リッスン・トゥ・ハー

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春よ来い、神社で300キロの大しめ縄づくり

2010-12-27 | リッスン・トゥ・ハー
しめ縄をつくることが目的になってしまえばそれは本末転倒ですよ。本来、しめ縄にはその意味があって、それを新春に向けてつくり飾ることが目的だったはずです。近頃は大きなしめ縄をつくることがすべて、つくればそれでいい、メディアもつくったことに注目するものだから、みんなが勘違いしだすのです。ここはしっかりおさえておかないと、しめ縄をつくる意味などなにもなくなる。いいですか、しめ縄をつくる意味です、噛み締めておいてくださいよ、これはもともと縄跳びをするのに使っていたんですね、だからそんな太いような形にしたら持ちにくいったらありゃしない。どんな巨大な手の人用なんですか。誰も回せませんよこんな巨大な縄では。そして短いし、重いし、まったく意味がない。ただつくることに夢中になって、子どもじゃないんですから、使えるものをつくらないと、わたしはね、ずっとそれを訴えかけてきたんですよ。縄跳びが廃れてしまうのではないかと危惧しています。縄跳びの文化はしっかりと後世に伝えていかなければならない。わたしはね、その役目を担っていると自負しますよ。だから訴えるんです、そんなしめ縄ではいけない。もっと、細長くてまわしやすいのにしなさいと。なかなか理解してくれないけれどもね。


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