)からは近年の作品に顕著なペシミズムは感じられない。1930年代ハリウッドを舞台にしているのは『ミッドナイト・イン・パリ』同様、自分が過ごせなかった旧き良き時代への羨望だろう。
但し、映画作家として新しい試みも成されている。撮影監督は名匠ヴィットリオ・ストラーロ。続く『女と男の観覧車』でも組むことになるこの名手は全編をデジタルで撮影し、シャンパンゴールドのようなライティングは筆舌し難いほどゴージャスで美しい。ウディ、珍しく撮影に拠っている。
本作で3度目の共演となるジェシー・アイゼンバーグとクリステン・スチュワートは好演。特にスチュワートはストローラもシャネルの衣装も味方につけ、まさに旬の輝きである。
恋のさや当てというお馴染みのテーマを繰り返すが、一筆書きかと見紛う気のない脚本(ヤクザの兄のサブプロットは機能していない)からは近年の作品に顕著なペシミズムは感じられない。1930年代ハリウッドを舞台にしているのは『ミッドナイト・イン・パリ』同様、自分が過ごせなかった旧き良き時代への羨望だろう。
但し、映画作家として新しい試みも成されている。撮影監督は名匠ヴィットリオ・ストラーロ。続く『女と男の観覧車』でも組むことになるこの名手は全編をデジタルで撮影し、シャンパンゴールドのようなライティングは筆舌し難いほどゴージャスで美しい。ウディ、珍しく撮影に拠っている。
本作で3度目の共演となるジェシー・アイゼンバーグとクリステン・スチュワートは好演。特にスチュワートはストローラもシャネルの衣装も味方につけ、まさに旬の輝きである。
『カフェ・ソサエティ』16・米
監督 ウディ・アレン
出演 ジェシー・アイゼンバーグ、クリステン・スチュワート、スティーヴ・カレル、ブレイク・ライヴリー、コリー・ストール